いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

江戸の備忘録  磯田道史 著

2015年06月14日 | その他
今年も梅雨の季節になりました。最近、気候も毎年のように平年並みからのブレが大きくなっているようにも思いますが・・・箱根の火山性地震に続いて、地理的には遠いとは言え、口永良部島が噴火、そして小笠原沖の深発地震・・・。自然の力の方は人間の力ではどうにもならないことですが、世の中は静かに事態を見守りながらじっくり考えているだけでは生きていけない時代になってしまったのでしょうか?私たちの祖先は自然界の多くの現象を神のなせる業として受け入れてきました。自然界に生きる動物たちも神の使者や恵みとして大切にしてきたようです。

明治になって西洋の思想や習慣が入ってきて人々の考え方も少しずつ変わってきたように思いますが、今になって考えてみると両親よりも祖父母の方がずっと信心深かったし、ご先祖さまや昔からの家風を大切にしていたように思います。私の両親は戦争をはさんで人々の考え方や価値観がすっかり変わってしまった昭和という時代をまるごと生きた世代なので、祖父母よりずっと人はみな平等という意識が強く、非科学的なことに関してはやや懐疑的でした。そんな親に育てられた私はもっと現実的で非科学的なものを信じることはほとんどできませんでした。

でも、最近は日本人が昔から何を信じてきて、これからの時代に何をつなげていくのだろうと思うことが多くなりました。インターネットで世界中がつながる時代になりましたが、過去の人々の暮らしの様子を少しずつ紐解いていくことが未来への大きな挑戦につながっていくのではないかと思っています。

さて、本題に入ります。今回は磯田道史氏の「江戸の備忘録」です。前回の記事の三浦しをんさんの「舟を編む」と同じ書店で、同じ時に購入しました。何となくという程度なのですが、正直なところ、私はこちらの方が先に気になっていて、こちらもご縁かなと思い、2冊とも手にとってレジに向かった次第です。

これは小説とは違うので、一気に読むという感じではありませんでしたから、少しずつ読みました。その方がよく覚えていられるからですが、どの話もなかなか面白かったです。
歴史を学ぼうとしている人々にとってはちょっと休憩して、デザートをいただくようなものかなと思います。
江戸と言っても厳密には江戸時代ではなく、信長の時代から漱石くらい(つまりちょうど100年くらい前)までの話です。朝日新聞の土曜版に連載されていたものがもとになっているそうなのですが、歴史の流れに沿っているのではなく、歴史上で活躍した人物のちょっとしたエピソードや、庶民の暮らしぶりまで、現在の日本人の生活習慣にも通じるようなところもあって、納得したり、驚いたり・・文章が軽快なので読みやすいです。

その中で印象に残った話を少し紹介したいと思います。

江戸幕府を開いた徳川家康は水泳にうるさい教育パパだったそうです。どんなに偉い大将でも戦場から逃げる時、乗馬と水泳だけは家臣に代わってもらうわけにはいきません。「大将のつとめは逃げること」、確かに命を失っては何もできません。260年以上にわたる長期政権の基礎固めをした大将らしいと思いました。その為、家康の子や孫たちは皆生半可な泳ぎの腕前ではなかったとか。

大田垣蓮月のエピソードはちょっと微笑ましく思います。蓮月と言えば幕末の尼僧で絶世の美女と言われた人ですが、焼き物と共に多くの和歌を残された人物です。私も書展などで蓮月の和歌が書かれた作品を目にすることが多く、そのうち蓮月の和歌の作品にも挑戦してみようかと思っています。

蓮月は2度の結婚の後、僧になりますが、美しすぎて男に口説かれたため、わざと歯を抜いて醜くなるほど、激烈な女性だったそうです。しかし、やがて、たいへん穏やかな慈悲深い尼僧になり蓮月に助けてもらったものは相当な数になったようでした。
幕末、アメリカの黒船がやってきた時。京都に住む六十過ぎの蓮月は別に外国事情に詳しいわけでは
なかったけれど、皆が「攘夷」を叫ぶ中、アメリカの来航が「将来の日本にとって必ずしも悪いことではない」と予見したそうな・・・。
蓮月の和歌は何とも冷静・・・

「ふりくとも 春のあめりか 閑(のど)かにて 世のうるほひに ならんとすらん」

つまりこれは<攘夷、攘夷って騒いで敵視しなくても、もしかしたらアメリカがこれからの日本の世の潤いになるかもしれませんよ >ってことでしょうか。

また幕末の新政府軍が江戸攻めに出発したころ西郷のもとに女の筆で和歌がしたためられた短冊が届いたとか・・

「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国(みくに)の人と思えば」

鳥羽伏見の戦いで野辺に死体が転がっていると聞き、西郷に直訴した七十八歳の蓮月さんの歌です。


この本には歴史上の人物だけでなく占いや幽霊の話も出てきます。21世紀の現在からみると随分非科学的だと思えるのですが、それでもなんとなく信じたくなるような・・・。

なんだか磯田先生の人生観も垣間見られるような、それでいてさらにもうちょっと詳しい本が読みたくなるような歴史の窓口みたいな感じでもありました。

キリスト教は邪教です! 現代語訳{アンチクリスト」

2015年02月13日 | その他
早春のやわらかい陽ざしにちょっと心が和むこの頃です。とは言え、日が沈んだ後、満員電車から降りて通りに出ると急速に身体が冷気に包まれ、冬がまだしっかり居座っていることを感じます。

さて、今回はニーチェの「キリスト教は邪教です!」。去年亡くなった義父の遺品の中から見つけました。手にとってみてまず「何だろう?これは?」くらいの感じでしかなかったのですが、新書版だし、著者があの大物思想家のニーチェ(といっても彼の著作は全く読んだことがありませんでした。)ということに一瞬興味を持ちました。

ニーチェの名前だけは高校生の時から知っていましたが、当時は哲学と聞くとなんだか遠い世界の実体のない読み物のような気がして読破しようという気持ちにはなれませんでした。パラパラとページをめくると何だかわかりやすそうな普通の言葉で書かれています。今なら少しは何か発見があるかも・・・そんな気持ちで読み始めました。
これは1888年にニーチェによって書かれ、1895年に出版された「アンチクリスト キリスト教批判の試み」の超訳です。

果たして・・・・第一印象は・・・「おじいさん、けったいな本読んではったんやな!」思わず家族にそう言ってしまいました。

確かにちょっとヘンな本です。でもなかなか面白いところもあります。超訳という言葉通り、訳者の適菜収氏の見解なのでしょうけれど、それを承知で読めばニーチェとはどんな考え方をした哲学者なのか凡人の私にもほんの一部が見えてくるような気がします。

宗教とは一体何でしょう?私たちは日々の生活の中で神の存在をどのくらい意識しているでしょうか?
それは、宗教と結び付くものなのでしょうか?
「困ったときの神だのみ」なんてよく言われますが、お釈迦様や天照大神を意識したりするでしょうか?

私は20代の頃から、仏教やキリスト教だけでなくイスラム教やヒンズー教などいろいろな宗教を信仰している人々に出会ってきました。イスラム教のラマダンやヒンズー教の食事に関する厳しい戒律をしっかり守っている人々にも出会いました。でも、キリスト教の熱心な信者であるという欧米人には身近では出会ったことがありません。すでに半世紀以上生きてきた欧米の友人たちの多くは、「子どもの頃は家族で教会へ行ったけどね。」と言いますが・・。21世紀の現在、日本ではキリスト教の人は依然少数ですが、かつて欧米の植民地であった国々でもキリスト教は広く信仰されているようです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ニーチェは19世紀後半の社会を鋭く批判しています。訳では「近代」とされていますが・・・。

つまり、古代ギリシア・ローマの文化をキリスト教は破壊し、中世ヨーロッパは、キリスト教の価値観に支配され、人間性が失われていました。それを14世紀の終わりにイタリアで発生した革新運動ルネサンスが取り戻してくれたはずでした。ところが、<これを再びキリスト教・・・高級な人間とされた僧侶たちが、神学者たちによって変形させられた哲学が、破壊しようとしている。>という意味でしょうか?
ニーチェはイエスを否定してはいません。イエスの教えはその弟子たちによってゆがめられていったとあります。
ところでニーチェは仏教については、批判していません。むしろ良い点を指摘しています。でもそれは、ニーチェが現実に仏教に触れていなくて書物だけの知識から得た情報だったからではないかと思います。確かに仏教といえども、ニーチェと同じ観点に立ってみれば、信仰という名のものにとんでもない商売を行っている僧侶や仏教関係の業者が存在するからです。

ニーチェは「信仰によってしあわせになることはない。」と言いきっています。「キリスト教は信仰を利用している。」理由はこの本に書いてあります。長いので省略しますが、これは正しいと思います。

「教会は精神病院。いつの間にか世界中が精神病院だらけになってしまいました。」考えようによっては、ずいぶん乱暴な言い方です。

またニーチェは民主主義も批判しています。
団塊の世代の後を追うように学校教育で民主主義をたたき込まれてきた私です。
「民主主義のどこが悪いの?」と言いたくなるところですが、ちょっと長く生きてきた所為か、最近は民主主義には危険な要素もたくさんあることを知っていなければならないことを感じています。

ニーチェはパウロやカソリック教会だけでなく、私たち日本人も歴史の教科書の宗教改革でお馴染みのルターをも徹底的に批判し、最後までキリスト教は病気だと言いきって終わります。

ニーチェはこの「アンチクリスト」を執筆した翌年から、精神錯乱状態に陥り、その後母と妹の介護のもと11年生き延び1900年に亡くなったそうです。

本当のところはどうだったのかわかりませんが、これだけキリスト教を大胆に切り込んでいった思想家ですから、世間の風当たりは相当なものだったように思われます。
当時の社会を懸念する強烈な思いが伝わってきます。

古今東西、人間の歴史を振り返ってみると、そして、現在も尚、政治や宗教の世界に限らず、人間が作り出す社会というものはかならず利害関係が発生し、時には戦争にまで発展します。

ニーチェの思想が現在までずっと人々に影響を与え続けたことを思えば、私たちはずっと警鐘をならされていることになるのかもしれません。



私だけの仏教   あなただけの仏教入門  玄侑宗久 著

2014年12月10日 | その他
12月の上旬だというのに日本列島に厳しい寒波がやってきて、今まであまり聞いたことがない地域まで雪がたくさん降って驚いています。今年1月の関東を襲った大雪を思い出します。異常気象と言われていますが、夏の大雨と言い、台風の大きさと言い、何度も来るので、一体異常と呼ぶ基準はどこにあるのかさえわからなくなります。今盛んに言われている、地球温暖化、つまり二酸化炭素の排出量に関係があるのでしょうか?
 最近は科学の力で気象をコントロールする話まで持ち出されるようになりました。

でも、自然現象にどこまでも太刀打ちしようとすることは、なんだか人間のおごりではないかと思えでくるのですが・・・。

さて、今回はそんな科学の世界とは今となってはやや相反する宗教の話です。

私自身、非科学的なことはあまり信じない性質ですが、両親や義父の葬儀はすべて仏式で行いました。家族の中の暗黙の取り決めみたいなものに逆らう気はなかったので、義母と葬儀会館やお寺の和尚さんの指示に従って動きました。
ただ、これからは、義父の法事は私たちが中心になって取り行わなければなりません。お寺の和尚さんや仏具店の方々と接していくうちに私自身仏教に関してあまりに無知なこと実感しました。

とりあえず、もう少し勉強しておこう!そんな気持ちでいた時に偶然玄侑さんのこの本(電子ブックではなく、文庫本です。)に出会いました。玄侑さんの作品は以前このブログでも「中陰の花」を記事にしたことがありましたので、ちょっととっつきやすいかなという感覚でした。

<ヴァイキング式であなただけの仏教をみつけよう>という見出しに心が動きました。
「えっ!仏教を食べるの?まさか!」・・・「南無阿弥陀仏!」思わずそういいたくなるような・・・

ああそういえば、アメリカ人やカナダ人のキリスト教徒の人がなにかハプニングに見舞われるとよく「ジーザスクライスト!!」(キリストさま)と連発していたことを思い出しました。

何だか、念仏が急に身近に感じられるようになってきました。
宗教は多くの人にとってやっぱり心のよりどころなのでしょうか?

ここでは仏教の創始者釈尊(お釈迦様)に始まって、仏教の歴史が簡単に語られています。日本にたくさん宗派があるのもなるほどという感じです。

小さい頃から、「この世で悪いことをすると死後は地獄に落ちるよ。品行方正にしていれば
極楽浄土へいけるよ。」と聞かされてきました。一般民衆がこんな教えを信じて守ることができれば、世の中の秩序は保たれます。古今東西、根本的なことはあまり変わらず、他宗教でも似たようなことが言われてきました。でも、現実に生きる私たちは無数の煩悩に取り囲まれ、善いことだけして生きていくことはたいへん難しいことです。

僧とは清く正しく、戒律を守り、厳しい修行を重ねた大変な人徳者であるとある年齢までは信じでいました。
ところが、実際には玄侑さんも書かれているように結婚している和尚さんは多いし、お酒に強い和尚さんもたくさんいらっしゃいます。


<ありとある悪をば なさず 善なるを おこない そなえ
 みずからのこころを 浄む これぞ実(げ)に  諸々の仏の教え>

もともと何が善かと考え始めれば本質的には流動的なものであるので、時代によって変化するものもあります。人を殺したり、物を盗んだりしてはいけないというのはかなり普遍的なもので、誰にでもわかることです。これは「戒」の中に含まれます。その他いくつかの戒律について考えていくことで生命力の向かうべき方向性、やがて瞑想による精神統一「禅定」へ「禅定」の中で人は「智慧」を獲得します。

釈尊の死後、弟子たちによって仏教が広がっていく過程で枝分かれしてたくさんの宗派が出来、キリスト教なら聖書にまとめられるような経典が仏教では幾つもできてしまいました。今では膨大でありすぎるため、一冊で仏教がわかる本など到底ありえないってことでしょうか??

現在は主に十三の宗派があります。玄侑さんは日本の仏教は奇形であると言及されていますが、人間の歴史が為政者と民衆の善と悪のせめぎ合いであることを思えば、その時代の人々を救うためには時代に即した考え方が出現しても不思議ではありません。


仏教について無知な私にも概要についてはわかりやすく解説されているので、少しだけ切り開くことができたような気になりました。やはりこれは哲学のようなものでしょうか。これからもう少し、いろいろな宗派のことも勉強して全体像をつかんでから、我が家の宗派について学んでいこうと思っています。

私だけの仏教・・・それはみんなひとりひとり受け入れられるものも消化の仕方も違うってことですね。信心深いとは言えない私ですが、納得できる部分もいろいろ見えてきて、とりあえず写経するときの心構えも少し変わりそうです。

戦争と平和 吉本隆明 著

2014年08月08日 | その他
今年もまた、気候の変化が大きく西日本は大雨、関東は猛暑続きの厳しい夏となりました。日中はうんざりするほどの暑さですが、早朝、朝露に濡れた草花を見ると、わずかな時間ながら、すがすがしさを感じます。

さて今回は吉本隆明氏の「戦争と平和」です。実はこの本はしばらくの間本棚に積読状態だったのですが、安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定以後、どうも腑に落ちない物を感じて、戦争を経験した人々は憲法9条や自衛隊をどのように考えているのか改めて調べてみようと思い、手にとってみた書物の一冊でした。

読み始めてみたら、表題に関する部分は全体の三分の一ほどで、あとは近代文学についてと川端要壽氏による回顧録でした。
後半部分は、吉本隆明氏の私生活に関することですが、私は吉本氏については吉本ばななさんが娘さんだということ以外はほとんど知らなかったので、それなりに吉本氏の人間的な温かさに触れる部分もあり、興味深く読むことが出来ました。

ここでは、前半の「戦争と平和」について考えたいと思います。
この部分は「戦後50周年記念講演」を収録されたものです。

吉本氏は昭和20年3月10日の東京大空襲の日、葛飾からそれを見て、翌日、月島まで焼け跡を歩かれたそうです。吉本氏は私の両親とほぼ同世代です。ですから、これを読みながら私は戦争を体験した今は亡き私の両親の戦争の話を思い出していました。私の母も東京大空襲を間近に見た一人でした。空襲の恐ろしさや焼け跡を歩いて負傷者の救援に行った話を子供のころ何度も聞かされました。それに反して、戦場に送られた父が戦争の体験を最初に具体的に話したのは、娘の私にではなく、孫たち(私の子供たち)に でしたが、戦後半世紀を過ぎてからでした。父の従軍記や回顧録、出征と復員前後の日記を見たのは父の死後でしたが、今思うと、父もまたずっと戦争について考え、次の世代にどう伝えるか考えていたように感じます。

話を元に戻します。吉本氏の話は「戦争というのはいったい何なんだ!」ということから本題に入ります。
「戦争というのは、要するに国と国とが戦いの状態に入って、両方の国の、あるいは複数の国の民衆は兵士となって戦いの先頭に立つ。そしてどちらかが勝ち、どちらかが負けるというのが、誰でもわかる一般的な戦争の考え方です。」

そこからいろいろな戦争に対する考え方が示されて、国家のリコールへつながっていきます。
「政治的な国民のリコール権、つまり国民主権の直接行使という条項を憲法の中に設けることが、僕に言わせれば戦争を防止する最後の課題になっていく。」これは読み進めるほど反戦という観点からは理想的な提案かもしれないけど、社会の支持は得られるだろうかと考えると厳しいのではないかという気がしてきました。

この講演が行われた時代は戦後50年です。自衛隊は憲法9条の制約により設立直前1954年に自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議がされたにも関わらず、1989年の冷戦終結と1991年の湾岸戦争勃発により、国連の平和維持活動(PKO)に参加するようになりました。ちょうどこの問題について世間では論議を交わされていた時代でした。

しかし、今年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定はこれをさらにはみ出しています。ひとつの政権が憲法の解釈を時代という武器を盾にして変えってしまったことになります。吉本氏がご存命であったらなんとおっしゃられたでしょう。

今年7月1日の閣議決定から一ヶ月、あれほど大騒ぎしたマスコミも次々に起こる出来事に忙殺され、関連記事も新聞の片隅にすら出なくなりました。私はそうやって人々の関心が変化していくことの方が、怖いと思います。

2014年、人々は日々、洪水のように押し寄せる情報の一部をほんのちょっと受け止めて、あれこれ言っているうちにまた次の情報に押し流され、なんか変だなあと少しは思うことはあっても次第に洗脳されマヒしていくようなことがあまりに多いのが現実です。

吉本氏の考え方はかなり理想論という感じではありますが、人間としては正直な理論のような気がします。
それを読んで自分自身の考え方をどう確立していくか・・・これはひとつの参考書になるのかもしれません。

私の両親が子供や孫たちに戦争や歴史の話を伝えたように、私もやがて、孫たちに両親や社会の先輩たちから聞いた戦争や歴史を正しく伝えたいと思っています。


驚くべき日本語  ロジャー・パルバース 著  早川敦子 訳

2014年07月04日 | その他
各地で集中豪雨に見舞われています。首都圏でも今年の梅雨は熱帯のスコールのような降り方で持っていた傘がほとんど役に立たないほどずぶ濡れになることが続けてありました。今年の梅雨は長いという予報がでているようですが・・・。

世間では安倍政権の集団的自衛権の行使容認の閣議決定で物議を醸し出しているこの頃です。何だか憲法改正なくして解釈だけが変わるというのは腑に落ちません。ひとつの政権が解釈を変えてもよいことになってしまったら、今後大変なことになってしまいそうな気がするからです。ところで、これって、日本語にも問題があるのでしょうか?英語だって構成は簡単な文章なのに解釈の難しい文章はよくお目にかかるように思いますが「日本語の曖昧さはとても難しい」と日本語を母語としない友人たちに何度も言われたことがあります。

安倍政権が大きなスローガンにしている経済政策の方は、今年4月からの消費税増税の一方、法人税の減税が検討されています。政府の狙いは法人税を下げて企業の設備投資や外国企業の誘致による経済の活性化のようですが・・・。少子高齢化の日本では、これからは外国人の労働者が増えることが予想されます。そうなれば、いくら、日本人の日本語力が下がっても、英語を使える日本人が増えても、当然ながら日本で暮らす外国人が増えれば日本語を使う人の人口は増加することになります。

それとも、ロボットの導入が進んで高齢化社会に対応できるようになるのでしょうか?それにしても、
ロボットが高齢者の日本語を理解し、必要に応じて返事をしなくてはなりません。これからの社会が目指しているもの、私たちが高齢者になった時、介護ロボットとしての役割を果たして欲しいものは鉄腕アトムのような人間の感情までもある程度理解できるものなのです。

そんなロボットを作成する人々にとって、言語、つまり日本人が使う日本語の仕組みを正確に解析していかなければなりません。問題は、言語の解析から人間の感情や感覚にどれだけ迫ることができるかです。それは、大人になってから外国語を効率よく学ぼうとする時、文法を学ぶことと似ているような気がします。

そんなことを思っている時、偶然出会ったのが、「驚くべき日本語」でした。日本語を母語としないパルパース氏が英語などの他の言語と日本語の違いや特徴などをとてもわかりやすく解説されていて、たいへん興味深く読むことが出来ました。

というわけで、前置きが長くなりましたが、今回は、ロジャー・パルバース氏の「驚くべき日本語」です。前回の記事の「日本語が亡びるとき」の英語圏で長年暮らされた水村氏とは対照的に、日本語を母語とせず20歳過ぎから長年日本で生活されていらしたパルバース氏の日本語や日本に対する見解が書かれています

20歳を過ぎて新しい言語を習得することの難しさは嫌というほど感じてきた私ですが、考えようによっては、聞いたり話したりするだけなら、最近はスピードラーニングなどの教材の普及でかなりのところまで到達することができる人も多いと聞いています。

日本語も同様、聞いたり話したりするだけなら、もうかなり以前からそれほど難しくない言語だということを、外国籍の友人たちが言うのを聞いていました。但し、漢字文化圏以外の国の人々にとって、大人になってから新聞を読んだり、日本語の記録文や手紙を書いたりするための漢字習得はかなりの根性が必要のようです。パルバース氏はまず日本語が他の言語に比べて比較的簡単な部分に着目することで、日本語が如何にわかりやすい言語であるかを説明しています。

ここでは日本語の特徴について細かく書かれています。そのひとつひとつについては多少反論したい部分もあるのですが、日本語の魅力がとてもわかりやすく丁寧に説明されています。私たちが何気なく使っている擬態語つまりオノマトペの世界・・・日本人なら当たり前すぎて見過ごしてしまいそうな驚きは逆に新鮮さを感じました。母語でないから感じる音の世界の不思議さなのでしょうか?

最後の吉本ばななさんのエピソードやパルバース氏の家の中の会話のエピソードには思わず苦笑しました。私も海外生活をしていた時はパルパース氏と同じような体験をしたからです。

それは「郷に入っては郷に従え」と言うところでしょうか。我が家の会話も長い間、二つの言語がいつもごちゃ混ぜ状態でした。最近は、ずっと日本で生活しているので、英語の文章の方は何かを強調したい時にしか使わなくなりましたが…。

30年前に比べたら、日本語を話す外国人は大変多くなったと感じます。もちろん日本語もすいぶん変化したように思います。最近は来日した海外の友人に私が「これは英語(中国語)でなんて言うの?」と尋ねるのではなく「日本語でなんて言うの?」と聞かれる方が多くなりました。

この本を読むと日本語は健在かな?と思います。でも、何だか宮沢賢治をもう一度本棚から引っ張り出して読んでみたくなりました。

日本語が亡びるとき  水村美苗 著

2014年05月17日 | その他
暑かったり寒かったり気候変動の激しい日々が続いているこの頃です。エルニーニョ現象による冷夏が予想され、経済の冷え込みが懸念されると報道されていますが・・・。

さて、今回は水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」です。

現在は認知症と歩行困難の為、施設でお世話になっている義父がまだわずかな介助だけで、自宅で生活していたころのことです。ある日、義父が私に「ここにある本はどれでもいいから好きなのを持っていって読みなさい。」と言いました。義父は大変な読書家で、書斎の壁面は机以外すべて本棚という状態で、夥しい数の蔵書に取り囲まれていました。しかもほとんどの本に赤線や書き込みがあり、根っからの学究肌のようでした。難しそうな本が多い中、比較的新しそうでちょっと「えっ、何?」という印象を受けたこの本を手にすると、いたるところに赤線が引いてありました。見ると2008年10月発行になっています。「このころ義父はまだ、読書三昧の日々だったんだな。」そう思いながら、赤線が引かれた部分を読むうち、本全体の内容そのものに興味が湧いてきました。

実際、読んでみると久しぶりにかなりずっしりとした読み応えを感じました。英語圏で生活した経験を持つ私にとって、この本は共感する部分が多かったです。12歳からアメリカで暮らし、英語社会の中で日本語もしっかり読みながら、青春時代を送った水村氏の人間の言語への深い追求心のようなものがひしひしを伝わってくるようでした。

読み進めるうちに「日本語とはどんな言語なのだろう?」「これからどうなっていくのだろう?」そんな疑問が改めて湧きあがってきました。

さて、この本で水村氏は、言葉について普遍語、現地語、国語という概念を中心に展開しています。普遍語は学問の言葉です。古くは、漢文圏では漢語、イスラム圏ではアラビア語、ヨーロッパではラテン語でした。人類が叡智を得るのに適した言葉ということです。
現地語は人々の母語であり、国語は「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」です。

ところで日本語は漢文に対して「現地語」でしかなかった歴史を持ちながら、やがて成熟した文学を生みだす成熟した言葉になっていきます。それは大陸からの程よい距離、つまり地理的な近さでもあり遠さでもあることが日本固有の文化を花開かせたということでしょうか。

明治維新以後は、植民地となる危機をのがれ、日本語は国語として成立します。明治の初めは日本語教育も模索の時代で英語公用論も出たことがあるそうです。

漱石は、そんな開国時の危機感から抜け出し、近代国家として歩み出した時代に活躍した作家です。この時代の多くの作家たちが優れた近代日本文学を確立しました。

水村氏はこれについて、「日本は近代に入って西洋から受けた衝撃は<有史以来>の強烈なものであった。それは日本に曲折強いた。・・・でもこの曲折を強いられた結果から面白い文学が生まれた。」と言っています。さらに西洋語の翻訳で新しい日本語が定着します。

そこまでわかった上で改めて漱石の文章を読んでみると確かに、近代文学という気がします。
尾崎紅葉の金色夜叉は古文です。(この本で、金色夜叉が英語の娯楽小説の焼き直しであることが2000年に発見されたということを初めて、知りました。)

ところで、漱石の文学は日本語のわかる外国人の評価は高いが、日本語のわからない外国人が翻訳ものを読んだ時の評価は低いとこの本にもあります。確かに私もその通りだと思います。それだけ漱石の日本語は翻訳が難しいということでしょうか。

わたしが海外生活をしていた時に出会ったヨーロッパ人の中に日本文学愛好者が何人かいました。当時一番人気は三島由紀夫、次は川端康成。漱石の名前は聞いたことありませんでした。(現在なら一番人気は村上春樹なのかもしれませんが・・・。)

千年前の源氏物語も世界で高い評価を得ています。

この本を読んでもう一つ・・・ブリタニカのJapanese Literatureでドナルドキーン氏が「世界で最も主要な文学のひとつであり、それが「英文学に匹敵する」と紹介されていることを知ったのは私にとって新しい発見でした。

ところが今、インターネットの出現により、母語でない人も含め世界中でもっとも多くの人々が使う英語が世界の普遍語になりつつあります。
確かに私も英語のサイトならかなり見ています。今や世界中の人々と交流できる英語はネット上でも、世界各地を旅する時も最も重要な言語です。

世界中の非英語圏の人々が英語に吸い込まれていく時代の到来です。

日本は8世紀から「自分たちの言葉」の文学を持っていました。その間ずっとすぐれた文学が絶えず生み出されてきたのです。

水村氏は紫式部のこんな歌を紹介しています。

年暮れて わがよふけゆく 風の音に こころのうちの すさまじきかな

わずかな文字数の中にしみじみとした世界観が広がる短歌や俳句は、もっとも手短に日本文学の奥の深さを感じさせてくれます。

改めて、日本語について深く考えるきっかけとなった一冊でした。

1食100円「病気にならない」食事  幕内秀夫 著

2014年05月07日 | その他
緑の美しいさわやかな季節です。でも、連休後半の首都圏は季節が逆戻り、若葉寒でした。

さて、今回は幕内秀夫氏の「1日100円 病気にならない 食事」です。「粗食のすすめ」で、有名な幕内先生の本はもう10年くらい前から何冊か読んだり、料理のレシピ集として手許においたりしながら我が家の食生活の参考にさせていただいていました。夫も幕内先生の考え方には大いに賛同していて、我が家では「幕内ワールド」と言ってしばしば話題になります。

健康な人(特に胃腸が丈夫な人)は、もし毎日の食生活に問題があったとしても、少しでも調子を崩すまで、その問題に気づくことはほとんどありません。人間の体が内部から発信する何らかの苦痛は、体が異常のメッセージを送っているのだと気づいた時、初めて、どうすればよいか考えるようになるのではないでしょうか。

この本は、日本の高度成長期を経て、少しずつ変化していった日本人の食生活を振り返りながら、人間特有の「快楽の食事」に対する反省と「美食の追及」の狭間で、「現代の日本人が生きるために必要な最低限の食事とは何か」を改めて考えるためのメッセージのような気がします。


「快楽の食事」は体を疲れさせる・・・この言葉に納得できる中年以上の人は多いと思います。質素な和食こそ私たちの健康維持には大切なことなのです。

でも、実生活では、ジャンクフードを我が家からすべて追放するのは至難の業です。いわゆる精製された砂糖・塩・油脂・うま味調味料の4つの「マイルドドラッグ」は市販のスナック菓子やチョコレートにも、ケーキやジュース、缶コーヒー、乳飲料にも含まれているからです。増加する糖尿病や肥満はほとんどの場合、質の悪いジャンクフードの食べ過ぎが原因のようです。

ごはんとみそ汁と漬物と小さなおかず・・・今年4月からの消費増税を考慮しても計画的に調理をすれば確かに一人1食100円に近い食事も可能かもしれません。(米やみそや醤油などの調味料などすべてをスーパーで販売している製品の中で一番安いものを使った場合ですが・・味噌や醤油や素材の質にこだわれば当然コストが上がります。)もっとも多くの家庭の主婦の場合はまず先に家の買い置きの食品を無駄なく工夫して使いきることの方から始めればしばらくは工夫次第で100円以下でも十分できるかもしれません。質素な食事を楽しく作ることができればよいわけです。その家の経済状態にもよりますが、あとは「快楽の食事」の誘惑とどう戦うかです。

難しいことはほとんど書かれていません。21世紀初頭の日本のスーパーやコンビニを利用することが可能な土地に暮らす人なら誰もが、工夫次第で実に経済的で健康的な食事が出来るということです。

遺伝的には糖尿病の因子をもっているかもしれない私ですが、今のところはまだ肥満や糖尿病とは縁はなさそうです。調味料など料理の素材にもう少しこだわれば見かけは質素でも1食あたりのコストは上がります。基本的にはマイルドドラッグを避けた材料で、幕内ワールドの食事を参考にしながら料理をしています。でも1か月に1~2回は、ちょっとぜいたくな肉料理も作り、ケーキも食べ、外食もする、スーパーやデパ地下のお惣菜も買うという快楽の食事も完全に断ち切るのではなく・・・時にはちょっとだけ・・・つまりストレスは溜めない健康的な食生活を目指すことが今の私にとっては理想のような気がします。

これは同世代よりむしろ若い人たちに是非薦めたい本だと思いました。

日本の女帝の物語    橋本治 著

2014年03月06日 | その他
この冬は関東でも大変な大雪に見舞われましたが、まだ寒い日が多いとは言え、桃の節句も過ぎて何となく陽射しも春めいてきました。さて今回は橋本治先生の「日本の女帝の物語」です。

これは推古天皇から孝謙天皇までの飛鳥奈良時代の6人の女帝と聖武天皇即位の背景について書かれています。

もっとも有能な女帝と言われる持統天皇ですが母としての強さが浮かび上がります。草壁皇子の子つまり孫である文武天皇即位のために自らがまず即位したということのようでしたが、天皇としての権力を築いていきます。そして日本で最初の上皇は持統天皇でした。

以前このブログでも記事にした永井路子氏の小説「美貌の女帝」を読んで元正天皇とその母である元明天皇の即位の背景や長屋王の事件についてはその後少し調べてみたりしていたのですが、この本は小説ではないので系図と実際に起きたと思われる歴史上の事件に基づく考察という点では非常に興味深いものでした。天武天皇と持統天皇の息子である草壁皇子の妻であった元明天皇、その娘の元正天皇の即位は将来の聖武天皇の即位の為であったにもかかわらず、父方をたどれば天武天皇の孫である長屋王にも即位の危険性を持たせてしまったというねじれ現象についての見解はなるほどと思いました。

ですから女帝ではありませんが奈良の大仏建立で小中学生のころから教科書にも登場して名前だけはお馴染みの聖武天皇は祖母(元明天皇)と叔母(元正天皇)と娘(孝謙天皇)が女帝で系図上の鍵となる人物です。

天武天皇の孫の長屋王の妻は持統天皇の孫であり草壁皇子と元明天皇の娘の吉備内親王です。系図で見ると即位の可能性もないとは言えなかったのです。聖武天皇の母は臣下である藤原氏の娘であり、光明皇后もまた藤原氏の娘なのです。ですから聖武天皇の時代に天皇家の娘でなければ皇后になれないという形体が崩れます。

次に続く孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘です。皇太子となり帝王教育を受けた孝謙天皇は周囲の陰謀と権力者の孤独の中で強権を発し、さらにねじれた社会が続きましたが53歳でこの世を去ります。孝謙天皇は独身であったので子供はなく以後長い間女性天皇は出現しませんでした。

橋本先生は最後に<男にとって「女の心理が」が難しいのと同様に女にとっても「世の中を構成している男達の心理」は難解だということです。女が上に立って、「世の中を構成している男達」を「なんてバカなのかしら」と思ってしまえば、その時から彼女は「エゴイスティックな権力者」になります。そして「女だって権力を手にしていいんだ」という、その「エゴイスティックな理解」が女達の間に当たり前に広がっていけば世の中はいくらでも騒がしくなるでしょう。それは現代にも通用する「真理」であるのかもしれません。>と結ばれています。

確かにそうなのですが、橋本先生の<・・・>の部分の男と女の文字をすべて「人間」に入れ替えても同じ理論が発生するような気がします。つまり、男と女の心理に平均的な違いは絶対存在するとは思いますが、現代は民主主義における自由と平等の社会だからこそ、もっと複雑な心理が公民権を得ようと新たな騒がしさが生まれてきているのかもしれないと思うからです。

それはともかくこの本は古典を読む上での基礎知識としてはたいへん参考になりました。古代の日本で大和朝廷が確立していく過程の複雑な権力争いの渦中に生きた人々のことを思うとこれからは万葉集の歌も新たな視点で捉えることが出来るかもしれないと思います。


青い月のバラード  加藤登紀子 著

2014年01月14日 | その他
おくればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末から年始にかけて目の回るような忙しさの日々でしたがどうにか一段落と思って今日はやっとPCに向かうことが出来た次第です。本当に今回は久しぶりの更新となってしまいました。

さて、今回は加藤登紀子さんの「青い月のバラード」です。
去年の秋、義父母の家で偶然、登紀子さんが歌っている姿がテレビに映し出されているのを見て、急に懐かしく感じられました。(ここ最近、テレビ番組を見ることなどほとんどありませんでした。)

登紀子さんの存在を知ったのはもう40年以上前でしょうか。当時はまだ白黒だったテレビ画面で登紀子さんの姿を拝見した時、母が「東大の学生さんだそうよ」と言っていたことを思い出します。私はまだ小学5~6年か中学生くらいでしたがなんとなく強烈な印象があり記憶に残りました。そして私は登紀子さんのことをずっと自分の意志でしっかり生きていく素敵な女性として見てきました。

この本は登紀子さんが2002年に亡くなった夫の藤本敏夫さんとの出会いから結婚そして永遠の別れの日が来るまでを書かれたものです。
それは戦後の高度成長期の日本社会でたくましく生きてきた人生の先輩たちの物語のように感じられる部分もありますが、登紀子さんが一人の女性として結婚して子供を産み、家庭を築きながら、しっかりと自分の人生を歩んできた様子が感動的です。

私がまだ若かった時、登紀子さんの藤本氏との獄中結婚を知った時は、「あれまあ、大変な人だねえ。」と言った母の言葉を聞いて同意もしなければ批判もしませんでした。「そんな生き方もあるのかなあ。でも、勇気ある人だなあ。」くらいだったでしょうか。

私は藤本氏のことをほとんど知りませんでしたので、この本で初めて素敵な人だと思いました。ただ、本を読みながら、登紀子さんが結婚生活の中で、多くの女性が経験する悩みを同じように体験し、夫との関係を模索されていたことには、とても共感しました。

1968年、日本では明治百年と言われた年ですが、学生運動の全盛期、世界中でも大きな事件が起きました。プラハの春、チェコ事件、パリ5月革命、ベトナムの反戦運動も世界中に広がり、中国では文化大革命のまっただ中でした。翌年の安田講堂攻防戦はテレビでも放映されていたので、じっと見ていた記憶があります。

私がまだ子供で漠然と変わりつつある世界を見始めた頃、登紀子さんは藤本氏と出会いました。この本には藤本氏とともに登紀子さんが歩んだ人生が凝縮されているような気がしました。青い月のバラード 詩も素敵です。

老前整理  坂岡洋子 著

2013年07月16日 | その他
連日猛暑続きでしたが、今日は久しぶりにいくらか凌ぎやすい気温になりました。そろそろ夏本番?と思いたいところですが、我が家の近くでは子育て中のカラスが人を襲ったり(いつもならたいてい4~6月くらい)、蝉の鳴き声もまだほとんど聞こえてこなかったりで、生物の生態系にも最近の異常気象がなんらかの影響をあたえているのかなあと思ったりしています。

さて、今回は坂岡洋子さんの「老前整理」です。
最近、ある程度の規模の書店へ行くと必ずといっていいほど、片づけのハウツウ本のコーナーがあります。それほどまでに、現代の日本人はモノをたくさん持っていて、その整理に悩まされていることを感じます。
ご多分に洩れず、我が家もそのひとつであると自覚しております。そして、義父母の家はさらに上のまさにゴミ屋敷かそれに近い状態です。蔵書の数だけでも○トン級、着なくなった衣類や何年も使われていない寝具や座布団、以前は季節ごとに掛け替えていた掛け軸や置物なども箱に入れられ、あちこちの隙間に収納されたまま埃をかぶっています。つまり今本当に必要なモノの何十倍、何百倍もの使われていないモノに取り囲まれて生活しているのです。年齢を重ねるほど自分で整理することが難しくなることを感じます。

そこでもう数年くらい前から我が家を将来ゴミ屋敷にしないためにどうしたらいいか考え、思い切って何度も家の中を整理してきました。でもそのわりには、なかなかモノを減らすことが出来ず、減らしてもまたすぐ収納スペースがいっぱいになる生活を繰り返しています。

何冊もの収納のハウツウ本を買い、その通りにしようとしても何だかいつもどこかしっくりこないものを感じて、3日坊主でした。
かつて、何人かの友人には近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」(サンマーク出版)がハウツウ本としてはとてもいいと薦め、現在も若い人にはこちらを薦めています。

ただ、私と同世代かそれ以上の方々には坂岡さんの「老前整理」を薦めるようになりました。
この本を購入して約一年半になります。持続性を保つための動機づけとしてはたいへんわかりやすく良い本だと思います。

坂岡さんは最後にこう結んでいます。

「~若い人にとってのモノの整理は、片付けて幸せを手に入れるといったように、どことなく自分探しのような・・・。中略・・・・これに対し老前整理はそれまでの経験を元により濃密な時間を過ごすための凝縮の作業ではないかと思うのです。」

この本の中で私の片づけの動機づけになった言葉は「暮らしを軽くするという発想」です。「くらしかる」という名前はここから来たということが分かりました。

実はこの発想で80代後半の義母を説得し、義父母の家も義母の立ち会いのもと、義母一人ではほとんど不可能に近い片づけを少しずつ実行中です。というのも、このままでは、定期的に介護に来てくださるヘルパーさんにとってもモノが大きな障害となって迷惑をかけているからです。
無理はせず、本当に少しずつ、考える時間も必要なので、捨てる量は日常で出るゴミの量の他に大型のゴミ袋で1ヶ月にプラス10~15袋くらいにとどめています。まだまだ、気が遠くなるような話ですが、我が家に戻ると、反面教師を見てきたばかりなので、少しずつの片付けに拍車がかかります。

そんなことを繰り返しながら、たとえわずかでも自分自身の時間を有効に使えるようにするためには少しでもモノと心をシンプルにして、年々厳しくなってきた状況を乗り切ろうとしているこのごろです。

なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか  日高義樹 著

2013年06月20日 | その他
人類が放射線を発見したのは1895年といわれています。レントゲンがX線を、ベクレルはウランが発するアルファ線をその後キュリー夫妻がラジウムを発見しました。20世紀に入って科学は急速に進歩し1930年代には核エネルギーが発見されました。それは非常に短期間のうちに原爆の開発へと進み、1945年には、アメリカで3つの原爆が作られました。ひとつ目は1945年7月にニューメキシコ州の砂漠で実験用として使われ、残りの二つは広島と長崎に投下されました。

「何故アメリカは日本に二発の原爆を落としたのか」という長い題名を目にした時、アメリカ在住のジャーナリストの日高氏は日本人に何を伝えたいのかちょっと興味を持ちました。

戦争を知らない世代の私が初めて広島と長崎の原爆について認識したのは小学生のころだったと思います。当時、まだ白黒だったテレビでNHKの特集番組を見ました。そのころは幼すぎて放射能とか核エネルギーという認識はなく、何かとてつもなく大きな爆弾が投下されて日本はもうこれ以上人々の命を犠牲にできないということで無条件降伏し、戦争が終わったという認識だけでした。母は東京大空襲の恐ろしさを繰り返し語り、戦地へ送られた経験を持つ父は当時はまだ戦争の話をほとんど語りませんでした。
私が中学、高校生のころは東西冷戦、ベトナム戦争の真っ最中、アメリカの次は、ソ連、イギリス、フランス、インド・・・・徐々に核兵器を持つ国々が出現しました。

最近になって沖縄に核が持ち込まれていた事実が明らかになってノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理の非核三原則(もたず、つくらず、もちこませず)が真っ赤な嘘だったことが発覚したのは記憶に新しいところです。

さて、話を本題に戻します。
1945年4月12日、ルーズベルト大統領の死によって就任したトルーマン大統領は不人気であったといわれていますが「戦争をやめさせるために原爆投下を行い、多くのアメリカ人の命を救った。」と自らを宣伝し再選されたと言われています。この表向きの理由が戦後広くアメリカの人々の間で信じられ、原爆の正当性が語り継がれてきたようです。

「何故アメリカは日本に二発の原爆を落としたのか」
2~3年前、毎年来日しているアメリカ人の知人のAさんから、「トルーマン大統領が戦争を早く終わらせるために原爆を使用したというのはアメリカ国民に原爆使用の正当性をアピールするための表向きの理由で本当はそうではなかった」ということを聞いたことがありました。
「1945年7月には日本は降伏の意思を持っていたことを知っていたトルーマンは単にソ連にアメリカの威力を見せつけたかっただけだった。」といった内容だったと記憶しています。

原爆の開発を進めたのはルーズベルト大統領でしたが、1945年2月のヤルタ会談に出席したルーズベルトがその直後の4月に亡くなりました。当時副大統領だったトルーマンが就任し、その後ドイツが降伏、最終的に日本への原爆投下を決断しました。

日高氏はここでトルーマンの人間性について、そしてさらに踏み込んで白人が有色人種に対して持っている人種的偏見についても言及されています。事実、第2次大戦中の日系人の強制収容はその第一歩であったということです。

実際に私自身も1970年代後半から白人社会で生活してみて、当時、先に現地へ飛び込んで行った先輩の日本人たちから、またアジアやアフリカの有色人種の友人たちから人種差別の問題について嫌というほど聞かされたことがありました。つい最近でも白人社会で生活をした経験を持つ日本人の多くが何らかの形でこの人種的偏見が存在することを感じたことがあるようです。

この本を読み進めていくうちに指導者としてはふさわしくない人間が国の指導者になれば、時には重大な間違いを犯し、21世紀の現在なら人類すら滅ぼしかねないという恐ろしさを感じるようになりました。

日高氏はこの本の中でこんなことを言っています。
「1945年の日本の都市は焼き尽くされて、毎日大勢の市民が死んでいた。日本の降伏は目前だった。だがアメリカは兵器としての原爆の効果を実験するためもあって原爆投下を実施した。」さらに「この行為が人種的な偏見に基づいていたと批判されてもアメリカは反論できないだろう。」と言っています。

最後に日高氏は原発の問題や今後の日本がどうあるべきかを言及されていますが、この部分についていくつかは今の私は賛成できないので敢えてここでは書かないことにします。

ただ、21世紀の現在は2国間同志の問題もグローバルに絡み合っているかもしれないことが多いように思われます。でも、その調整に必要なのが、罪のない人々を巻き込むかもしれない武器であってはならないと思うのです。

わが母の記    井上靖 著

2013年05月28日 | その他
人は老齢期に達した時、あるいは病気やけがなどをきっかけに何かの拍子にふと人生を遡る旅にでることがあるのでしょうか?
そんな機会は誰にでも訪れるのではなくて、前々回の記事で書いたように超寿あるいは超人間の状態の時にのみ、誘われるものなのかもしれません。

今回は井上靖氏の「わが母の記」です。先日、同名の映画を先に見て、早速原作を読みました。
樹木希林さん主演の映画もとてもよかったのですが、原作とは登場人物の設定なども違いまた別の角度から井上氏の兄妹や家族とお母さまの八重さんとの関係を垣間見ることができたような気がします。井上靖氏は私が若いころ好きだった作家です。両親よりもむしろ祖父母に近い年齢の方なので八重さんは私から見ると私の曾祖母の世代の方ですが、老いは人間誰にでも訪れるもので時代を超えて普遍な人生の一部でもあります。

現在は義父母を介護する立場に置かれた私にとって、この本は身につまされる思いでもありましたが認知症を絶望と捉えないで向き合うため背中を押されたようでもありました。
井上氏のお母さまの八重さんは子どもたちがあれこれ協力してお世話していた近い過去のことはすぐ忘れてしまいますが、ずっと昔の若いころの淡い恋の話を孫たちに繰り返し聞かせます。八重さんの夫である井上氏の父のことはほとんど語らず苦労した話だけをします。それを井上氏は母が人生の塵が肩にかかってそれを背負っているといっています。
そして「塵というものはもしかしたら女の肩にだけ積もるものかもしれない。~中略~日々恨みでない恨みが妻というものの肩に積もって行く。そうなると夫は加害者で妻は被害者ということになる。」それは長い年月二人の親を見てきた子供だけが実感できることなのでしょうが、共感できる読者は多いのではないかと思います。そこで井上氏はご自身の奥様へ目を向けていらっしゃいますが、同じ状況でも男女間の捉え方の違いが存在することは確かだと思います。

私の義父は認知症です。数年前から、少しずつ、人生を遡る旅に出たようです。年齢とともに次第に過去へ遡っていく姿は、井上氏のお母さまの八重さんの姿と重なります。義父の旅には妻である義母もなかなかついていくことはできません。義母はつい最近まで、できる限りの理性を保ちながらかつては亭主関白であった義父の身の回りの世話をしてきましたが、次第に義母の理性も怪しくなってきました。ですからこの部分を読んだ時、義母の肩にかかった塵がもう限界にきていたのだと感じました。

最後は息子としてお母さまへ向けられた井上氏の思いが静かな余韻となって広がっていきます。

そして長い人生の中で、家族の中の変化していく人間の姿を改めて考えさせられる本でもありました。

子どもは判ってくれない  内田樹 著

2013年04月09日 | その他
世の中に「大人はわかってくれない」という子供の立場を主張した本や映画が存在することはなんとなく認識していました。でもこれは「子どもは判ってくれない」・・・何だかおじさんの愚痴みたいなユーモラスな題名に思わず「ウチダ先生らしいなあ」と苦笑したくなりました。

私は外出する時は、たいてい文庫本を一冊バックに入れておきます。電車の中や待ち時間に読むためです。ウチダ先生の本は最近私の本棚に増えてきました。積読中のものもありますが、本棚から本を選ぶときは(既読の本も同様)冒頭の数行を読んで今日の気分に合っているかを判断してからバックに入れます。

今回のウチダ先生の本もその習慣に従って決めました。
「長く生きてきてわかったことはいくつかあるけれどその中のひとつは<正しいこと>を言ったからといってみんなが聞いてくれるわけではない、ということである。」
これには全く同感!!
そのあと先生はイラク戦争について言及しています。あれから10年が過ぎて最近新聞などでイラク戦争の記事をいくつか読みましたが、今もずっと「あれはいったい何だったのだろう?」という想いが続いています。ジョージ・ブッシュを批判したところで、サダム・フセインの方はもうこの世の人ではないわけですから、あの時サダム・フセインが何を考えていたか、本当のところはもう永久にわからないわけです。ジョージ・ブッシュが言っていたほどの武器をサダム・フセインは持っていなかったようでしたし・・・。あと50年くらいしたら当時の機密文書の開示などによって、双方についての先入観のない人々の手でこの歴史的事実の真相が解明されるのかもしれません。

前置きが長くなりましたが、この本は確かに若い人へのメッセージであるとも受け取れますがウチダ先生の人生観が伝わってきます。いろいろと考えさせられるところがあり、一度読み始めると、引き込まれてしまいました。
ウチダ先生がおっしゃるような「本が私を読んでいる」という本についての表現は今までにないちょっと新鮮な感覚でした。読み手にとってハードルの高い書物は、「この本を絶対読みこなす」という意気込みがあるか、誰かの手前、読みこなさざるを得ないみたいなプライドかプレッシャーに動かされて読むか、でないとなかなか読みづらいものです。でも確かにこれができるのは若い時の方がエネルギーもあるし、挑戦しやすいかもしれません。年を重ねるとだんだん面倒になって背伸びしなくなりますからね。
若いうちは背伸びが進歩へつながり、世界が広がることが多いような気がします。

ウチダ先生の精神年齢の算出法には「なるほど!そうかもしれない!」と思ってしまいました。人生50年の昔と人生80年の今と比べたら、この本を執筆当時50代だったウチダ先生は32歳、大学の新入生は11歳くらいということになるそうです。つまり現在の実年齢に8分の5を乗ずるというわけですが、今の大学生は「たけくらべ」の「美登利」くらいということです。・・・実はこの部分を読んで、一瞬「なるほど」と思ったのですが、実はこれはウチダ先生が大変な警告を出していらっしゃることに気付きました。つまり、「日本人はなかなか大人になれない」ってことです。そしてこの本の題名は「実年齢が若い人というより、精神年齢が子どもの人が判ってくれない」という意味ではないかと考えるようになりました。

そう考えるとウチダ先生が考えていらっしゃる「大人になるとはどういうことか」を探していくことができます。

何かをしてしまった後悔よりも何もしなかった後悔の方が長い人生を苦しめることはたしかでしょう。私も先生同様、後から考えて「やらなかったこと」を後悔しそうなことをかたっぱしからやるということを生きる上でも基本方針にする生き方に大いに賛成です。

最後まで読み進めるとウチダ先生のあとがきに「二十歳のぼく自身が読んでもいいたいことが伝わるように・・・」とありました。

そこまで読んで思わず戻ってしまったページがあります。

これこそ、私たちの世代もこれからも簡単に解決できない大きな矛盾・・・憲法9条や領土問題、従軍慰安婦問題など・・国際政治にも関係するある考え方です。「精神年齢が子どものままこの問題に取り組んではいけませんよ!よく考えてくださいよ!」という暗黙のメッセージのようにも受け取れる箇所です。


韓国や北朝鮮、中国との問題の中で、日本は過去の植民地支配の反省が繰り返し求められています。しかし、戦争を直接経験していない世代が加害者の実感を心理的に受け入れることは難しいことです。
かつて、中国の王朝時代や日本の武家社会などでは父親の罪の罰を息子などその子孫が受けるということがあったようですが、戦争経験者の大半が亡くなってしまった現在も尚、日本は世代を超えた罰を要求されていることになります。

これを殴ったら殴り返すの論理で「同罪刑法」を適用しようとすると
「ある犯罪者の犯罪を同罪刑法的に清算しようと思ったら、その犯罪者は清算が済むまで何としても生かしておかなければならない。もし犯罪者が罪を認めなければ罪をみとめるまで永遠に生き続けさせなければならない。」これはたいへんな矛盾です。
時間のファクターがありません。

確かに・・・。でも現実は海の向こう側では世代を超え、日本の過去を悪と考える教育が続けられています。先日私は、中国から帰国したばかりの知人が中国で撮影してきたという日本を揶揄した言葉が書いてある月餅の写真を見てこの問題の根の深さをさらに感じました。日本ではお菓子に悪い意味の言葉を書くことはほとんどありません。(とはいっても、ケーキに バカ だとか アホなどとデコレーションすることは誰にでも簡単にできることですが、普通は食べたくはないでしょう。)

ウチダ先生は<論理的には「過去の清算」と「痛みと屈辱のトレードオフ」こそが正義である>と言っています。しかし、<「加害被害の因果関係をこれ以上以前には遡及しない」ということについて関係者全員を合意させることに成功した政治家は存在しない>というのも本当だと思います。人間はある一定の時間軸だけでものを考えるのは困難です。過去の歴史がそれを証明しています。

この本が書かれてから10年近い歳月が流れていることを考えるとこの問題はさらに深刻化していると思われます。インターネットがより普及して情報が簡単に手に入るようになって考え方も多様化しそうに思われますが、逆に多くの人々が同じ情報に惑わされやすくなりました。

去年の暮れに発足した安倍政権では憲法改正の発議要件を定めた憲法96条の改正に取り組む意欲を表明しています。
憲法96条=憲法の改正手続きに関する条項。改正要件として、〈1〉国会が衆参両院のすべての議員の3分の2以上の賛成を得て発議する〈2〉国民投票での過半数の賛成で承認する――ことを定めている。

〈1〉の3分の2という部分を過半数にしようというもので、これが改正されれば憲法9条も議論がしやすくなるということですが、これは危険なことだと思います。

そんなことを考えながらまたページをめくり始めるとウチダ先生の論理に賛成できる部分とできない部分が見えてきて、もう一度振り出しに戻って、この本が書かれてから経過した10年の変遷を改めて考えてみようと思い始めました。

大人の日本語   外山滋比古 著

2013年03月09日 | その他
ようやく春らしい陽気になってきました。ほっと一息と言いたいところですが、花粉や黄砂、大気汚染物質が懸念されるこの頃です。
さて今回は外山滋比古氏の「大人の日本語」です。これは随分以前に購入していたのですがしばらく積読状態でした。先日偶然目にした古い雑誌にこの本のことが出ていたので急に思い出して読み始めました。

「人は言葉で生きる。
ことばがなくては生きられない。
人間はことば次第である。」
冒頭のこの部分は最も印象的です。

堅苦しい教育的な本なのかなと思ったら案外読みやすく、一気に読み進めることができました。
いろいろな場面で人とお付き合いしていく上で、たいへん貴重な本だと思います。

最近は礼状を書かず、電話やメールで済ませる人が多くなりましたが、私はごく親しい人を除いて原則、品物が送られてきた場合は礼状を書くようにしています。同世代の友人ならお互い多少の日本語のおかしなところがあっても愛敬のひとつくらいに思って済ませてしまうところがありますが、世代の違う方々にはそうはいかないので少し気をつけて書いているつもりでした。手紙のマナーの再確認という意味ではとてもわかりやすい解説でした。

さて次は話し方です。これは書くよりもっと難しいです。何故ならやり直しがきかないからです。私はここ十年近くずっと東日本と西日本を行ったり来たりしています。東日本で育ったので関東に滞在しているときは関東の言葉を使います。唯、西日本で長く生活していたので家族の会話は半分くらい関西の言葉使いです。ですから西日本に行ったときは自然に関西のアクセントや言葉遣いになります。
外山先生の本は標準語が基準ですが、日本語のやわらかさや相手を思いやる気持ちは方言にも多く共通点があると思います。その日本語の微妙さが日本語の奥深さなのかもしれません。
駅や車内、百貨店の店内アナウンスは標準語ですが、よーく耳を澄ませて聞いていると時々「あれ? どこか変!」と思うことがあります。そんな日本語も時代とともに変化しておかしいと思わない人も増えていくのかもしれません。確かにこの本の中には外山先生がおかしいと思っていらっしゃることでも、私は気にしていなかったことがいくつか出てきました。
「お」や「ご」の使い方、これらも「お」は和語、「ご」は漢語の原則通りいかないものもあり、なかなか微妙です。

言われてみると「そうなんだ」と思ったのは、科学論文で使われる「であろう」の話です。
<「である」ではつよすぎるから、「であろう」とやわらげたまでのことで、けっしてぼかしたり、あいまいにしているわけではない、日本語には“はにかむ”心がはたらいている。
「である」を「であろう」にするのは、敬語の心理に通じるものがある。相手に対するいたわり、敬意がかすかにふくまれている。>
これはイギリス人の物理学者のレゲット氏が「であろう」を英訳できないことから問題視されたことのようです。若い時の私なら科学という実際に存在する現象について語ることに「であろう」ではおかしいように思ったかもしれませんが、「であろう」と「である」はそもそも同じことばと解釈すれば科学論文でもけっしておかしくはないと考えることができます。

後半は外山先生の美しい日本語に対する思いがひしひしを伝わってきます。
「ひとつひとつの章は独立したエッセイになっていてどこからでも、どれからでも読まれて差し支えない。」と外山先生のおっしゃると通りで、これからも手元に置いて時々参考にしたい本だと思いました。

自然死へ道    米沢慧 著

2013年02月07日 | その他
二月に入って春のうららかな陽ざしにほっと一息と思った途端、立春の後、首都圏は再び大雪の予報が出てどうなることかと思ったら、幸い雪はほんの少しで冷たい雨となり銀世界とはなりませんでした。そして翌日の今日は、のどかな早春の空気に包まれています。

さて今回は米沢慧氏の「自然死への道」です。

医学の進歩によって人間の寿命は随分と長くなりました。日本人女性の平均寿命は世界一と言われています。でも高齢者の実態はかなりの人々が要介護の対象者です。

最近QOLという言葉が広く普及しあちこちで聞くことが多くなりました。QOL(Quality of Life)は、『生命の質、生活の質』と訳され、人間らしく、満足して生活しているかを評価する概念です。米沢氏はこの本で「いのちの質」として訳すことによっていのちの深さという言葉を導き出しています。それは安楽死とも延命治療とも違う別の世界感の中にあるような気がします。長寿高齢社会の老いにはQOLの数値に還元できないその人固有の人生があるということです。
年をとれば自然に身体機能が劣化してきます。そのことを最初に実感するのは50歳前後でしょうか。クラス会などで老化のことが話題になるのがそのころからですね。でも、長寿社会の今日この頃、多くの人々が忍び寄る自身の老いと戦いながら人生の終末期をむかえた親たちと向き合う日々です。私も実の両親は見送りましたが、義父母の介護の問題を抱えています。今は親しい友人たちとゆっくり会食したり、おしゃべりしたりする時間はなかなか作れないので、時々メールや電話での会話で、同じ問題を共有する友人たちと情報交換をしています。

この本はそんな友人のひとりから薦められました。

内容は少し身につまされるような部分もありますが、文章もわかりやすくとても読みやすかったので今度はまた他の友人にも薦めたくなりました。

「超寿」・・・「超人間」・・・なんだか半切くらいの大きさの画仙紙に筆で大きく書いて、しばらく眺めていたいような不思議な言葉です。

去年、私の父は確かに高齢ではありましたが、前日まで家族と一緒に食事もし、寝る前に遠方に住む娘の私に携帯電話のメールをし、休んだ後、翌朝起きてきませんでした。あまりに突然の訃報で驚きましたが、父の妹である叔母には「人間として理想的な死に方だよ。お兄さんがうらやましいよ!」と言われました。

90をはるかに超えた義父は認知症です。義父の言いたいことを家族が聞くのも、家族が義父に何か伝えるのもたいへんな労力を要します。義母も末期がんサバイバーで抗がん剤や放射線治療の後遺症に苦しんでいます。だから二人とも要介護の状態であり、かつ「生きる方向に最善を尽くしている」という言葉がぴったり当てはまるような状態です。二人とも在宅で最期を迎えることを希望しています。

要するに<病院で医療機器につながれながら最期をむかえるなんてまっぴらごめんです。>というわけです。「そうかあ、うちのおじいさんおばあさんの希望は自然死なんだ!」・・・この本を読み進めるうちにだんだんそう思えるようになってきました。

やがていつの日かわが身にも同じことが起きる日が来るかもしれない・・老齢をむかえる日が来ればそれを受け入れなければなりません。

超人間とはあくまでも「生きることに気持ちが向いている、生きる方向に最善を尽くす」姿だそうです。要するに「往生際がわるいなっていう生き方」を心がけ努力しなければ老齢にあっては自然死をむかえることはできないようです。(これは「生涯現役の」著者・・・というより全共闘のことを知っている人なら懐かしい名前でもある吉本隆明氏の見解として紹介されています。)

先日義母は女学校のクラス会に行きました。私は、義父と留守番をしました。認知症の義父の話はとてもゆっくりで少しわかりにくかったですがじっと耳を傾けて聞きました。やがて帰ってきた義母は何だか輝いて見えました。会場で撮影したというポラロイド写真を見ました。義母の同級生という80代後半の女性たちは皆にこやかに笑って楽しそうでした。

「いのちには深さがある」この本の中の大きなポイントです。いのちは長さだけでも質だけでもないのです。このことは大きな余韻となって残りました。

「親の介護に疲れた時この本を読むと気持ちに余裕が生まれた」米沢氏の本を紹介してくださった友人の言葉を思い出します。