先日の台風18号は日本列島各地に大きな傷跡を残して去って行きました。今のところは秒単位の警報以外ほとんど予知が不可能な地震と違って、台風については強さや大きさ、雨雲の様子や進路の予測はかなりできるようになりました。でも、だからと言って災害を減らすことはできてもなくすことは困難なのが現実です。人間が自然に太刀打ちしようと考えても無駄だと天が嘲笑っているのでしょうか?
台風18号の後は晴天が続き、昨夜は中秋の名月、久しぶりに昨日と今日はつかの間の休息日なので、ゆっくりお月見をしました。
それから昨日になって、もう一つ思いだしたのは、子規忌、わずか34年の生涯で近代文学に大きな影響を残した明治を代表する文学者正岡子規の命日です。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」・・・俳句というと芭蕉の「古池や・・」よりこの句がまず最初に浮かびます。多分俳句とは何かよくわからない小学生のころから誰かが口ずさんでいたのを覚えていたからかもしれません。後にわかったことですが、この子規の名句は、子規が病気で療養中に生活などの面倒をみたこともあるという東大予備門以来の親友夏目漱石の句「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の返礼として作られた句だそうです。
さて、前置きが長くなりましたが今回は 夏目漱石の「坊っちゃん」です。大変有名な小説です。「坊っちゃん」は漱石が子規の没後10年くらいしてから発表したものです。子規の訃報をロンドンへ留学中に知った漱石は自らも精神的な病と闘っている時でした。10年近い歳月を経て、子規への追悼の思いも込められて書かれた作品でもあると知り、急にまた読み返してみました。若い時には読んだ記憶がありましたが、それ以来じっくり読んだことはありませんでした。「坊っちゃん」は有名ですから、さまざまな折に小説に登場するエピソードを繰り返し聞いていた為、改めて読もうという気にはなれなかったからでしたが、幸いわが家の任天堂のDSを充電したらしっかり機能してくれたのでお月見の後は日本文学全集の中にあった「坊っちゃん」を読み始めました。そうしたら夜中までやめられなくなって一気に読んでしまいました。漱石の他の作品に比べたら物語も比較的単純で江戸っ子の坊っちゃんが松山の中学校で数学の教師として働いている間のわずか1ヶ月の間のことなのですが、文章の軽快さと面白さには敬服です。
今回改めて感じたのは坊っちゃんのべらめえ調の江戸言葉と「・・・な、もし」に代表される松山の方言が絶妙に組み込まれていて、登場人物の方言に興味をそそられることです。
聞くところによると正岡子規と同郷で俳句文芸誌「ほととぎす」を引き継いだ高浜虚子に「坊っちゃん」の中の松山弁を添削してもらったとか。
「坊っちゃん」は何回も映画化されたりドラマになったりしているようですが「坊っちゃん」の面白みは何と言っても漱石の文章表現にあると思います。
ところで、マドンナという単語ですが、坊っちゃんにも出てきますが、「わが淑女」という意味で、有名な言葉です。最近では「マドンナ」と聞くとアメリカのシンガーソングライターの「マドンナ」が浮かびますが、若いころは「坊っちゃん」で使われて有名になった言葉くらいに思っていました。でも実際に読んでみると「マドンナ」本人の影は薄く、赤シャツがうらなりの許嫁を奪おうと権力を笠にあれこれ駆使していることに坊っちゃんが一人腹を立てていることがわかります。
うらなりの本心は人が良すぎて最後までよくわかりません。
坊っちゃんにとって心の安らぎとなる女性は最初から最後まで「ばあや」の「清」なのがなんともいじらしく微笑ましくもあります。
ところで蛇足ですが、今これを書いているうちにもうひとつマドンナという言葉で浮かんでくるものがありました。映画「男はつらいよ」の寅さんです。全作品に毎回、マドンナ役が登場しましたね。この映画でも寅さんの口上で絶妙な江戸っ子言葉が登場します。寅さんの口上は主役の渥美清さんが戦後のアメ横周辺の闇市で働いていたころ覚えた言葉と聞いていますが、早口でまくしたてる江戸言葉の軽快さは見たり聞いたりしているものに小気味良さを感じさせてくれます。
坊っちゃんと寅さんを一緒にしたら漱石先生に失礼なのかもしれませんが、何だか全く違う背景なのに二人とも江戸っ子だし無鉄砲なところや義理人情に弱いところなど共通点がたくさんあるような気がしてきました。
漱石を読みて夜更かす子規忌かな (糸遊)
台風18号の後は晴天が続き、昨夜は中秋の名月、久しぶりに昨日と今日はつかの間の休息日なので、ゆっくりお月見をしました。
それから昨日になって、もう一つ思いだしたのは、子規忌、わずか34年の生涯で近代文学に大きな影響を残した明治を代表する文学者正岡子規の命日です。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」・・・俳句というと芭蕉の「古池や・・」よりこの句がまず最初に浮かびます。多分俳句とは何かよくわからない小学生のころから誰かが口ずさんでいたのを覚えていたからかもしれません。後にわかったことですが、この子規の名句は、子規が病気で療養中に生活などの面倒をみたこともあるという東大予備門以来の親友夏目漱石の句「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の返礼として作られた句だそうです。
さて、前置きが長くなりましたが今回は 夏目漱石の「坊っちゃん」です。大変有名な小説です。「坊っちゃん」は漱石が子規の没後10年くらいしてから発表したものです。子規の訃報をロンドンへ留学中に知った漱石は自らも精神的な病と闘っている時でした。10年近い歳月を経て、子規への追悼の思いも込められて書かれた作品でもあると知り、急にまた読み返してみました。若い時には読んだ記憶がありましたが、それ以来じっくり読んだことはありませんでした。「坊っちゃん」は有名ですから、さまざまな折に小説に登場するエピソードを繰り返し聞いていた為、改めて読もうという気にはなれなかったからでしたが、幸いわが家の任天堂のDSを充電したらしっかり機能してくれたのでお月見の後は日本文学全集の中にあった「坊っちゃん」を読み始めました。そうしたら夜中までやめられなくなって一気に読んでしまいました。漱石の他の作品に比べたら物語も比較的単純で江戸っ子の坊っちゃんが松山の中学校で数学の教師として働いている間のわずか1ヶ月の間のことなのですが、文章の軽快さと面白さには敬服です。
今回改めて感じたのは坊っちゃんのべらめえ調の江戸言葉と「・・・な、もし」に代表される松山の方言が絶妙に組み込まれていて、登場人物の方言に興味をそそられることです。
聞くところによると正岡子規と同郷で俳句文芸誌「ほととぎす」を引き継いだ高浜虚子に「坊っちゃん」の中の松山弁を添削してもらったとか。
「坊っちゃん」は何回も映画化されたりドラマになったりしているようですが「坊っちゃん」の面白みは何と言っても漱石の文章表現にあると思います。
ところで、マドンナという単語ですが、坊っちゃんにも出てきますが、「わが淑女」という意味で、有名な言葉です。最近では「マドンナ」と聞くとアメリカのシンガーソングライターの「マドンナ」が浮かびますが、若いころは「坊っちゃん」で使われて有名になった言葉くらいに思っていました。でも実際に読んでみると「マドンナ」本人の影は薄く、赤シャツがうらなりの許嫁を奪おうと権力を笠にあれこれ駆使していることに坊っちゃんが一人腹を立てていることがわかります。
うらなりの本心は人が良すぎて最後までよくわかりません。
坊っちゃんにとって心の安らぎとなる女性は最初から最後まで「ばあや」の「清」なのがなんともいじらしく微笑ましくもあります。
ところで蛇足ですが、今これを書いているうちにもうひとつマドンナという言葉で浮かんでくるものがありました。映画「男はつらいよ」の寅さんです。全作品に毎回、マドンナ役が登場しましたね。この映画でも寅さんの口上で絶妙な江戸っ子言葉が登場します。寅さんの口上は主役の渥美清さんが戦後のアメ横周辺の闇市で働いていたころ覚えた言葉と聞いていますが、早口でまくしたてる江戸言葉の軽快さは見たり聞いたりしているものに小気味良さを感じさせてくれます。
坊っちゃんと寅さんを一緒にしたら漱石先生に失礼なのかもしれませんが、何だか全く違う背景なのに二人とも江戸っ子だし無鉄砲なところや義理人情に弱いところなど共通点がたくさんあるような気がしてきました。
漱石を読みて夜更かす子規忌かな (糸遊)