いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

場所  瀬戸内寂聴 著

2014年01月23日 | 小説
大寒も過ぎ、今いちばん寒さが厳しいころですが、夕暮れ時になると、日一日と日の入りの時刻が遅くなっていくのを感じます。枇杷の花が咲き始め、梅のつぼみが膨らんで温かくなる日が待ち遠しく感じるようになりました。

さて、今回は瀬戸内寂聴氏の「場所」です。寂聴さんが七十代の時書かれたものです。
主人公「私」が故郷を始め、京都や東京各地過去に暮らした場所を歩きながら、家族を捨て、恋愛を繰り返しながら作家として自立していき、51歳で出家するまでの思い出が語られています。

実はこの本は長い間、本棚で積読状態でした。先日ふとしたことから偶然この本がもう絶版になっていることを知り、あわてて、読み始めたところ・・・本当に長い間読まなかったことをひどく後悔するほど夢中になって読んでしまいました。

以前、寂聴さんは晴美さんのころの小説は私小説ではないと書いていらしたのを読んだことがありましたが、この「場所」の中の「私」は、荒川洋冶氏の解説にある通り、瀬戸内寂聴さんその人と思われます。私は寂聴さんの小説を随分読んだわりに、寂聴さんの生い立ちや私生活についてはよく知りませんでした。寂聴さんと同世代の義母は「いくら立派な作家さんでも、若い時の私生活はふしだらだから私は嫌い!」といって未だに批判的です。私自身はというと、このブログでも今までにいくつか寂聴さんの小説を記事にしましたが、源氏物語の現代語訳を読んで以来、寂聴さんの生き方がどうのと言うよりもあの源氏物語の功績だけでも、すばらしいものだと思うようになりました。もちろん、他に小説も好きなものはいろいろありますが・・・。何しろ、若い時、与謝野源氏を三分の一くらい読んだところで挫折した私はもう一生源氏物語など読むことはないと思っていたくらいでしたが、本当に目から鱗、寂聴さんの源氏はわかりやすく面白く読めたのです。寂聴さんの現代語訳はまさに源氏物語成立から約千年後の現代にもっともわかりやすい訳として、最高のような気がしました。

さて、話を元に戻します。
前半の徳島や名古屋はほとんど行ったことがないので私には馴染みのない土地ですが、京都や東京の地名は数十年という時間差で私も何度か足を運んだことのある土地でした。
三鷹下連雀・・・少女小説を書きながら晴美さんの東京の生活が始まりました。三鷹と聞くと太宰治の心中事件を思い出していた私は寂聴さんのこの章に太宰治のエピソードが書かれていて、太宰治という小説家の存在の大きさを改めて感じました。
塔の沢・・・紅葉の季節の終わりかけのころ寂聴(晴美)さんが妻子のある男と出かけた場所です。再び寂聴さんが訪れた時は夏、酷暑の7月でした。私はそのどちらの季節にもそこへ行ったことがありますが、沢の音を聞きながら、テレビでしか見たことのない箱根駅伝のコースを辿ることに夢中になっていた自分を思い出して思わず苦笑・・・。
西荻窪・・・寂聴さんの母校、東京女子大のキャンパスがありますね。1940年、17歳の晴美さんを思い浮かべてしまいました。
目白関口台町、中野、本郷・・・
昭和48年11月14日に寂聴さんが出家されてから28年後の水道橋駅が当時とあまり変わっていないとすると今もそれほど大きくは変わっていないような気がします。そこは今でも私はたまに訪れる場所でもあります。寂聴さんが出家直前の日々をこのあたりで過ごしていらしたのかと思うと次に行った時には、今までと違う見方をしているかもしれません。

最後まで読み進めると寂聴さんの生き方は見事なほど奔放で私のような凡人にはとてもまねできるものでないと感じます。唯、肯定もできないような気がしますが・・。別れたご主人やお子様、もう亡くなられたようですが、恋の相手となった方々の人生についても考えさせられてしまいます。京都嵯峨野の寂庵の法話や、犯罪を犯した人々との交流や更生、湾岸戦争や原発への抗議など数々の尼僧としての社会的活動には敬服しています。「場所」は寂聴さんが偉大な作家として作品を生み出されてきた原動力のようなものがひしひしを感じられ、と同時に出家された理由がほんの少しわかったような気がしました。

寂聴さんの小説は、今は処分せずに私の本棚に残しておこう!
ふと、そんな気持ちになりました。




青い月のバラード  加藤登紀子 著

2014年01月14日 | その他
おくればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

年末から年始にかけて目の回るような忙しさの日々でしたがどうにか一段落と思って今日はやっとPCに向かうことが出来た次第です。本当に今回は久しぶりの更新となってしまいました。

さて、今回は加藤登紀子さんの「青い月のバラード」です。
去年の秋、義父母の家で偶然、登紀子さんが歌っている姿がテレビに映し出されているのを見て、急に懐かしく感じられました。(ここ最近、テレビ番組を見ることなどほとんどありませんでした。)

登紀子さんの存在を知ったのはもう40年以上前でしょうか。当時はまだ白黒だったテレビ画面で登紀子さんの姿を拝見した時、母が「東大の学生さんだそうよ」と言っていたことを思い出します。私はまだ小学5~6年か中学生くらいでしたがなんとなく強烈な印象があり記憶に残りました。そして私は登紀子さんのことをずっと自分の意志でしっかり生きていく素敵な女性として見てきました。

この本は登紀子さんが2002年に亡くなった夫の藤本敏夫さんとの出会いから結婚そして永遠の別れの日が来るまでを書かれたものです。
それは戦後の高度成長期の日本社会でたくましく生きてきた人生の先輩たちの物語のように感じられる部分もありますが、登紀子さんが一人の女性として結婚して子供を産み、家庭を築きながら、しっかりと自分の人生を歩んできた様子が感動的です。

私がまだ若かった時、登紀子さんの藤本氏との獄中結婚を知った時は、「あれまあ、大変な人だねえ。」と言った母の言葉を聞いて同意もしなければ批判もしませんでした。「そんな生き方もあるのかなあ。でも、勇気ある人だなあ。」くらいだったでしょうか。

私は藤本氏のことをほとんど知りませんでしたので、この本で初めて素敵な人だと思いました。ただ、本を読みながら、登紀子さんが結婚生活の中で、多くの女性が経験する悩みを同じように体験し、夫との関係を模索されていたことには、とても共感しました。

1968年、日本では明治百年と言われた年ですが、学生運動の全盛期、世界中でも大きな事件が起きました。プラハの春、チェコ事件、パリ5月革命、ベトナムの反戦運動も世界中に広がり、中国では文化大革命のまっただ中でした。翌年の安田講堂攻防戦はテレビでも放映されていたので、じっと見ていた記憶があります。

私がまだ子供で漠然と変わりつつある世界を見始めた頃、登紀子さんは藤本氏と出会いました。この本には藤本氏とともに登紀子さんが歩んだ人生が凝縮されているような気がしました。青い月のバラード 詩も素敵です。