いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

官僚たちの夏  城山三郎著

2008年10月30日 | 小説
 最近の日経平均株価の急落や円高、また短期の株価や為替の乱高下で毎日のように金融危機と不景気到来のニュースが飛び交っています。

Aさん 「いつになったら落ち着くのかしら。長く続くかしら?」

Bさん 「年金もこの調子だと私たちが高齢者になる頃はあやしいもんだわね。今だって間違いばかり・・。」

Aさん 「政府ってあてになるの?」

私  「すごい財政難なんだからね。個人なら破産寸前だよ!増税すると反発されて選挙に響くし、インフレでごまかされると怖いね。」

Bさん 「でも、景気悪くなるとお給料上がらないし、失業者も増えるから物価下げないと買ってくれる人がいなくなるよ!」

私  「そうだねえ・・。でもガソリンとか公共料金なんて全部上げちゃえばみんな文句言っても仕方がないと思うだけだよ。生活は苦しくなるし、失業率も上がるし・・・。治安悪くなるかねえ・・。」

Bさん 「こういうのをスタグフレーションって言うの?暗いのは嫌だねえ。」

Aさん 「麻生さんなんかいい法案でも考えてくれるかなあ!」
  
私  「私は政府に期待なんてとてもできないけど・・・。」

 先日久しぶりに会ったおばさんグループでも家族のことやヘルスケアよりも先にこんな会話が飛び交い出しました。

 
 さて、前置きが長くなりましたが本題に入ります。今日の本は城山三郎氏の「官僚たちの夏」です。

「官僚たちの夏」は高度成長期における通産官僚であった佐橋滋氏がモデルとされています。『週刊朝日』に「通産官僚たちの夏」の原題で連載され、1975年に改題、新潮社より、単行本化されました。

 
 これは城山氏が40代後半の頃の作品です。昭和30年代という高度成長期のころの日本の旧通産省が舞台です。懐かしくも感じらる一面もありましたが、 主人公の人間性に引き込まれると同時にまず考えさせられたのは「官僚とは何か」ということでした。

 辞書には官僚は「役人。官吏。特に、政策決定に影響力をもつ中・上級の公務員。 」とあります。英語ではgovernment officerまたはフランス語が語源のbureaucracyという言葉を使うようです。(一般の公務員はpublic servant。)
でも私は中国から伝わった「官」という文字を見ると封建社会のピラミッド構造の頂点を補佐し全体を支配する人々のようなイメージを持ってしまいします。

 事実この本に登場する主人公「風越信吾」もその一人。まるで「日本全体を牛耳っているのは政治家ではなく本当は陰日向で働く官僚なのだ。」と言わんばかりです。
 風越は代議士にも財界人にも頭を下げないし、もちろん記者たちにも・・いつも横柄で大変な武骨物です。 でも「この国をこうしていきたい」という強い信念に基づく用意周到さは目を見張るものがあります。強いリーダーシップがあり、これはと思う部下の面倒をよくみます。彼には頼もしいナンバー2がいました。しかしそのナンバー2は今で言う過労死でとでも言うのでしょうか。また風越は自分自身の保身の為に工作することなど全く考えられない男でした。

 いつも全力投球の風越はやはり全力投球する部下が好きでした。彼の人事カードもこの点が重視されていました。しかし彼はその武骨さゆえに長年努力して積み重ねた彼の心の中の人事ルートも最後の最後で空中分解させてしまいます。
この物語はもう一人の腹心庭野が倒れ、新聞記者西丸と病院へ向かうところで終わります。 
 
 記者西丸の言葉が印象的です。

「牧が柏戸なら片山は大鵬のようにやわらかい男や。これからはああいう男の世の中になるとちゃうか」
 (牧と片山は風越とは全く違うタイプの人間です。)

 
 官僚という言葉に私はよいイメージを持っていませんが主人公「風越信吾」に対しては全面的にとはいえないまでも反発より共感したい気持ちの方がやや優勢ってところでしょうか。
 読み始め当初の微かな反発心からやがて敬服と圧倒されそうな強さへの感心。 そして最後はなんともいえない虚脱感と同情へ。読み進めながら、心の中で私自身の感情の弧を描いているような気持ちになりました。