いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

パール判事の日本無罪論 田中正明著 

2008年05月21日 | その他
 先日、久しぶりに湘南在住の小学生の頃からの友人と四谷で待ち合わせました。天気がとてもよかったので市谷経由で靖国通りを九段下まで歩き、途中、靖国神社に立ち寄りました。千代田区の桜まつりの時は人が多くて境内を歩くのも大変でしたが、今はちょっと一段落、お参りの人や観光客、境内を散歩する人々もどことなくのんびりした雰囲気です。

 神社の境内を歩きながら、友人に遊就館のことを説明をするためにその近くに行ってみるとすぐそばにパール判事の碑がありました。右上の写真がそれです。今まで気づかなかったのですが、よく見ると平成17年6月とありましたからわりあい新しいものです。

 私も後で録画を見ましたが、去年の夏、NHKでパール判事の東京裁判当時の様子が放映されました。友人にパール判事と「東京裁判」、そして以前のブログの記事にも書いた城山三郎氏の「落日燃ゆ」の話などしているうちに田中正明氏の「パール判事日本無罪論」のことを思い出して、家に帰ってから早速読み直してみました。

 多分、十年位前だったと思います。私がまだ京都に住んでいた時、京都市東山区の京都霊山護国神社にパール博士顕彰碑(1997年建立)があることを知りました。2001年に文庫本が出たので、早速購入して初めてこの本を読みました。とても強烈な印象でした。
 今まで私が如何に第2次世界大戦終結後に行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)について知らなかったか、そして本当に戦争を裁くことは一体誰が出来るのだろうかということを強く感じた本でした。

 ラダ・ビノード・パール博士 (1886年1月27日 - 1967年1月10日) は、インドの法学者、裁判官で東京裁判の判事を務め、連合国側の11人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した意見書を書いた人と知られています。

 田中正明氏のこの本については世間ではいろいろな意見があるようですが、私が読んでいるうちにも様々な疑問が湧いてきました。

 でもやはり裁判そのものに注目すればまず第一に感じるのはあれだけ膨大な戦争を連合国側は何故あのように急いで判決を下さなければならなかったのでしょうかということです。いち早く世界大戦の混乱を回復させ、連合国側の都合のよいような国際社会を築き上げるためしかたなかったのでしょうか。

 民主主義とか多数決とか言ってもそれは必ずしも本当に公正だとは言えないってことです。

 去年、このブログの城山氏の本の記事にも少し書きましたが、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)中心として進められたとした「共同謀議」の論理をそのまま日本の戦争にも認定したこと。それは事後法であり違法であると主張したパール判事の意見は後になって、次第にかつての連合国側でも評価されるようになってきたようです。

 ただ、私自身の問題としてショックだったのは、単に私の勉強不足だったのかもしれませんが、40代になるまでパール判事のことも東京裁判のどこが問題だったのかあまり考えたことがなかったこと、学校教育の過程でもまた両親からも詳しく聞いた記憶がなかったことでした。
 当時この本を読んだ私は大学生だった息子にパール判事の話をしたところ、彼は直ぐに興味を持ってこの本を読み、大学の友人にも薦め、京都霊山護国神社にも行って写真まで撮ってきて見せてくれましたが・・・。

 人々は靖国神社の碑を含めて、パール判事の碑の前で何を思うのでしょうか。

 また、この本の「太平洋戦争は何故起きたのか」という項目の中に出てくる「人種問題への提言」は非常に興味深い記述です。
 確かに若い世代の人々には変化が見られるようですが、世界中で白人優越の背景が各地で根強く存在し続けていることは現在も否定することはできません。旅行などでは観光地で日本人はお金をばら撒くのでちやほやされてあまり感じないかもしれませんが・・・。

 話は飛びますが、アメリカの民主党の指名選挙はどうやらオバマ上院議員勝利の方向のようです。もしオバマ大統領出現となればアメリカ社会の人種問題は大きく変わるでしょうか。
 今年の春先、仕事で来日したアメリカ人の古くからの知人(一応は民主党支持)に聞いたところ「最終的にはマケインさんが勝つかもね。」とあっさり言われてしまいました。(まあ日本政府はマケイン大統領の方がいいでしょうけど・・・) 
 アメリカも黒人大統領出現まだ難しいと思っている人は多いんだという感じがしました。
 でも、あのアメリカらしい熱狂が社会を変えることになるかもしれません。
 確かに少しずつ変わってきているとは思いますが・・。

 最初にこの本を読んでから私はいろいろな人にこの本を薦めてきました。反応は様々でしたが、特に若い人には読んで欲しいと思います。

 裁判が終わって一年後、この裁判を指揮したマッカーサーは、トルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白したとのこと。 

 公正な目で東京裁判を知る上で大きな手がかりとなる書と言えるかもしれません。

新版 放浪記 林芙美子著

2008年05月13日 | 小説
 DS文学全集の中に収録されていた放浪記を読みました。

 1920年代の日本、ふるさとを持たない語り手の私(林芙美子)は家を持たない養父と実母に連れられ木賃宿を点々としながら成長し、やがて上京します。
 ところが東京でも待っていたものは飢えと貧困、毎日食べることばかり考えている生活が続きます。

 この話は女優の森光子さんの舞台で大変有名になりました。私も以前一度見たことがありました。森さんは立派な女優さんですが当時からかなりご高齢でしたので主人公はもっと中年の女性のイメージを私は勝手に作り上げていました。
 
 改めて小説を読んでみると語り手の私(林芙美子)は、まだ20代前半の若い女性です。

その日暮しで、食べることにも事欠く主人公が粗末な女給部屋に佇む姿が浮かびます。恋に破れ、次に一緒になった男も生活力がありません。社会は男尊女卑が当たり前。今なら「それはDVっていうんじゃないの?」と言いたいところですが、そんな男の為に尽くす彼女。その上、時折田舎から同じく生活力のない両親がやってきては彼女の生活さらにを苦しめます。

 食べていくことが大変な社会の底辺で生きる人々の厳しい現実が浮き彫りにされます。東京は東京になった時から、否もっと以前、江戸という名前の大都市が出来た時から、ずっと、今も、そしてこれからも、きっと、地方から出てきた夢追い人たちあるいは元夢追い人の集まる場所です。わずかな稼ぎの中から本を買い小説を書く彼女、人生の光を手探りで求める姿が浮かびます。


 話は横道にそれますが、先日、湘南の実家へ行く時、東海道線の中でこれを読んでいました。

 実家に着いて、お茶を飲みながら、ふとテレビを見ると、ずっと付けっ放しになっていたテレビは、ちょうど木村拓哉・松たか子主演の「ラブジェネレーション」というドラマを放映中でした。一緒にお茶を飲んでいた妹の解説によるとこれは10年程前に放映された当時大変人気のあったドラマだとのこと。そんなことを今頃知った私はずいぶんずれているかもしれませんが、現在とわずかに感じが違う東京駅やお台場やレインボーブリッジの映像にひきつけられてしばらく見ていました。

 何気なく見ているうちに1990年代後半の日本の若者たちにはこんな恋物語が受けたのかなと思い始めました。

 私からみたらずいぶんわがままいっぱいで子供っぽい二人を中心に展開する話ですが、年齢を考えると二十代前半、放浪記の林芙美子さんと同じ年頃です。
 
 20世紀前半と後半の東京の70年という歳月の時間差が私の中で奇妙に絡み始めました。

 ラブジェネレーションの方はハッピイエンドだそうですが、OLの理子のアパートは木造で10年前ということを考慮してもごく平均的かそれ以下の若者の暮らしぶりを感じます。でもさしあたり食べることに困るなんていうことは無縁そうに見えます。実家の長野へいくのにもお金に困っている様子はありません。一生懸命突っ張っているように見えますが、作者の意図の中には理子の結婚願望をやはり潜ませているのでしょうか。

 今年は2008年、さらに10年の歳月を経て、人々の生き方はますます多様化しています。キャリア志向の若い女性たちがますます多くなりました。年収が一千万円を越す若い女性たちも増えて、ライフスタイルの変化に伴なって、社会全体の動きもめまぐるしく変化しています。

 一方で問題にされ始めた新たな貧困や格差社会、長時間労働、DV等・・・。本当はずっと昔からあったのだけれど人々が目を向ける余裕がなかったのか、訴える場所がわからなくて泣き寝入りだったのでしょうか・・。


「・・幸福なんかくると思うのがまちがい。

 刺だらけの青春。

 男が悪いのではない。

 みんな女が不器用だからだ。

 やたらに自由なぞあるものか。

 勝手にいじめぬく好奇心の勧工場。

 安物の手本ばかり並んでいる。・・・」


 21世紀、あふれる情報の中で結局ひとりの人間が吸収して処理できる量は知れたものです。80年を経た今もこの詩は現在のものとして読めるような気がしました。
人生はやはり長~い放浪の旅なのかもしれません。