先日、久しぶりに湘南在住の小学生の頃からの友人と四谷で待ち合わせました。天気がとてもよかったので市谷経由で靖国通りを九段下まで歩き、途中、靖国神社に立ち寄りました。千代田区の桜まつりの時は人が多くて境内を歩くのも大変でしたが、今はちょっと一段落、お参りの人や観光客、境内を散歩する人々もどことなくのんびりした雰囲気です。
神社の境内を歩きながら、友人に遊就館のことを説明をするためにその近くに行ってみるとすぐそばにパール判事の碑がありました。右上の写真がそれです。今まで気づかなかったのですが、よく見ると平成17年6月とありましたからわりあい新しいものです。
私も後で録画を見ましたが、去年の夏、NHKでパール判事の東京裁判当時の様子が放映されました。友人にパール判事と「東京裁判」、そして以前のブログの記事にも書いた城山三郎氏の「落日燃ゆ」の話などしているうちに田中正明氏の「パール判事日本無罪論」のことを思い出して、家に帰ってから早速読み直してみました。
多分、十年位前だったと思います。私がまだ京都に住んでいた時、京都市東山区の京都霊山護国神社にパール博士顕彰碑(1997年建立)があることを知りました。2001年に文庫本が出たので、早速購入して初めてこの本を読みました。とても強烈な印象でした。
今まで私が如何に第2次世界大戦終結後に行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)について知らなかったか、そして本当に戦争を裁くことは一体誰が出来るのだろうかということを強く感じた本でした。
ラダ・ビノード・パール博士 (1886年1月27日 - 1967年1月10日) は、インドの法学者、裁判官で東京裁判の判事を務め、連合国側の11人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した意見書を書いた人と知られています。
田中正明氏のこの本については世間ではいろいろな意見があるようですが、私が読んでいるうちにも様々な疑問が湧いてきました。
でもやはり裁判そのものに注目すればまず第一に感じるのはあれだけ膨大な戦争を連合国側は何故あのように急いで判決を下さなければならなかったのでしょうかということです。いち早く世界大戦の混乱を回復させ、連合国側の都合のよいような国際社会を築き上げるためしかたなかったのでしょうか。
民主主義とか多数決とか言ってもそれは必ずしも本当に公正だとは言えないってことです。
去年、このブログの城山氏の本の記事にも少し書きましたが、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)中心として進められたとした「共同謀議」の論理をそのまま日本の戦争にも認定したこと。それは事後法であり違法であると主張したパール判事の意見は後になって、次第にかつての連合国側でも評価されるようになってきたようです。
ただ、私自身の問題としてショックだったのは、単に私の勉強不足だったのかもしれませんが、40代になるまでパール判事のことも東京裁判のどこが問題だったのかあまり考えたことがなかったこと、学校教育の過程でもまた両親からも詳しく聞いた記憶がなかったことでした。
当時この本を読んだ私は大学生だった息子にパール判事の話をしたところ、彼は直ぐに興味を持ってこの本を読み、大学の友人にも薦め、京都霊山護国神社にも行って写真まで撮ってきて見せてくれましたが・・・。
人々は靖国神社の碑を含めて、パール判事の碑の前で何を思うのでしょうか。
また、この本の「太平洋戦争は何故起きたのか」という項目の中に出てくる「人種問題への提言」は非常に興味深い記述です。
確かに若い世代の人々には変化が見られるようですが、世界中で白人優越の背景が各地で根強く存在し続けていることは現在も否定することはできません。旅行などでは観光地で日本人はお金をばら撒くのでちやほやされてあまり感じないかもしれませんが・・・。
話は飛びますが、アメリカの民主党の指名選挙はどうやらオバマ上院議員勝利の方向のようです。もしオバマ大統領出現となればアメリカ社会の人種問題は大きく変わるでしょうか。
今年の春先、仕事で来日したアメリカ人の古くからの知人(一応は民主党支持)に聞いたところ「最終的にはマケインさんが勝つかもね。」とあっさり言われてしまいました。(まあ日本政府はマケイン大統領の方がいいでしょうけど・・・)
アメリカも黒人大統領出現まだ難しいと思っている人は多いんだという感じがしました。
でも、あのアメリカらしい熱狂が社会を変えることになるかもしれません。
確かに少しずつ変わってきているとは思いますが・・。
最初にこの本を読んでから私はいろいろな人にこの本を薦めてきました。反応は様々でしたが、特に若い人には読んで欲しいと思います。
裁判が終わって一年後、この裁判を指揮したマッカーサーは、トルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白したとのこと。
公正な目で東京裁判を知る上で大きな手がかりとなる書と言えるかもしれません。
神社の境内を歩きながら、友人に遊就館のことを説明をするためにその近くに行ってみるとすぐそばにパール判事の碑がありました。右上の写真がそれです。今まで気づかなかったのですが、よく見ると平成17年6月とありましたからわりあい新しいものです。
私も後で録画を見ましたが、去年の夏、NHKでパール判事の東京裁判当時の様子が放映されました。友人にパール判事と「東京裁判」、そして以前のブログの記事にも書いた城山三郎氏の「落日燃ゆ」の話などしているうちに田中正明氏の「パール判事日本無罪論」のことを思い出して、家に帰ってから早速読み直してみました。
多分、十年位前だったと思います。私がまだ京都に住んでいた時、京都市東山区の京都霊山護国神社にパール博士顕彰碑(1997年建立)があることを知りました。2001年に文庫本が出たので、早速購入して初めてこの本を読みました。とても強烈な印象でした。
今まで私が如何に第2次世界大戦終結後に行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)について知らなかったか、そして本当に戦争を裁くことは一体誰が出来るのだろうかということを強く感じた本でした。
ラダ・ビノード・パール博士 (1886年1月27日 - 1967年1月10日) は、インドの法学者、裁判官で東京裁判の判事を務め、連合国側の11人の判事の中で唯一、被告人全員の無罪を主張した意見書を書いた人と知られています。
田中正明氏のこの本については世間ではいろいろな意見があるようですが、私が読んでいるうちにも様々な疑問が湧いてきました。
でもやはり裁判そのものに注目すればまず第一に感じるのはあれだけ膨大な戦争を連合国側は何故あのように急いで判決を下さなければならなかったのでしょうかということです。いち早く世界大戦の混乱を回復させ、連合国側の都合のよいような国際社会を築き上げるためしかたなかったのでしょうか。
民主主義とか多数決とか言ってもそれは必ずしも本当に公正だとは言えないってことです。
去年、このブログの城山氏の本の記事にも少し書きましたが、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)中心として進められたとした「共同謀議」の論理をそのまま日本の戦争にも認定したこと。それは事後法であり違法であると主張したパール判事の意見は後になって、次第にかつての連合国側でも評価されるようになってきたようです。
ただ、私自身の問題としてショックだったのは、単に私の勉強不足だったのかもしれませんが、40代になるまでパール判事のことも東京裁判のどこが問題だったのかあまり考えたことがなかったこと、学校教育の過程でもまた両親からも詳しく聞いた記憶がなかったことでした。
当時この本を読んだ私は大学生だった息子にパール判事の話をしたところ、彼は直ぐに興味を持ってこの本を読み、大学の友人にも薦め、京都霊山護国神社にも行って写真まで撮ってきて見せてくれましたが・・・。
人々は靖国神社の碑を含めて、パール判事の碑の前で何を思うのでしょうか。
また、この本の「太平洋戦争は何故起きたのか」という項目の中に出てくる「人種問題への提言」は非常に興味深い記述です。
確かに若い世代の人々には変化が見られるようですが、世界中で白人優越の背景が各地で根強く存在し続けていることは現在も否定することはできません。旅行などでは観光地で日本人はお金をばら撒くのでちやほやされてあまり感じないかもしれませんが・・・。
話は飛びますが、アメリカの民主党の指名選挙はどうやらオバマ上院議員勝利の方向のようです。もしオバマ大統領出現となればアメリカ社会の人種問題は大きく変わるでしょうか。
今年の春先、仕事で来日したアメリカ人の古くからの知人(一応は民主党支持)に聞いたところ「最終的にはマケインさんが勝つかもね。」とあっさり言われてしまいました。(まあ日本政府はマケイン大統領の方がいいでしょうけど・・・)
アメリカも黒人大統領出現まだ難しいと思っている人は多いんだという感じがしました。
でも、あのアメリカらしい熱狂が社会を変えることになるかもしれません。
確かに少しずつ変わってきているとは思いますが・・。
最初にこの本を読んでから私はいろいろな人にこの本を薦めてきました。反応は様々でしたが、特に若い人には読んで欲しいと思います。
裁判が終わって一年後、この裁判を指揮したマッカーサーは、トルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白したとのこと。
公正な目で東京裁判を知る上で大きな手がかりとなる書と言えるかもしれません。