いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

宴のあと   三島由紀夫 著

2015年02月03日 | 小説
例年になく変わりやすい天気が続いていた冬でしたが、今日は節分、早春のやわらかい陽ざしを感じます。

さて、本当に久しぶりの更新となってしまいましたが今回は、三島由紀夫の「宴のあと」です。

最近、三島由紀夫がマスコミでも注目されています。今年2015年は、三島由紀夫 生誕90年、没後45年という節目だからでしょうか?
それとも、自衛隊に憲法改正のクーデターを促し、自決した三島由紀夫と最近の安倍総理の憲法改正論と何か関係づけようという動きがあるのでしょうか?

私は中2の時くらいから「潮騒」や「金閣寺」など三島作品を読み始め、他にいくつかの小説を読みましたが、市ヶ谷の三島事件を最後に長い間、読んだことはありませんでした。
1970年の事件の時、十代の半ばだった私には、世間に名前が知られていない人が起こした事件ならいくら騒ぎになっても唯の犯罪者で終わってしまいそうなことを、作家三島由紀夫であるだけに、当時の報道は、その行動を非難しているようでもあり、誉めているようでもある、わけのわからない物であるように思えました。

以後長い間、私の中で封印してきた三島由紀夫でしたが、事件から12~3年後、オーストラリアでフランス人の日本文学ファンの人に出会い、フランスでは、三島由紀夫は川端康成とともに非常に人気があることを知りました。その時After the banquet 「宴のあと」のことを高く評価されていたことを思い出します。私もたぶん読んだことがあると思いましたが、なにしろその頃14~5歳でしたから、この小説の価値を理解できなかったように思います。
 
あれから○十年の歳月が流れ、改めて読み返してみると、ああこれは昭和の小説だなと思うと同時に非常に芸術的な作品だと思いました。
これは、実在の人物をモデルにし、三島がプライバシーの侵害であると訴えられた小説です。三島は一審で負け、後に和解したそうです。

あれから半世紀も過ぎ、モデルも故人となった今は、当時世間で何が起こり、どのような世論が飛び交っていたかなどは、この作品から、完全に切り離されているような気がします。

主人公のかづや野口の心理描写は三島が構成したものだということ容易に感じます。かつてこの「宴のあと」も翻訳したドナルドキーン氏が「三島の金閣寺の主人公は現実の放火事件の犯人とはまるで違う。あれは三島の中でつくられた主人公なのです」と言っていたことを思い出しました。

元首相を含め大臣クラスの政治家たちに贔屓にされていた高級料亭の主人福沢かづは元外務大臣で戦後は革新党の一員となった野口と結婚します。かづは都知事選に出馬した夫の選挙戦では湯水のごとくお金を使い応援します。

しかし、野口は革新党からの出馬、かづのかつての顧客たちからすれば対立する立場にあります。
かづのエネルギーは夫を当選させるために料亭まで抵当に入れ借金をし、お金を使いまくります。結果は落選。隠居を決め込んだ野口に対して、かづはさらなる借金をかつての顧客たちに申し入れ料亭再開をめざします。結局、野口とかづの心は決裂し、離婚することになりました。


かづは大物政治家に「女傑」と言われるほど、ひらめきとエネルギーと豊麗な肉体で周囲を圧倒させてきた中年の女性です。そのかづが、良く言えば古風な悪く言えば自分勝手な老人、かつては外務大臣まで務めた野口を愛してしまうのです。年齢は重ねていても恋は理屈抜きに始まるのかもしれません。如何にも現実に起こりそうで、でもいささか不自然さも感じます。「ああ、これは三島の創作のすごいところかもしれない」と思わせるところです。
最後まで読み進めると空虚な余韻がのこります。なんだかあわれでもあり、また驚くべきかづの強さを感じさせるところでもあります。かづと野口の不協和音はかづへ新たなエネルギーを吹きこみます。

最後の山崎(選挙戦の間ずっとかづと行動を共にしてきた革新党の人間)の手紙は空虚さから読者を静かに現実へ引き戻してくれるような気がしました。


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