いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

藤壺 瀬戸内寂聴著

2008年04月28日 | 小説

 今年は源氏物語千年紀、京都駅周辺や四条河原町などの京都市の繁華街を歩くとこのポスターをよく目にします。

 瀬戸内寂聴さんの源氏物語の現代語訳完成から約十年、多くの人に読まれ、源氏物語のブームが起こったと言われています。わかり易い文章で書かれた現代文は、古文のわからない人でも親しみ易く読みやすいものです。但し、この物語は何しろとても長いので完読は大変ですが・・・。実は私も以前3巻読んだところで挫折、あらすじは巷に氾濫しているので、手っ取り早いそちらの方ばかり読んで、そのうち本文の続きを読もうと思いながら今日に至っています。

 先日、源氏物語の好きな友人から瀬戸内寂聴さんが源氏物語を解説しているNHKのテレビ番組があると聞いて初回から先週までの分を録画したものを見ました。
 その番組の中で紹介されていたのがこの「藤壺」です。寂聴さんは、光源氏の父桐壺帝の妃藤壺と光源氏の逢瀬を想像して、源氏物語の中の題名だけ伝えられていて本文のない幻の帖「輝く日の宮」を「藤壺」と題して小説にされました。
 
 寂聴さんはこの小説を現代文と古文の両方で書かれています。

 寂聴さんは、紫式部はこの帖を実際には書いたけれど内容が禁忌にふれるので彼女のパトロン藤原道長か一条天皇に削除を命じられたのではと推測されています。でもこの点については私個人は紫式部はあえて書かなかったと思いたいところです。
「かかやく日の宮。このまきもとよりなし」これは紫式部自身の演出である方がいいかも・・・。

 若い頃、与謝野晶子の源氏物語現代語訳の一部やあらすじを読んだ時、最初のうちは光源氏をはじめ、宮中の人々の倫理観にびっくりしました。光源氏は現代だったらとんでもなくふしだらな男です。でも、やがて当時宮中で詠まれた多くの和歌や歴史的背景、平安貴族の婚姻関係のあり方を学ぶにつれ、ちょっと考え方が変わってきました。この物語は多くの登場人物の恋の情熱や嫉妬や苦悩、また、光源氏の現実離れした人間性、当時の人々の宗教観などが見事に織り込まれています。千年も長きにわたって人々の心を捉えてきたことが次第に納得できるようになりました。

源氏物語の存在が確認されてからちょうど千年後の現在、源氏物語の現代語訳者としてどうしても書きたかったという「藤壺」を読んで寂聴さんの情熱をちょっと感じました。現代文の方は思いのほか生々しく、私は瀬戸内源氏の一部として受け入れます。源氏物語の原文の冒頭の部分の美しくリズミカルな響きが強く印象に残っている私には句読点や括弧に少し違和感はありますが、古文の方がいいと思いました。

 そのうち源氏物語の原文にも挑戦してみたくなりました。

逆検定中国歴史教科書 井沢元彦・金文学著

2008年04月04日 | その他
 題名にちょっと過激なイメージを感じて読んでみました。すべて本当なら確かに中国とは自信過剰な強かな国だなと思いますが、もう半世紀も生きてきた私はあまり驚きませんでした。何度か中国へ行って中国の人々と話をして、歴史観について日本人との意識のずれはある程度感じていましたから。だからと言って個人的に付き合うのにほとんど障害は感じませんでしたが・・・。
 歴史観のずれに関しては他の国でも同じなのですが、中国は大きな国です。日本ばかりでなく世界への影響力もまだまだ大きくなりつつあります。この本で紹介されているのはあくまで日本に関することが中心ですが、10億を超える人々が共産党の創作による歴史感に洗脳されて行くのかと考えると何だか不気味です。

 戦前はしっかり日本も軍国主義の洗脳教育を行って皇国少年少女を作っていました。以前にこのブログの記事に書きましたが、城山三郎氏も土井たか子氏もそのことを言っています。戦後はそれを180度転換したわけですが・・・。最近になってアメリカの言うなりになっていたとかなんとかいろいろ言われるようになってきました。

 ところで、現在の日本の中高生の歴史の教科書は大丈夫なのでしょうか。センター試験に代表される丸暗記向きの高校の歴史教科書はおかしくないのでしょうか。
 まあ、そんなこと言ったら現場の先生や教科書を作る人々から大目玉を食らいそうですが・・。

 肝心の教科書が間違っていても純真無垢の子供たちはたちまち洗脳されてしまいます。特に社会科は暗記科目という根強い思い込みが現場の先生や子供たちの間に浸透しています。私たちの時代からずっと我が子や甥の歴史の教科書までどう見ても国家に事実と認定された記録が並べられた事柄のダイジェスト版です。言い換えればこれは覚えるべき事柄の量の多さで考えながら学ぶ時間を作れないようにコントロールされてるのではないでしょうか。


 話を元に戻します。この本を読むと今中国で教えられている歴史はどうやら事実を捏造したり、都合の悪いことは隠したりで、日本人にとって迷惑で厄介な問題につながるような話があまりに多いことを感じます。靖国神社の問題だって然りです。中途半端な知識で他所の国のやり方を批判しないで欲しいものです。

「和を以って貴しとなす」という考え方が浸透している日本ですが、これは中国だけでなく他国に対してもなかなか難しいものです。金氏は日本人の基本は「和」、中国人の基本は「闘」と位置づけています。
 
 所詮、教科書とは国家の都合のいいように書かれるもの。どの国の人間であっても本当はそれに洗脳されずに自分の力で真偽を確かめることができるようになりたいものです。でもそれを実行できる国はまだ少ないかもしれません。