いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

国家の品格 藤原正彦

2007年03月27日 | その他
 今やベストセラー中のベストセラーともいうべき本です。

 まず内容がすごく納得できる本だなと思います。今日本で最も売れている新書だということも充分すぎるくらい納得できます。去年購入して、ひと通り読み終えた後、秋に東京ビックサイトで開催された藤原先生の講演を聴きに行ってから「祖国とは国語」と合わせていつかまた読み直そうと思っていた本でした。

  「祖国とは国語」でも述べられているように「国際的に通用する人間になるは表現する手段より表現する内容を整える方がずっと重要」、「内容を豊富にするためにはきちんと国語を勉強すること、とりわけ本を読むことが不可欠」とあります。すべての小学生に英語を教えるというのは私も以前からずっと疑問でした。小学生に円周率を3と教えるところからして私も文部科学省のゆとり教育は大反対。何故国語の時間を削ってまで英語をしなくてはならないのでしょう。

 一度目はただ感心しながらこれだけはっきり言えるなんてすごいなあと思いながら読んでいたのですが2度目は市場原理主義に対する考え方をそのまま鵜呑みに出来ない部分も一生懸命探しながら読んでいました。
 確かにちょっと強引過ぎるくらいの民主主義に対する藤原先生の辛口評も武士道精神に照らし合わせていくとやはりそうかなあと思い始めたり・・・。

「愛国心でなく祖国愛を」という表現はとてもよくわかります。愛国心というと何だか右翼の合言葉みたいなイメージでちょっと使いにくい日本語だと思っていたのですが、「祖国愛」は、文化的な側面を考えるととてもしっくり来る言葉だと思いました。
 
 敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花     本居宣長

今年もまた桜の季節の到来です。日本人の美意識と桜、もののあはれ、
美しいと感じることのできる心の豊かさは世代を超えてずっと大切にしたいものです。
 
 2度目に読んで若い人々に読んで欲しいなあと強く思いました。文章もわかり易く若い人たちにも充分理解できると思います。でも、本当は藤原先生のように異文化に触れる経験を積まないと祖国愛が何故そんなに大切かということを実感するのは難しいかもしれませんが・・・。

 私事ですが、二十代から三十代前半にかけて海外で生活する機会を得たのにそれ以前に祖国の文化をよく勉強しなかったので、はがゆい思いをたくさんしました。今でもそれはとても残念に思うことです。

 

離愁 多島斗志之

2007年03月05日 | 小説
 文庫本や新書は毎月のように何冊かは必ず購入するのですが最近は80%がノンフィクションです。いわゆる小説は古い作家のものを読み返すことが多く新しい現代の作家のものはあまり読まなくなりました。書店の新刊コーナーの芥川賞や直木賞の帯を見ても滅多に手に取ることはありません。おばさんくさいのだろうとは思いますが、若い作家たちの小説を読むにはこちらの気合いが入ってないと理解できない部分が多くてしんどいからです。

 小説を読むことは十代の頃からずっと好きでしたが、最近、書店には山のように新刊本が積まれているのに小説のコーナーはほとんど読みたい本がありません。これは久しぶりに購入した小説です。
 新刊コーナーの片隅でひっそりと佇んでいたこの本の題名からくる物悲しさが目に留まって、ふと取り上げてみると、作者は団塊の世代でした。そして次に裏表紙の北上次郎氏の解説の一部を読んで決めました。

 しんみりとしたいい本だと思います。地味ですが、後に一人ひとりの人生というものをじっくり考えさせられる本でした。

 小説の展開は「ちょっと作りすぎでは」と途中反発も感じましたが、結末まで読むと少し納得です。「でもやはりこれは小説の世界だから・・・」「藍子叔母よりむしろ語り手の父のような人間はありえない」そんな気もしました。

 それでも読み応えを強く感じたのは、語り手が繰り広げる藍子叔母の人生というものへの問いかけと戦争という異常事態が繰り広げる波紋の強大さがひどく印象に残ったからでした。

 団塊の世代の人々はもちろん、続く私たちの世代も多くは、戦争の傷跡を背負った親たちに育てられた世代です。母は戦中戦後の混乱の様子をよく話してくれました。子供心に切ない思いで、耳を傾けたものでした。現在、父は健在ですが、それを語ってくれた母はもういません。

 もうすぐ東京大空襲から62年目の3月10日を迎えます。母はその日、目黒にいたので助かったそうですが、広島の原爆とほぼ同じ数の人々が一夜の空襲で亡くなり、何十万何百万という人々の人生を狂わせたこの空襲のことを学童期から思春期にかけての私に繰り返し語ってくれました。
 
 また、この小説の中にも少し出てきていましたが、もうこの戦争の後半には多くの人(いわゆる市井の人々のほとんど)が「この戦争は負けるだろう」と思っていたけれどどうすることも出来なかったということも・・・。

 以前の記事でも書きましたが、高齢の義父母の家に行くといつも掃除で追われます。時折、変色してボロボロになった義母の戦争中の雑誌の切抜きやノートなどが出てきます。それらを手にすると「これらもまた戦禍をくぐり抜けてきたんだ」という思いと義母の人生が重なります。

 この話に登場する藍子叔母や語り手の両親が私の両親や義父母と非常に近い世代だっただけに思いは複雑でした。