今年も梅雨の季節になりました。最近、気候も毎年のように平年並みからのブレが大きくなっているようにも思いますが・・・箱根の火山性地震に続いて、地理的には遠いとは言え、口永良部島が噴火、そして小笠原沖の深発地震・・・。自然の力の方は人間の力ではどうにもならないことですが、世の中は静かに事態を見守りながらじっくり考えているだけでは生きていけない時代になってしまったのでしょうか?私たちの祖先は自然界の多くの現象を神のなせる業として受け入れてきました。自然界に生きる動物たちも神の使者や恵みとして大切にしてきたようです。
明治になって西洋の思想や習慣が入ってきて人々の考え方も少しずつ変わってきたように思いますが、今になって考えてみると両親よりも祖父母の方がずっと信心深かったし、ご先祖さまや昔からの家風を大切にしていたように思います。私の両親は戦争をはさんで人々の考え方や価値観がすっかり変わってしまった昭和という時代をまるごと生きた世代なので、祖父母よりずっと人はみな平等という意識が強く、非科学的なことに関してはやや懐疑的でした。そんな親に育てられた私はもっと現実的で非科学的なものを信じることはほとんどできませんでした。
でも、最近は日本人が昔から何を信じてきて、これからの時代に何をつなげていくのだろうと思うことが多くなりました。インターネットで世界中がつながる時代になりましたが、過去の人々の暮らしの様子を少しずつ紐解いていくことが未来への大きな挑戦につながっていくのではないかと思っています。
さて、本題に入ります。今回は磯田道史氏の「江戸の備忘録」です。前回の記事の三浦しをんさんの「舟を編む」と同じ書店で、同じ時に購入しました。何となくという程度なのですが、正直なところ、私はこちらの方が先に気になっていて、こちらもご縁かなと思い、2冊とも手にとってレジに向かった次第です。
これは小説とは違うので、一気に読むという感じではありませんでしたから、少しずつ読みました。その方がよく覚えていられるからですが、どの話もなかなか面白かったです。
歴史を学ぼうとしている人々にとってはちょっと休憩して、デザートをいただくようなものかなと思います。
江戸と言っても厳密には江戸時代ではなく、信長の時代から漱石くらい(つまりちょうど100年くらい前)までの話です。朝日新聞の土曜版に連載されていたものがもとになっているそうなのですが、歴史の流れに沿っているのではなく、歴史上で活躍した人物のちょっとしたエピソードや、庶民の暮らしぶりまで、現在の日本人の生活習慣にも通じるようなところもあって、納得したり、驚いたり・・文章が軽快なので読みやすいです。
その中で印象に残った話を少し紹介したいと思います。
江戸幕府を開いた徳川家康は水泳にうるさい教育パパだったそうです。どんなに偉い大将でも戦場から逃げる時、乗馬と水泳だけは家臣に代わってもらうわけにはいきません。「大将のつとめは逃げること」、確かに命を失っては何もできません。260年以上にわたる長期政権の基礎固めをした大将らしいと思いました。その為、家康の子や孫たちは皆生半可な泳ぎの腕前ではなかったとか。
大田垣蓮月のエピソードはちょっと微笑ましく思います。蓮月と言えば幕末の尼僧で絶世の美女と言われた人ですが、焼き物と共に多くの和歌を残された人物です。私も書展などで蓮月の和歌が書かれた作品を目にすることが多く、そのうち蓮月の和歌の作品にも挑戦してみようかと思っています。
蓮月は2度の結婚の後、僧になりますが、美しすぎて男に口説かれたため、わざと歯を抜いて醜くなるほど、激烈な女性だったそうです。しかし、やがて、たいへん穏やかな慈悲深い尼僧になり蓮月に助けてもらったものは相当な数になったようでした。
幕末、アメリカの黒船がやってきた時。京都に住む六十過ぎの蓮月は別に外国事情に詳しいわけでは
なかったけれど、皆が「攘夷」を叫ぶ中、アメリカの来航が「将来の日本にとって必ずしも悪いことではない」と予見したそうな・・・。
蓮月の和歌は何とも冷静・・・
「ふりくとも 春のあめりか 閑(のど)かにて 世のうるほひに ならんとすらん」
つまりこれは<攘夷、攘夷って騒いで敵視しなくても、もしかしたらアメリカがこれからの日本の世の潤いになるかもしれませんよ >ってことでしょうか。
また幕末の新政府軍が江戸攻めに出発したころ西郷のもとに女の筆で和歌がしたためられた短冊が届いたとか・・
「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国(みくに)の人と思えば」
鳥羽伏見の戦いで野辺に死体が転がっていると聞き、西郷に直訴した七十八歳の蓮月さんの歌です。
この本には歴史上の人物だけでなく占いや幽霊の話も出てきます。21世紀の現在からみると随分非科学的だと思えるのですが、それでもなんとなく信じたくなるような・・・。
なんだか磯田先生の人生観も垣間見られるような、それでいてさらにもうちょっと詳しい本が読みたくなるような歴史の窓口みたいな感じでもありました。
明治になって西洋の思想や習慣が入ってきて人々の考え方も少しずつ変わってきたように思いますが、今になって考えてみると両親よりも祖父母の方がずっと信心深かったし、ご先祖さまや昔からの家風を大切にしていたように思います。私の両親は戦争をはさんで人々の考え方や価値観がすっかり変わってしまった昭和という時代をまるごと生きた世代なので、祖父母よりずっと人はみな平等という意識が強く、非科学的なことに関してはやや懐疑的でした。そんな親に育てられた私はもっと現実的で非科学的なものを信じることはほとんどできませんでした。
でも、最近は日本人が昔から何を信じてきて、これからの時代に何をつなげていくのだろうと思うことが多くなりました。インターネットで世界中がつながる時代になりましたが、過去の人々の暮らしの様子を少しずつ紐解いていくことが未来への大きな挑戦につながっていくのではないかと思っています。
さて、本題に入ります。今回は磯田道史氏の「江戸の備忘録」です。前回の記事の三浦しをんさんの「舟を編む」と同じ書店で、同じ時に購入しました。何となくという程度なのですが、正直なところ、私はこちらの方が先に気になっていて、こちらもご縁かなと思い、2冊とも手にとってレジに向かった次第です。
これは小説とは違うので、一気に読むという感じではありませんでしたから、少しずつ読みました。その方がよく覚えていられるからですが、どの話もなかなか面白かったです。
歴史を学ぼうとしている人々にとってはちょっと休憩して、デザートをいただくようなものかなと思います。
江戸と言っても厳密には江戸時代ではなく、信長の時代から漱石くらい(つまりちょうど100年くらい前)までの話です。朝日新聞の土曜版に連載されていたものがもとになっているそうなのですが、歴史の流れに沿っているのではなく、歴史上で活躍した人物のちょっとしたエピソードや、庶民の暮らしぶりまで、現在の日本人の生活習慣にも通じるようなところもあって、納得したり、驚いたり・・文章が軽快なので読みやすいです。
その中で印象に残った話を少し紹介したいと思います。
江戸幕府を開いた徳川家康は水泳にうるさい教育パパだったそうです。どんなに偉い大将でも戦場から逃げる時、乗馬と水泳だけは家臣に代わってもらうわけにはいきません。「大将のつとめは逃げること」、確かに命を失っては何もできません。260年以上にわたる長期政権の基礎固めをした大将らしいと思いました。その為、家康の子や孫たちは皆生半可な泳ぎの腕前ではなかったとか。
大田垣蓮月のエピソードはちょっと微笑ましく思います。蓮月と言えば幕末の尼僧で絶世の美女と言われた人ですが、焼き物と共に多くの和歌を残された人物です。私も書展などで蓮月の和歌が書かれた作品を目にすることが多く、そのうち蓮月の和歌の作品にも挑戦してみようかと思っています。
蓮月は2度の結婚の後、僧になりますが、美しすぎて男に口説かれたため、わざと歯を抜いて醜くなるほど、激烈な女性だったそうです。しかし、やがて、たいへん穏やかな慈悲深い尼僧になり蓮月に助けてもらったものは相当な数になったようでした。
幕末、アメリカの黒船がやってきた時。京都に住む六十過ぎの蓮月は別に外国事情に詳しいわけでは
なかったけれど、皆が「攘夷」を叫ぶ中、アメリカの来航が「将来の日本にとって必ずしも悪いことではない」と予見したそうな・・・。
蓮月の和歌は何とも冷静・・・
「ふりくとも 春のあめりか 閑(のど)かにて 世のうるほひに ならんとすらん」
つまりこれは<攘夷、攘夷って騒いで敵視しなくても、もしかしたらアメリカがこれからの日本の世の潤いになるかもしれませんよ >ってことでしょうか。
また幕末の新政府軍が江戸攻めに出発したころ西郷のもとに女の筆で和歌がしたためられた短冊が届いたとか・・
「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国(みくに)の人と思えば」
鳥羽伏見の戦いで野辺に死体が転がっていると聞き、西郷に直訴した七十八歳の蓮月さんの歌です。
この本には歴史上の人物だけでなく占いや幽霊の話も出てきます。21世紀の現在からみると随分非科学的だと思えるのですが、それでもなんとなく信じたくなるような・・・。
なんだか磯田先生の人生観も垣間見られるような、それでいてさらにもうちょっと詳しい本が読みたくなるような歴史の窓口みたいな感じでもありました。