いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

ノルウェイの森 村上春樹著 を読んで

2007年09月21日 | 小説
 村上春樹氏の名前だけは以前から知っていましたが、読んだことがありませんでした。村上氏のデビュー作が出た頃は、私がちょうど海外生活を送っていた時期です。今のようなインターネットもない時代でしたから、日本で何が起こっているのかさえほとんどわかりませんでした。現地の新聞やテレビと1~2週間かかって届く家族や友人からの手紙だけが唯一の日本の情報源でしたから新鋭作家の名前まではなかなか知りえることはなかったのです。帰国してから村上氏が人気作家であることを知りました。その後、息子が大学生の頃、村上氏の本をたくさん読んでいたのをなんとなく覚えていましたが、私はあまり注目することはなく過ごしてきました。

 前回の記事でも書きましたが、王敏氏の「中国人の愛国心」を読んで村上春樹氏の本が翻訳され中国で広く読まれていることを知り、何だか急に読んでみたくなりました。
 「村上春樹って面白いの?」と先日、40代前半の友人のひとりに聞いてみました。するとまず「えっ?まだ読んだことなかったんですか?めずらしいですねえ!」と言われてしまいました。確かに20年前は彼女は20代前半でした。なるほど、そうなんだ!とにかく1つだけでも読んでみようと思って、読んだのがこの上下2冊の文庫本です。

 読み始めてすぐにこれは若い時の回顧録なんだと思いましたが、同時に私自身の学生時代の遠い記憶が呼び戻されるような錯覚に陥りました。
 私が学生の頃は大学紛争もほぼ鎮静化され授業がボイコットされたことはほとんどありませんでしたが、一般教養の頃は時々つまらない講義の教室を脱出しました。とりあえず高校を卒業してから社会人になるまでのプラス4年間がどうしても欲しかった私は、将来に対する強い目的を持たずに受験し、合格した大学に入学しました。漠然とした学生生活にすぐに強い不安を感じるようになりましたが受験勉強をして入学してきた多くの同級生たちが私とたいして変わりがないことを知って安心もしました。

 最初のうちはこの物語の主人公がとてもデリケートな青年に感じられましたが最後まで読んでいくと実はあの頃つまり二十歳前後というのは皆とても傷つきやすくて不安定なんだということを改めて感じさせられます。

 何故、多くの若者が共感するのか何だかとてもよくわかるような気がしました。村上氏は団塊の世代ですが、この話では大学紛争の記述はごくわずかです。大学紛争とは違う世界に生きる主人公が描かれています。大学という社会へ出るまでの執行猶予期間の中にいる中途半端で未熟な若者が友情や恋と苦闘する姿が展開します。

 主人公は親友と恋人の死を体験します。家族や友人、恋人の死は誰もが心の中に深い傷を負うことと思います。でも生きていくものはそれを乗り越えなければなりません。
 これは若き日の強烈な思い出というものは、何十年経っても、ある時、急に呼び起こされ胸に突き刺さるものだということを強く感じる物語でした。

中国人の愛国心  王敏著

2007年09月20日 | その他
 興味深い内容でした。「なるほど、そうなんだ!」と不思議に納得したり、でも「やはり日本人とちょっと違うな。」と思ったりしながら、読み進めていきました。
 私自身は愛国心という言葉は何だか右翼の合言葉みたいな印象が強く、日常ではほとんど使いません。そのかわり、以前の記事でも書いたように「国家の品格 藤原正彦 著」を読んで以来「祖国愛」という言葉の響きをとても気に入っていました。でも、今回は中国の文化を視野に「愛国心」という漢語の意味を見直すきっかけにもなりました。
 細かい点では少し異論はあるものの、この本で最も私が注目したのは中国人の徳と文化に対する考え方です。

 徳については日本でも一般に広く使われている言葉ですが、中国の人々の方が概念の範囲が広いのかなと感じます。中国では皇帝も自然も天意によるものと考えます。中国では天の意思によって自分たちの生活が営めるのだと人々は思い、その天意を受けて国を治めるのが天子(皇帝)であると考えられてきました。ですから、皇帝には特に高い徳が求められ、それがなくなったときは天意によって王朝交代が起こりました。

 歴史と文化に対する考え方について日本人と中国人の微妙に違う部分がわかりやすく書かれています。
 「元は駄目でも清は中華と認める。」異民族であっても中華文明をどう受け入れてきたかの違いにあるというのは今までにも何度か聞いたことがありました。

 「中国は歴史上何度も周辺異民族が攻めてきているので単に攻めてきただけならそれほど恨みを買うことはなかっただろう。」という著者の記述が心に残りました。日本語の使用の強要や神社を建てるなど文化への侵略をしたら恨まれて当然でしょう。心の中の思いまで強制することはできないからです。

 また、王敏氏は靖国神社や2005年4月の反日デモの問題にも詳しく触れています。
 その他現代の中国文化についてもミニミニダイジェスト的な感覚で読みやすい文章で書かれています。

 村上春樹が中国でそんなに読まれているなんてちょっと驚きでした。

団塊の世代の戦後史  三浦展著

2007年09月12日 | その他
1947年から1949年までの3年間に日本では毎年270万人の子供が生まれました。この世代のことを人々は団塊の世代と呼んでいます。名付け親は堺屋太一氏だそうです。

 著者の三浦氏は1958年生まれ、この団塊の世代のことを目の上のたんこぶとはっきり言っています。私もまさにこの言葉には同感の世代です。ある時はあこがれ、ある時は嫌悪感を感じながらも、子供のころからずっと団塊の世代の人々の影響を受けながら生きてきたように思います。

 戦後の新しい日本で生まれ、新しい教育を受け、民主主義と個人主義と男女平等をたたき込まれたのに半分以上の人々は古い日本を引きずっていると著者は分析しています。新しい動きといってもかかわった人々の割合は必ずしも高くはなく、人口が他の世代と比べてとても多いので、全体から見ると一つの大きな潮流となって世の中を動かしてしまったようです。

 グループサウンズもフォークソングも団塊の世代の人々が関わったブームです。私たちの世代も多くは素直に受け入れてこのブームの中に溶け込んでいきました。

 大学紛争は今でも「あれはいったい何だったのだろう。」と感じています。1969年安田講堂陥落、東大紛争の行方を追う受験生を描いた庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞を受賞。当時中学生だった私は、この小説を読んで理解できなかったことが多かったのですが、何かとても大きな時代の潮流のようなものを感じたことを覚えています。
 
 南こうせつとかぐや姫の大ヒット曲「神田川」も団塊の世代の何%かの人々が特別ではない普通のことにしてしまった価値観なのでしょうか。でも、実生活での団塊の世代の女性たちの多くについては三浦氏同様、私自身ももっと保守的で古い結婚観を持っていたように感じていました。
今の若者の方がもっと普通にこの歌の価値観を受け入れているように感じます。唯、あの歌の中の貧しさは受け入れられないかもしれませんが・・・。

 私の子供の世代はまた、団塊ジュニアの後追い世代。団塊ジュニアをやはり目の上のたんこぶだと思っているのかなと思うとなんだか複雑です。

フリーターやパラサイトシングル、ニートなどもまた団塊ジュニアが社会に出始めたころからさかんに言われた言葉です。そういう世代を育てたのが団塊の世代、著者はこのあたりも手厳しく断言しています。

定年を迎えた団塊の世代の人々がこれからどう生きていくか。それは私たち後追い世代がとても気にしていることかもしれません。


 さて、蛇足ですが今日は安倍首相の辞任表明でマスコミは大騒ぎです。何だかもう、タイミングの悪さにびっくり!今頃になってキレちゃったのかしら?安倍さんも私と同じで多かれ少なかれ団塊の世代の影響を受け続けた「団塊の世代が目の上のたんこぶ」の世代なのですが・・・。