いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

わが母の記    井上靖 著

2013年05月28日 | その他
人は老齢期に達した時、あるいは病気やけがなどをきっかけに何かの拍子にふと人生を遡る旅にでることがあるのでしょうか?
そんな機会は誰にでも訪れるのではなくて、前々回の記事で書いたように超寿あるいは超人間の状態の時にのみ、誘われるものなのかもしれません。

今回は井上靖氏の「わが母の記」です。先日、同名の映画を先に見て、早速原作を読みました。
樹木希林さん主演の映画もとてもよかったのですが、原作とは登場人物の設定なども違いまた別の角度から井上氏の兄妹や家族とお母さまの八重さんとの関係を垣間見ることができたような気がします。井上靖氏は私が若いころ好きだった作家です。両親よりもむしろ祖父母に近い年齢の方なので八重さんは私から見ると私の曾祖母の世代の方ですが、老いは人間誰にでも訪れるもので時代を超えて普遍な人生の一部でもあります。

現在は義父母を介護する立場に置かれた私にとって、この本は身につまされる思いでもありましたが認知症を絶望と捉えないで向き合うため背中を押されたようでもありました。
井上氏のお母さまの八重さんは子どもたちがあれこれ協力してお世話していた近い過去のことはすぐ忘れてしまいますが、ずっと昔の若いころの淡い恋の話を孫たちに繰り返し聞かせます。八重さんの夫である井上氏の父のことはほとんど語らず苦労した話だけをします。それを井上氏は母が人生の塵が肩にかかってそれを背負っているといっています。
そして「塵というものはもしかしたら女の肩にだけ積もるものかもしれない。~中略~日々恨みでない恨みが妻というものの肩に積もって行く。そうなると夫は加害者で妻は被害者ということになる。」それは長い年月二人の親を見てきた子供だけが実感できることなのでしょうが、共感できる読者は多いのではないかと思います。そこで井上氏はご自身の奥様へ目を向けていらっしゃいますが、同じ状況でも男女間の捉え方の違いが存在することは確かだと思います。

私の義父は認知症です。数年前から、少しずつ、人生を遡る旅に出たようです。年齢とともに次第に過去へ遡っていく姿は、井上氏のお母さまの八重さんの姿と重なります。義父の旅には妻である義母もなかなかついていくことはできません。義母はつい最近まで、できる限りの理性を保ちながらかつては亭主関白であった義父の身の回りの世話をしてきましたが、次第に義母の理性も怪しくなってきました。ですからこの部分を読んだ時、義母の肩にかかった塵がもう限界にきていたのだと感じました。

最後は息子としてお母さまへ向けられた井上氏の思いが静かな余韻となって広がっていきます。

そして長い人生の中で、家族の中の変化していく人間の姿を改めて考えさせられる本でもありました。