いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

子々孫々に語りつぎたい日本の歴史    中條高徳・渡辺昇一 著

2012年03月12日 | その他
春になりました。時の流れの速さは年齢と共に加速するのではないかと思われるほどです。

さて、今回は歴史に関する本です。
半世紀以上生きてくると私のようなフツウのオバサンでも膨大な歴史の中のいろいろな側面に触れてくるわけですから、この本もなんとなく読んだり聞いたりしたことがある内容が多かったのですが、子孫に伝えたいこととして強調された事柄として一冊の本に凝縮されると最初は何だか狐につままれたような気分でした。そのくらい断定的で強烈な印象だったということです。

わかっていても素直に鵜呑みにはできないのは、たぶん私がお二人の先生方がこの本の中でおっしゃられているような戦後のアメリカに毒された教育を受けた世代だからだと思います。「三つ子の魂百まで」・・・・・戦争イコール悪、戦争を引き起こした日本も悪・・・そんなムードの中で、学校教育を受けましたから、否、本当はこんなところが違っていたといわれても納得するには時間がかかってしまうのです。東京裁判についても詳しく知ったのはわが子が歴史を学ぶようになってからです。20代の前半に海外生活を始めた時、全共闘の賛同者たちとあまり変わらない歴史観や社会感をもっていたように思います。唯、その後、同世代の世界各地の人々と接するようになって、私自身が、如何に自国の歴史に無知であったかを痛感しました。

さて、この本の中の課題に一つずつコメントするのは膨大なので今はほんの少しだけですが・・・

まずは 東京裁判についてです。
東京裁判では、日本がポツダム宣言を受託した当時、国際法上存在しなかった平和に対する罪と称するものを判決に使っています。
このブログでも以前、田中正明氏の「パール判事の日本無罪論」や城山三郎氏の「落日燃ゆ」でこのテーマを取り上げたことがあります。この本で、渡部氏が「左翼の言論は<東京裁判では日本は犯罪国家として断罪された>というところにすべて乗っている」と言われていますが、戦後の学校教育がこの思想の延長線上にあったことを私も強く感じます。ここでは勝者の裁判の勝手さが詳しく説明されています。

南京事件については以前・・たぶん90年代くらいから少しずつその信憑性が問われだしたことを知っていました。そのうち私も、東京裁判で戦勝国アメリカによる原爆投下や東京大空襲に匹敵する規模の敗戦国日本の残虐事件として実際よりとても大きな事件に仕立て上げられたものであるらしいと思うようになりました。これからもっといろいろな資料が出てきて、この問題が明らかになっていくのかなあなんて呑気なことを考えていたら、最近、名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言が問題にされましたね。市長の発言のタイミングはよくなかったかもしれませんが、人々がこの南京事件について改めて調べたり考えたりする機会にはなったと思います。

国家間の駆け引き上、都合の悪い歴史的資料はなかなか出てこないことが多いですが、歴史というのは時が経つにつれて、隠されていた人々の証言や資料が明らかにされて、抹殺されたり捻じ曲げられたりした事実が塗り替えられることがあります。

ずっと大昔のことを掘り起こすのは大変ですが、少なくともこの百年くらいの歴史は曲げないで次の世代に伝えたいものです。

また靖国神社に関してはこの本の記述はわかりやすいです。私は否定しません。というより神道の考え方は自然に受け入れられます。

全体を通して両氏の歴史観については簡単に納得できない部分もありましたが、私の中の歴史のジグソーパズルが少し塗り替えられたような気持ちでした。

孫たちにおばあちゃんが両親から聞いた戦争をしっかり伝えられるように・・・!もっと勉強しておかないと・・・!のんびりしているとすぐ時が流れてしまいますね。