私が今までの人生で経験したことがあてはまる部分が多くて「ああ、やはりそうか。」と ひどく納得したくなる本でした。
日本人は英語アレルギーだとよく言われます。そう言っている人々もまた多くは日本人ですが・・・。NOVAのような事件もありましたが、各地の英会話学校のニーズは依然として大きいのが現状です。学生ばかりでなく、中年以上の人々やまだ学齢に満たない幼児たち向けの英会話のクラスもたくさんあります。でも海外生活の経験のない日本人がいざ話すのはなかなか大変です。
この本の「日本人はなぜ話せないのか」というサブタイトルに迫る著者の考えを私なりに解釈して読み進めていくうちに先日ブログで書いた正高信男氏の「ケータイを持ったサル」の中の若者たちの生き方と共通点があることに気付きました。
つまり正高氏の「家の中主義」をもっと広く考えると鳥飼氏が指摘されている話せない日本人は日本語の「家の中主義」から外へ飛び出せないってことではないでしょうか。もちろん沈黙を美とする文化的背景が大きな要素となって踏み出せないという考え方も分かりますが・・・。特に大学生たちの英会話の授業態度についての話を読んで大いに家の中主義の延長戦上であるように感じました。
鳥飼氏は経験上いろいろな角度から日本人が英語が話せない理由を分析されていますが、29年前に初めての外国であったカナダへ行って暮らし始めた時の私自身のことを思い出すと手に取るように分かるので何だか恥ずかしくなるくらいでした。
わからなくても日本語が通じない状況の下におかれ、それに立ち向かえば第1歩は始まります。海外へ行かなくても日本語がまだよく出来ないネイティブの先生の英会話教室に行けば似た状況になることでしょう。この場合日本語はできなくても英語の先生としての資質は大切だと思いますが・・。
悪戦苦闘してでも、とにかく何か話していくうちに、相手も必死になって聞いて、文章を並べ替えたり言い回しを教えてくれたりするので、次第に会話が成り立つようにはなります。でも、勇気を出してどんどんしゃべるようになるまでには人によって違いますがやはり時間がかかります。
また、さらに、その国の地理や歴史、文学、政治や自然科学などいろいろな話になると豊富な語彙力を必要とします。現地に行くだけでは限界があるというのはその人の学ぶ姿勢によるでしょう。
「話すためには読むこと」という鳥飼氏のアドバイスについては全くその通りだと思いました。もっとも私自身、まだまだ勉強不足で英文は未だに速くは読めませんが・・・。
特殊な環境下に育ったバイリンガルの人々を除いて外国語をマスターするということは大変な努力を必要とします。これは日本語を学ぶ外国人でもそうですし、日本人が英語以外の語学を学ぶ時も同じです。
後半の具体例は分かりやすく、これからさらに英語を学ぼうと考えている高校生以上の人々にとっては参考になるかと思います。私自身の経験からもお薦めです。
最後に鳥飼氏がこの本を書くきっかけになったのが1994年8月の村山元首相とマレーシアのマハティール首相との首脳会談のエピソードだったと知ってちょっと複雑な気持ちでした。「あーあ、日本人ってこうなんだ。」「総理大臣までそうだったんだ。」という想いが残りました。
学問に王道なしってところでしょうが、日本語の家の中主義の壁は一人でも多くの若者に越えてもらいたいものだと思います。
日本人は英語アレルギーだとよく言われます。そう言っている人々もまた多くは日本人ですが・・・。NOVAのような事件もありましたが、各地の英会話学校のニーズは依然として大きいのが現状です。学生ばかりでなく、中年以上の人々やまだ学齢に満たない幼児たち向けの英会話のクラスもたくさんあります。でも海外生活の経験のない日本人がいざ話すのはなかなか大変です。
この本の「日本人はなぜ話せないのか」というサブタイトルに迫る著者の考えを私なりに解釈して読み進めていくうちに先日ブログで書いた正高信男氏の「ケータイを持ったサル」の中の若者たちの生き方と共通点があることに気付きました。
つまり正高氏の「家の中主義」をもっと広く考えると鳥飼氏が指摘されている話せない日本人は日本語の「家の中主義」から外へ飛び出せないってことではないでしょうか。もちろん沈黙を美とする文化的背景が大きな要素となって踏み出せないという考え方も分かりますが・・・。特に大学生たちの英会話の授業態度についての話を読んで大いに家の中主義の延長戦上であるように感じました。
鳥飼氏は経験上いろいろな角度から日本人が英語が話せない理由を分析されていますが、29年前に初めての外国であったカナダへ行って暮らし始めた時の私自身のことを思い出すと手に取るように分かるので何だか恥ずかしくなるくらいでした。
わからなくても日本語が通じない状況の下におかれ、それに立ち向かえば第1歩は始まります。海外へ行かなくても日本語がまだよく出来ないネイティブの先生の英会話教室に行けば似た状況になることでしょう。この場合日本語はできなくても英語の先生としての資質は大切だと思いますが・・。
悪戦苦闘してでも、とにかく何か話していくうちに、相手も必死になって聞いて、文章を並べ替えたり言い回しを教えてくれたりするので、次第に会話が成り立つようにはなります。でも、勇気を出してどんどんしゃべるようになるまでには人によって違いますがやはり時間がかかります。
また、さらに、その国の地理や歴史、文学、政治や自然科学などいろいろな話になると豊富な語彙力を必要とします。現地に行くだけでは限界があるというのはその人の学ぶ姿勢によるでしょう。
「話すためには読むこと」という鳥飼氏のアドバイスについては全くその通りだと思いました。もっとも私自身、まだまだ勉強不足で英文は未だに速くは読めませんが・・・。
特殊な環境下に育ったバイリンガルの人々を除いて外国語をマスターするということは大変な努力を必要とします。これは日本語を学ぶ外国人でもそうですし、日本人が英語以外の語学を学ぶ時も同じです。
後半の具体例は分かりやすく、これからさらに英語を学ぼうと考えている高校生以上の人々にとっては参考になるかと思います。私自身の経験からもお薦めです。
最後に鳥飼氏がこの本を書くきっかけになったのが1994年8月の村山元首相とマレーシアのマハティール首相との首脳会談のエピソードだったと知ってちょっと複雑な気持ちでした。「あーあ、日本人ってこうなんだ。」「総理大臣までそうだったんだ。」という想いが残りました。
学問に王道なしってところでしょうが、日本語の家の中主義の壁は一人でも多くの若者に越えてもらいたいものだと思います。