いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

海峡の光 辻仁成著

2007年12月19日 | その他
 最近ノンフィクションばかり読んでいましたので急に小説が読みたくなりました。 

 今回、初めて辻仁成さんの本を読みました。実は先日、境遇もちょっと似ていて趣味も共通の友人のひとりに辻さんの別の本を薦められて書店へ行ったところ、肝心の本はありませんでした。せっかくなのでこの際、辻さんの本を読んでみようと思い、これに決めました。1997年、今からちょうど10年前の芥川賞の受賞作です。

 何だか不思議な新鮮さを感じる小説だなと思いました。でもちょっと灰汁が強いような印象も受けました。
 唯、明暗はどちらにせよどんな完結を見られるか期待して読み進めたのに「あれっ?それだけなの?」という雰囲気で終了。なんだか尻切れとんぼみたいな気がして、もう一度最初の数ページを読み返したとき、なんとなく作者の意図が少しわかったような気がしました。

 これは青函連絡船の客室係を辞め函館で刑務所の看守の職を得た主人公の話です。かつて主人公の私をいじめた同級生の少年が受刑者となって刑務所にやってくるところから始まります。
 
 かつて優等生でクラスメートの人望も厚かった花井修は貧しくて地味で薄汚い私に周りの人間たちにはわからないような巧妙な手口で苦痛を与え続けました。

 肉体を鍛え逞しい大人になった主人公の私と花井は、刑務所の看守と受刑者として立場が逆転します。

 しかし、そこからの展開はまるで映画を見ているような感覚に陥ります。

 海という大きな舞台を背景に主人公の葛藤は続きます。人間の普段は見たくない部分にまで踏み込む描写に力強さと若さを感じた小説でした。

ダーウィンの足跡を訪ねて 長谷川眞理子著

2007年12月18日 | その他
 前々回の記事の「フューチャリスト宣言」で茂木氏の「脳科学の分野では、今はアインシュタインよりダーウィンの時代」という話を読んでから、なんとなくダーウィンのことが気になっていました。そんな時、偶然この本を見つけました。

 ダーウィンの進化論については当時のイギリスの宗教と対立していたことや今の日本の高校の生物の教科書程度の知識は持っているつもりではいましたが、彼の生涯についてはほとんど知りませんでした。

 これは生物学者長谷川眞理子氏がダーウィンの生まれ育った場所、行った場所などを訪ね歩きながら、進化生物学の基礎を築いた彼の背景に迫るものです。
 

 チャールズ・ダーウィンは1809年、イングランドの西部ウェールズとの境に近いシュルーズベリで裕福な医者の家庭に生まれました。最初、大学はエジンバラ大学の医学部へ進学しますが途中で断念し、牧師になるためにケンブリッジ大学へ入りなおしました。ところが卒業した年の1931年から5年間、軍艦ビーグル号に乗って世界一周の旅に出ます。
 そして、この航海が彼の人生、及び生物学の歴史を変える大きなきっかけになったと言われています。

 自然淘汰による進化の理論をまとめた「種の起源」の出版は1859年のことでした。それは、「生物は神が創造の日にすべてを作り、その日以来変化していない。」という国教会の教えとは根本から対立するものでした。
 生涯、彼は健康にはあまり恵まれなかったようでしたが温厚で真摯な性格によりまた同時代を生きた科学者たちの裏づけもあって次第に世間に認められ、1882年に亡くなった後は、ウエストミンスター寺院に埋葬されました。

 

 「ダーウィンの航海はまさに大英帝国の植民地拡張の時代であった。海軍はもちろんのこと、探検家、博物学者たちも、好むと好まざるとにかかわらず、意図するとしないにかかわらず、植民地政策の「手先」の役割を果たした。その政治的帰結がなんであれ、英国が所蔵する膨大な標本はまぎれもなくこの帝国主義の遺産なのである。」と著者は記しています。

 ダーウィンが生きた時代は日本では江戸末期から明治維新を経て明治新政府が動き出したばかりの激動の時代でした。イギリスでは奴隷貿易廃止法が成立(1807年)したとはいえ、有色人種に対する差別などは当たり前だった時代です。ダーウィンは個人的には奴隷制度には反対だったようですが・・。

 そういえば今年の春、後からずいぶん批判もあったようですが、かつて奴隷貿易の拠点だったガーナの大統領に対してブレア首相が謝罪表明をしたことが話題になっていたことを思い出しました。 当時イギリスは世界各地に植民地を持ち、世界でもっとも繁栄している国でした。まだ人権がどうのこうのということは言っていられない時代であったことは確かでしょう。「種の起源」は生物学や宗教だけでなく、こうした人権問題にも当時は直接的ではなかったにせよやがて大きく影響することになる部分があったと私は思います。でも、こうした差別問題については南アフリカの問題が解決するまで、まだあと100年以上待たなければなりませんでした。


 話を戻しますが、現在ではダーウィンの考えた路線を延長して人間の脳と心も進化で分析されるようになったとあります。1996年に進化論をやっと認めたローマ法王も人間の精神の領域だけは神様から付与されたものとしているそうです。

 茂木氏のアインシュタインではなくダーウィンの時代はまだ始まったばかりのようですね。インターネットの急速な普及と進歩の中で人間の脳科学の世界はどんな人たちの間でどのように解明されていくのでしょう。

 私自身はいつも少しばかり懐疑的に見ている未来を予言したり、見えないものが見えたりする超能力者の脳の秘密も科学が解析できる日がやがて来るのかなと思ってみたくなりました。




フューチャリスト宣言 梅田望夫/茂木健一郎

2007年12月12日 | その他
 これは梅田望夫氏と茂木健一郎氏の対談集です。

 今年の春頃、夫の薦めで梅田氏の「ウェブ進化論」を読んだ後、「思っていたよりずっと面白かった」と言ったら、しばらくしてこの本も薦められました。ちょっとページをめくってみたところ、なんだかしんどそうな本に思えて、しばらく放り出していました。

 でも、先日実家へ行くとき、何気なくバックの中に入れたので電車の中で読み始めたところ、「なるほどねえ。今のフロントランナーはこんなこと考えているんだ。」手強いかと思ったはずの本でしたが、おばさんで若い人に言わせると「アナログ人間」の私も意外に夢中になって読んでしまいました。

 現代はグーテンベルグ以来の画期的な情報革命の時代と言われています。テレビに始まってわずか数十年後にインターネットというまたすごいものが出てきて、私たちはもう当たり前のように使っています。茂木氏はそのインターネットを人類の歴史で言語以来と位置づけられていられるそうです。これには私も梅田氏の「違和感つきの新鮮さ」に同感です。

 脳科学の進歩はまだまだこれからのようですね。

 
 脳への刺激という観点と結び付けられるかどうかわかりませんが、前回のブログでコメントいただいた3月うさぎさんへの返信コメントで今私が、テレビのない生活をしていることを書きました。もちろん、子供の家や実家へ行ったときはテレビも見ますし、私の実家は弟の家族が暮らしているので甥に録画をたのむこともあります。でも日常の生活では、ラジオは家事の傍ら聞きますが、必要な映像はDVDの映画や録画を見ればよいのでしばらくはこれで十分かなと思ってやめました。私自身が言うのも変ですが、情報収集という点で、一度見始めると何気なくずっと見てしまうテレビという最大の時間泥棒から開放され、インターネットの比重が大きくなったことで自分自身がどう変化するかちょっと興味があったんです。

 テレビと違ってウェブ上の世界は自分の意思が入り込みます。ブログを書く、コメントをつける、誰も頼まないのにその世界へ入っていきます。もちろんテレビなんかよりもっと大きな背景に見えないところでコントロールされているのだろうということは感じますが・・・。

 そして茂木氏の言う「偶有性」に新しい刺激を受けるっていうことでしょうか。

 インターネット全体が脳に似ているという発想はおもしろいなあと思いました。
確かにそう考えられなくもないかもしれません。私たちはそのネットの中の偶然の出会いからいろいろな刺激を受けています。

 話は少し横道にそれますが、実は、最近、以前出会ったことがある人(彼女と最後に会ってから3年くらい経っていたので彼女は私がブログを書いていることを知りませんでした)が偶然ネット上で私のブログを見つけてくれました。もちろん名前を出しているわけではないのですが、彼女だけが私について知っている情報が偶々私のブログの中で私を特定できるものだったわけです。これには私もびっくりでした。「世間が狭い」っていうことがこんなことにもあてはまるなんて・・・!

 インターネットの不思議さと面白さは正にこの辺りにも転がっていますね。

 最後まで読み進めるとやはりお二人は未来へ志向ですごい意気込みだなあと感じます。人間にとって未来に希望を持てることがやはりいちばん大切だと思いました。

 また茂木氏の脳科学の進歩の過程においては「今はアインシュタインよりダーウィンの時代」というのが印象的でした。