いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

日本語が亡びるとき  水村美苗 著

2014年05月17日 | その他
暑かったり寒かったり気候変動の激しい日々が続いているこの頃です。エルニーニョ現象による冷夏が予想され、経済の冷え込みが懸念されると報道されていますが・・・。

さて、今回は水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」です。

現在は認知症と歩行困難の為、施設でお世話になっている義父がまだわずかな介助だけで、自宅で生活していたころのことです。ある日、義父が私に「ここにある本はどれでもいいから好きなのを持っていって読みなさい。」と言いました。義父は大変な読書家で、書斎の壁面は机以外すべて本棚という状態で、夥しい数の蔵書に取り囲まれていました。しかもほとんどの本に赤線や書き込みがあり、根っからの学究肌のようでした。難しそうな本が多い中、比較的新しそうでちょっと「えっ、何?」という印象を受けたこの本を手にすると、いたるところに赤線が引いてありました。見ると2008年10月発行になっています。「このころ義父はまだ、読書三昧の日々だったんだな。」そう思いながら、赤線が引かれた部分を読むうち、本全体の内容そのものに興味が湧いてきました。

実際、読んでみると久しぶりにかなりずっしりとした読み応えを感じました。英語圏で生活した経験を持つ私にとって、この本は共感する部分が多かったです。12歳からアメリカで暮らし、英語社会の中で日本語もしっかり読みながら、青春時代を送った水村氏の人間の言語への深い追求心のようなものがひしひしを伝わってくるようでした。

読み進めるうちに「日本語とはどんな言語なのだろう?」「これからどうなっていくのだろう?」そんな疑問が改めて湧きあがってきました。

さて、この本で水村氏は、言葉について普遍語、現地語、国語という概念を中心に展開しています。普遍語は学問の言葉です。古くは、漢文圏では漢語、イスラム圏ではアラビア語、ヨーロッパではラテン語でした。人類が叡智を得るのに適した言葉ということです。
現地語は人々の母語であり、国語は「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」です。

ところで日本語は漢文に対して「現地語」でしかなかった歴史を持ちながら、やがて成熟した文学を生みだす成熟した言葉になっていきます。それは大陸からの程よい距離、つまり地理的な近さでもあり遠さでもあることが日本固有の文化を花開かせたということでしょうか。

明治維新以後は、植民地となる危機をのがれ、日本語は国語として成立します。明治の初めは日本語教育も模索の時代で英語公用論も出たことがあるそうです。

漱石は、そんな開国時の危機感から抜け出し、近代国家として歩み出した時代に活躍した作家です。この時代の多くの作家たちが優れた近代日本文学を確立しました。

水村氏はこれについて、「日本は近代に入って西洋から受けた衝撃は<有史以来>の強烈なものであった。それは日本に曲折強いた。・・・でもこの曲折を強いられた結果から面白い文学が生まれた。」と言っています。さらに西洋語の翻訳で新しい日本語が定着します。

そこまでわかった上で改めて漱石の文章を読んでみると確かに、近代文学という気がします。
尾崎紅葉の金色夜叉は古文です。(この本で、金色夜叉が英語の娯楽小説の焼き直しであることが2000年に発見されたということを初めて、知りました。)

ところで、漱石の文学は日本語のわかる外国人の評価は高いが、日本語のわからない外国人が翻訳ものを読んだ時の評価は低いとこの本にもあります。確かに私もその通りだと思います。それだけ漱石の日本語は翻訳が難しいということでしょうか。

わたしが海外生活をしていた時に出会ったヨーロッパ人の中に日本文学愛好者が何人かいました。当時一番人気は三島由紀夫、次は川端康成。漱石の名前は聞いたことありませんでした。(現在なら一番人気は村上春樹なのかもしれませんが・・・。)

千年前の源氏物語も世界で高い評価を得ています。

この本を読んでもう一つ・・・ブリタニカのJapanese Literatureでドナルドキーン氏が「世界で最も主要な文学のひとつであり、それが「英文学に匹敵する」と紹介されていることを知ったのは私にとって新しい発見でした。

ところが今、インターネットの出現により、母語でない人も含め世界中でもっとも多くの人々が使う英語が世界の普遍語になりつつあります。
確かに私も英語のサイトならかなり見ています。今や世界中の人々と交流できる英語はネット上でも、世界各地を旅する時も最も重要な言語です。

世界中の非英語圏の人々が英語に吸い込まれていく時代の到来です。

日本は8世紀から「自分たちの言葉」の文学を持っていました。その間ずっとすぐれた文学が絶えず生み出されてきたのです。

水村氏は紫式部のこんな歌を紹介しています。

年暮れて わがよふけゆく 風の音に こころのうちの すさまじきかな

わずかな文字数の中にしみじみとした世界観が広がる短歌や俳句は、もっとも手短に日本文学の奥の深さを感じさせてくれます。

改めて、日本語について深く考えるきっかけとなった一冊でした。


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