いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

美貌の女帝  永井路子 著

2010年05月07日 | 小説
今年は平城遷都1300年。まだ行ってはいませんが、奈良の平城京跡では復元が少しずつ進められているようです。

古代史はまだわからないことが多いようですが、最近日本書紀なども編纂者側に都合のいいように書き換えられている可能性などもわかってきて、真実に迫ることがひとつのロマンのようでもあります。

先日NHKのドラマ「大仏開眼」の録画を見ました。平安遷都1300年にちなんで制作されたのでしょうか?

奈良の大仏は正確には「東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」といい、東大寺大仏殿(金堂)の本尊です。聖武天皇の発願で745年に制作が開始され、752年に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたそうです。現存する大仏像はその後何度も補修がされ、当初の部分はごく一部が残っているだけのようです。

あまりに古い時代の話なのでドラマとして見ると何だか不自然さを感じるのは仕方がないのかもしれませんが、この時代の皇族やその周辺の人々の覇権争いに関わる陰謀や殺人などのほうが印象に残りました。古い時代の歴史物の悪人か善人かは描く人の見方でまるっきり違ってきますからそのまま事実のように受け止めるのではなく物語の制作者の見方や考え方を探ることが大切であるかと思います。


さて話を本題に戻します。この本は聖武天皇の伯母にあたる元正天皇の話です。

物語は平城遷都の少し前、天智天皇の皇女で天武天皇の皇后だった持統天皇の時代から始まります。美貌の女帝とは元正天皇(氷高皇女)のことで、古代の文献にも美しい帝であったことが書かれているそうです。

氷高皇女はその母、元明天皇(天智天皇の第四皇女で、持統天皇は父方の異母姉妹。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、姪娘<めいのいらつめ>。天武天皇と持統天皇の子・草壁皇子の正妃であった)が若い頃出会った予言者の教えに従って生涯独身で政治に身を捧げます。当時は天智天皇の近江京の時代から壬申の乱を経て、藤原京、平城京(そのあとの聖武天皇もまた遷都を試みますが・・・)都は点々と変わり、貴族たちは皇位をめぐって虎視眈々とわが身とその一族の繁栄を狙っていました。

平城遷都はこの元正天皇の母、元明天皇の時代だったわけですが、皇族たちはずっとこの権力闘争の渦の中に呑み込まれ、代々受け継がれていく血族の結束や結婚によって微妙に変化する天皇の血筋のかけひきと当事者たちの苦悩が描かれています。

蘇我氏から藤原氏へ・・・。氷高皇女とその一族は必死で蘇我系の血筋を守ろうとしますが・・・。

大化の改新で功績があったとされる中臣(藤原)鎌足の息子である藤原不比等は娘宮子を元明帝の息子で元正帝の弟、文武天皇と結婚させ、皇子首(くびと・・・後の聖武天皇)が産まれます。(宮子は心身障害に陥り、その後長い間息子会うことはなかったといわれています。)そして不比等の別の娘である安宿媛がのちの光明皇后となります。以後藤原氏の勢力が拡大し、平安時代、藤原道長の頃には全盛期を迎えるわけです。

物語は聖武天皇の時代まで太上天皇として君臨した元正帝が聖武天皇の娘の安倍内親王(孝謙天皇)の即位を認めるところで終わります。孝謙天皇もまた独身だったため、ここで天武天皇の血筋をひく天皇は途絶えます。(この物語ではと言うより永井さんは触れていませんが、天智と天武は兄弟だったことになっていますが実は違っていたとか、天武は新羅から来た王子だとかいろいろ言われていていずれにしても天武の血筋を天皇として認めたくない勢力があったことは確かのようです。)


天皇になった一人の女性の若き日の恋ごごろや権力闘争に悩み苦しむ姿は非常に人間的な感じを受けましたが、何だか万葉集なども読みながらこの時代の人々の息遣いを改めて探ってみたくなりました。