いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

笹まくら  丸谷才一著

2008年02月25日 | 小説
 以前、TBしていただいた記事を読み、「笹まくら」に興味を持ちました。読み進めていくと次第に、私にとっては1冊が数冊分に思えるような重さを感じるようになりました。確かに打ちのめされるという表現に頷けるかもしれません。

 東京で育った町医者の息子「浜田庄吉」は終戦の年25歳の設定で、彼が徴兵忌避による5年間の逃亡生活を送る間は、宮崎県出身の「杉浦健次」というさらに実年齢より少し年上の男として生きていきます。
終戦と同時に彼は再び「浜田庄吉」に戻ります。そして、逃亡生活の「杉浦健次」の時に出会った女性「阿貴子」とは別れます。
平和な時代の到来と共に、就職、結婚、平凡な一市民として生きようしながらも国家の体制に逆らって生きた過去の事実と現在の職場の彼の昇進を阻もうとする重苦しい体制の圧力の中で彼は苦悩します。

 読み始めてすぐにその重苦しさと切なさがしばしばページをめくる私の手を止めました。内容が戦争中のことだからかなとも思いましたが、私自身は国家がどうの戦争がどうのと思う前に、主人公の「浜田庄吉」の過去と現在の心のスパイラルを追いかける描写が切なくてたまらなかったです。あまりにも孤独な男だと思いました。浜田は結構プライドも高いし、若い妻へも心を開いていません。子供もいないし、結婚も決して幸せとはいえない状態にあるように描かれています。そんな彼を最初はつまらない男だと思いながらも、(小説なのは充分にわかっていながら)気味悪いほどの正直さが伝わってくるのが反って切なく、それでいてどことなくシニカルな感情も湧き上がるのを感じながらこの本にのめり込んでいきました。

 私の父は作者の丸谷氏と同い年です。終戦の年、丸谷氏は19歳で山形の連隊に入営し、そこで終戦を迎えたそうですが、私の父も18歳の時出征し、中国大陸へ送られ19歳の時終戦を迎えました。当時、そんな国家の体制に逆らうことなど事実上不可能に近かったことでしょう。
 父は私が子供の頃から大人になって家を出るまで、戦争の話はほとんどしませんでした。温厚で物静かな父は、戦後の高度成長期を企業戦士として生き、80歳を過ぎて、最近、ようやく重い口を開いて苦しかった行軍のことなどポツリポツリと話すことがあります。亡き母は空襲の恐怖や戦争の悲惨さを繰り返し語ってくれましたが、今、父が戦争についてどう感じているか、私にはよくわかりません。

 先日、実家の父に会いに行った時、行きの電車の中でこの本を読んでいましたので「お父さんの周りで徴兵忌避をして終戦までどこかへ逃げていた人っている?」と聞いたら、「いないなあ。もし、逃げていても、大抵はすぐつかまってしまっていただろうから。」という答えでした。
 すでに2人の兄と2人の弟を亡くし、つい最近、同い年の親友を見送ったばかりの父に、その日は、それ以上戦争の話を聞く気になれず、話題を変えました。

 帰りの電車の中で読み終えたばかりのこの本を再び開き、ページをめくるうちに、浜田庄吉と彼のまわりの登場人物(たとえ本心は嫌だったとしても兵役に服した大学の教職員たちや浜田の友人たち、妻陽子を含めたかつての恋人たちなど、戦争を経験した人々)と同じ時代を生きた私の両親や伯父伯母たちのことが重なって、複雑な気持ちになりました。 

 戦争を知らない私たちの世代なら、「浜田庄吉」は戦争という異常事態の中で国家という体制に抵抗し続けた英雄と考えることも自然かもしれません。でも、単に「軍隊にとられたくない」という、人間としてあたりまえの発想がやはり本当だと。私にはどうしてもそう思えてしまいます。結果的にどうであったかという解釈はいくらでも出来るでしょうけれど・・。

 昭和41年、この小説が世に出た時、私はまだ小学生でしたから、知りませんでした。今までこの本の存在を知らなかったのは少し残念。 もし若い頃、これを読んでいたら、何を感じただろうかと思います。その頃なら戦争を体験した人々はもっとずっと多くて、まだ多くの人が社会の中心で働いていました。身近な戦争を体験した人々にもっと戦争のことを尋ねたかもしれません。当時の私は今よりもっと無知で、自分のことで精一杯でしたが・・・。

 今から数年前のことですが、私の息子が大学生の時、我が家へ台湾からの留学生の友人を連れてきました。私たち家族は息子の友人と一緒に食事をしながら、いろいろな話をしました。その時、彼は日本と違って台湾には現在も徴兵制度があること、男性は皆若いときに約2年間の兵役につかなければならないのでそれを人生設計の中に考えなければならないことなどを語ってくれました。この点についてはお隣の国、韓国も台湾と似ています。
 私には、わが子と似たような年齢の若者が国家の決めたことだから逆らうわけにはいかないというのを聞いて、何と言っていいのかわからなくなったことを思い出しました。そして、同時に、昔、父が出征した時のことを祖母が話してくれた日のことを思い出し、もし、息子と私が同じような立場に立たされたら、どんな気がするのだろうと思ったものでした。

 この小説は重苦しい雰囲気を持つわりには、後半になると浜田庄吉も妻の陽子も何だか滑稽にも感じられ、「浜田庄吉」さんに「もう悩まなくっていいんじゃないの。もっと開き直ったら?幸せにはなれないかもしれないけどこれ以上不幸にもきっとならないわよ。」と言いたくなるような気持ちにもなってしまいます。
 私がそう思い始めた途端、小説の中でも、浜田は「国家に対し、社会に対し、体制に対し、いちど反抗したものは最後までその反抗を続けるしかない。」という結論に達します。「危険な旅、不安な旅、笹まくら。」
 そして過去と現在が複雑に絡み合うこの小説の最後は浜田庄吉が杉浦健次として生きるスタートラインに立つところで終わります。

今まで読んだどの小説とも違う複雑な読後感ですが深い読み応えを感じました。