お散歩日記 復興の日目指して

写真付きで見たことや日々感じたこと、震災に遭い今感じていることなど、記録にとどめたい。

百済王朝最後の末裔と日本のつながりがここに

2014-10-24 14:41:46 | 日記
  天平ろまん館                                                                       大伴家持歌碑                                                                                                            すめろきの 御代栄えむと 東なる みちのく山に くがねさく             

百済の最後の王義慈王には,息子が二人おり当時人質のような格好で日本にいました。百済が 新羅と唐に攻められ滅びようとしたとき,
兄は国にもどり,白村江の戦いとして有名ですが,それで滅びました。
もう独りの弟は,百済の血を残すため日本に残りました。それが 勇
そして,その曾孫 敬福が陸奥国守として この涌谷の地で 日本で初めて 金を発見します。
聖武天皇はこれを喜び,この地の金 146Kgで 東大寺の大仏を飾ったのです。

紅葉を撮影しにでかけ,百済人望郷の碑なるものを発見し,調べたところそのような歴史が分かりました。
近くにいながら,そんな重大な歴史も知らずにいたことに,うちひしがれた日でした。
韓国の古代歴史物ドラマをみながら,百済の最後の王朝の末裔が日本にいることは知っていたのに。
こんなに近くにその足跡があったとは。

ここの金発見から,怒濤の金探しが日本で始まり藤原文化へと続いて行くのですね。
その影に,百済人の力と知恵があったこと。また,韓国と日本の友好の足跡がここにもあることを知りました。






   黄金神社境内と 今でも砂金がとれる川
           
   百済人望郷の碑                                                                                                                                           黄金の鳥居 ここだけかな? 
コメント (2)
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