平成11年3月11日に発生した東日本大震災から2年目の今日を迎えました。
誰しもが忘れられない、忘れてはいけない日です。
私自身は地震で大きな被害に遭ったわけではありませんが、夫との死別からわずかに3か月後に起きた今まで経験したことの無い体を突き抜けるような大きな揺れに、得体の知れない恐怖と不安を感じたのを今でも忘れません。
地震が発生した瞬間は職場で子供たちを守るのに精いっぱいでした。
そして電気が止まって暗く寒い夜を、ボアコートを着てロイを抱きしめローソクを灯して心と体に暖をとったあの夜。
不安で押しつぶされそうになった気持ちを、ロイの温もりと、つながらない携帯電話に何度も表示される息子たちからの番号が和らげてくれたっけ。
自分自身の悲しみが癒えていないのに「被災地では家族と生活を奪われて自分より辛い人が沢山いるんだ!」と思うことで、自分を無理に奮い立たせようとしたけど、「違う、愛する人を突然に失った悲しみは同じなんだよ!」と気持ちが揺れ動いた辛い1年間でした。
溢れ出すとてつもない悲しみを、心の中で被災地の方と共有し、思い切り泣くことで気持ちをコントロールしてたんです。
その後仕事関係のボランティアで何度か気仙沼に行く機会を与えてもらい、それまでTVでしか見たことの無かった被災地の姿を自分の目で見、被災者の声を聞き一緒に泣いたという体験をしてから、自分の中でも何かが少しづつ変わってきました。
それでも逞しく前に進もうとしている被災地に触れて「そうなんだ、いっぱいいっぱい泣いたら顔を上げて少しづつでも前に向かうしかないんだ」という気持ちが、自分の中で春の芽吹きのように動き出してきました。
最愛の人が亡くなったのは悲しい・・・でも、しょうがない、どうしようもない。
一人になってしまったのは寂しい・・・でも、しょうがない、どうしようもない。
こうして現実を受け入れ、あきらめて、前を向く。
あの日3月11日は絶対忘れません。
そしてこれからも被災された方たちと悲しみを共有しながら、それでも前を向いていこうと思う。
の画像はお借りしたものです
あの日を、きっと誰も忘れない。あの日、その時、何をしていたかを。
私は母の病室で過ごしていました。
その後、私も母を失い、でも、震災で愛する人を亡くした人たちのことを思うと、まだ私は、母にいろいろしてあげられから、そんなに悲しむべきではないと、ずっと言い聞かせていました。
でもやはり、私も悲しかった。
ずっと、自分の中で葛藤がありました。
自分の悲しみは、そんなに深くあってはいけないのでは?と。
私にとっても、いろんなことを思う日です。
被災された方たちの心が、少しずつでも癒えるようにと、祈るばかりです。
長々と、すみません。
思い出しますよね、自分がどうしていたかを・・・
被災された方を思うとき、自分はまだ幸せなんだと考えたりしたけど、亡くした辛さは同じだったんですよね。
みーちゃんもそうなんです。
そういえば、昨日、TVの被災者のインタビューで「やっと、花や空を見て美しいと思えるようになりました」と言っているのを聞いて、「ああ~私もそうだったんだ」と思い出しました。
突然の悲しみに色の無い世界に入ってしまった自分が、時間が過ぎたあるとき、ロイと散歩していて「ロイ、空がきれいだね~」って、やっと心に色が戻ったと感じたのを覚えています。
TVのインタビューを聞いていて「良かったぁ~」と自分のことのように嬉しかったです。
そうやってみなさんが心が癒えて立ち直っていかれるのを願わずにはいられませんね。