一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
活力
欲深い人間ほどいつか痛い目にあいます。ただ欲のない人間もなんだか怪しいものです。
仏教ではこの欲を大欲と小欲にわけます。どうせ欲深いのなら大欲、大きな目的のためにその活力をつかいなさいということです。
活力とは生きる力。生命力です。ある意味、この生命力は人間の魅力みたいなものを醸し出します。
何か大きな目標にむかって邁進している人はその人のそばにいるだけでなんだか元気をもらえます。もちろん、その目標は世の為、人の為、自分の為のものです。人を不幸にするような目標は大欲とはいいません。
身体から泉のように湧いてくる活力。
何かをしなくては。自分はこのままでは終われない。自分の生きる力を最大限に生かしたい。
どうせ、同じ人生なら後悔をしないようにしっかりと生きたいものです。
ただこの世の中で苦しんだものがあの世で花開くとも言われています。悲しみ、苦しみはつきないものです。
精一杯生きる中でどんなにうまくいかないこと、苦しいこと、理不尽なこと、どうにもならないことがあったとしても大丈夫です。神仏はすべて知っておられます。確認済です。
この年になると皆、平等にあの世へと旅立っていくことがよくわかります。
同じ必ず終えるこの世の人生。活力だけは失いたくないものです。
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