一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
祈る本能
私、実際に思うのです。一人で生きてきたらいったいどんな人生になっていただろいう、って。
正直、お世話になったのに方向性の違いより疎遠になった人がいますがでもよーく考えるとその人がいたからこそ今の自分があるわけです。
その時はその人の助けがなければどうにもならなかった。だから疎遠になっても心の中で感謝すればいいわけです。
自分の心でその時代のその人のことを思い出して感謝する。
先祖供養だって実際のその人はこの世にいないわけです。それでも祈る、語りかける、思いをこめる、のはどうしてでしょう。
それは心で祈ることを必ずとどくと本能で理解しているからです。
亡くなった人でもそうなのに実際に生きている人ならなおさらリアルに伝わるのではないでしょうか。
会えなくても、話せなくても。
一番の大切な存在は家族です。
言葉でなかなか伝えられなくても思えば自然と態度や雰囲気になってあらわれます。恋人でもそう。
人はこの世で生きていても半分は霊的な存在です。
そう思えば心がけひとつでいくらでも人生の状況は変わってきます。
快晴の青空のような日々を送れるかどうかは自分次第です。
正直、お世話になったのに方向性の違いより疎遠になった人がいますがでもよーく考えるとその人がいたからこそ今の自分があるわけです。
その時はその人の助けがなければどうにもならなかった。だから疎遠になっても心の中で感謝すればいいわけです。
自分の心でその時代のその人のことを思い出して感謝する。
先祖供養だって実際のその人はこの世にいないわけです。それでも祈る、語りかける、思いをこめる、のはどうしてでしょう。
それは心で祈ることを必ずとどくと本能で理解しているからです。
亡くなった人でもそうなのに実際に生きている人ならなおさらリアルに伝わるのではないでしょうか。
会えなくても、話せなくても。
一番の大切な存在は家族です。
言葉でなかなか伝えられなくても思えば自然と態度や雰囲気になってあらわれます。恋人でもそう。
人はこの世で生きていても半分は霊的な存在です。
そう思えば心がけひとつでいくらでも人生の状況は変わってきます。
快晴の青空のような日々を送れるかどうかは自分次第です。
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