一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
敵か味方か
人は自分の思い通りにはなかなか生きれません。それはあきらかに自分に否定的な相手との出会いでもそうですし、逆に自分に肯定的であってもある拍子に思いっきり否定的になる人もいるからです。
まさに誰が敵か味方かわからない、そんなところです。
イエスマンの怖いところはいざという時には側にいないところです。またその逆に普段はそれほど近づいてきてくれないのにいざという時には助けてくれる人もいます。
病気になって入院したとしても最初はお見舞いにきてくれますが頻繁に訪れてくれる人は限られています。調子のいい時はとても好意的なのにそうでないときはまるで他人以下になるパターンだってあるのです。
この世の中は本当にわからないものです。敵もいれば味方もいます。私のことをよく思っていない人も考えたくはないですがそれなりにいることは確かです。
出る杭は打たれる、というようにどうしても最初は障害がつきものです。しかし出過ぎればもう打たれることはありません。相手も諦めます。
全日本女子のバレー部の監督の中田久美さんが最後はスポーツも根性だとおっしゃっていました。私もそう思います。
この世の中はやったことしか返ってきません。そう考えると私と同じくらい努力しないと私を倒せないということです。やるしかありません。
まさに誰が敵か味方かわからない、そんなところです。
イエスマンの怖いところはいざという時には側にいないところです。またその逆に普段はそれほど近づいてきてくれないのにいざという時には助けてくれる人もいます。
病気になって入院したとしても最初はお見舞いにきてくれますが頻繁に訪れてくれる人は限られています。調子のいい時はとても好意的なのにそうでないときはまるで他人以下になるパターンだってあるのです。
この世の中は本当にわからないものです。敵もいれば味方もいます。私のことをよく思っていない人も考えたくはないですがそれなりにいることは確かです。
出る杭は打たれる、というようにどうしても最初は障害がつきものです。しかし出過ぎればもう打たれることはありません。相手も諦めます。
全日本女子のバレー部の監督の中田久美さんが最後はスポーツも根性だとおっしゃっていました。私もそう思います。
この世の中はやったことしか返ってきません。そう考えると私と同じくらい努力しないと私を倒せないということです。やるしかありません。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )