2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■さすらいの二人

2007-08-02 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  
  小田実のことを2日間書き続けた。そうして新聞を開くと、映画監督のベルイマンが亡くなっていて、しかもネット上には阿久悠の死が報じられていた。挙句の果て、帰宅して読んだ昨日の朝刊には、ミケランジェロ・アントニオーニの訃報が掲載されていた。

  もちろん、有名人のマイルストーンを列挙することがこのコラムの目的ではない。それにしても、連鎖する巨人の死。7月1日に始めたこのコラムも、1カ月を過ぎた。連載初回(7月1日)を見ると、私が影響を受けた人列伝の中に、アントニオーニの名前が見える。

  新聞は、アントニオーニの代表作を次のように記した。「赤い砂漠」「太陽はひとりぼっち」「情事」「欲望」「砂漠」…。いずれも、アントニオーニを語るには欠かせない作品である。しかし、代表作と言うなら、私はあえて「さすらいの二人=Rrofession : reporter 」を挙げる。

  この東京1975→∞というコラムでは、書物の腰巻(帯)の文言を紹介することで内容の解説に替えてきた。DVDもそれに倣おう。

  「世界を股にかけドキュメンタリーを撮影するジャーナリスト、デビッド・ロック。彼は北アフリカを取材中、同じホテルに泊まっていたデビッド・ロバートソンという、自分と容貌のよく似た男の死に遭遇する。彼の遺体を前に、ロックは突如、自分がこの地で死んだことにし、残りの人生をロバートソンとして生きようと決意する。ロックはパスポートの写真を貼り替え、彼の持っていたチケットでミュンヘンへと飛ぶ。しかし、生前のロバートソンは武器をゲリラに密売する危険な男だった」。

  DVDの解説は饒舌で、このあと8行も続く。この映画は、ラストシーンで見せる6分半のワンショットが映画史に残る謎として語り継がれている。

  私は劇場で何度かこの映画を見た。ラストの6分半、この技術はいまだに謎である。そのシーンについて、誰かと語り合えないものか。

  (写真はDVD「さすらいの二人」のフロント・カバー)

  

  

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