疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

村上春樹 ノーベル文学賞 ならず!

2006年10月13日 02時26分07秒 | 書籍
今年のノーベル文学賞の候補に挙がっていた村上春樹は残念ながらダメでしたね。
今年はトルコの作家が受賞しました。

日本で今までノーベル文学賞を取ったのは、川端康成(美しい日本の私)と大江健三郎(あいまいな日本の私)の2人だけです。

川端康成は、非常にオリエンタリズム溢れる作家で、日本の四季や・光の中の描写を通して、ストーリーの中の人物の心を同時に描く、きわめて日本的な作家でした。

大江健三郎は、もちろんテーマが非常にセンセーショナルな人々の対立構造を描き、自身も強い厭世観の中にありながら、それが四国の森の深い漆黒に包まれることで、強い心や強い対立が、やがて融和されていく様を描いた、非常に戦後的な作家でした。
彼自身は非常にフランス文学の影響が強いのですが、その彼が四国の森にたどり着く背景には、やはりガルシア=マルケスの「百年の孤独」があるのではないでしょうか?

村上春樹は、どちらかというと日本文学の系譜で話してはいけない人かもしれません。つまり、海外から見た日本の強い異国情緒から解き放たれた作家といえるのです。
逆に村上龍のトパーズなどは「Tokyo Dekadance」というタイトルで、結構外国で読まれてますが、これはアラーキーの写真と同じで「混沌と悪徳の都 東京」というオリエンタリズムに起因した人気といえます。

本当はこういう、「何処の国の人でもいいけど、たまたま日本人だった」という作家がノーベル文学賞を取るのが良いと思うのですが、なかなかそうは行かないですね。

今回のことで存命中の大物で取っていない人を探すと、リョサ「族長の秋」とジョン・アービングがまだなんですね。
少なくとも村上春樹はこの二人の後だと思いますけどね・・・。

あと、本当に何処の国でも読まれている日本の作家は、もちろん三島由紀夫です。
ロンドンの大きな本屋のワールドコーナーには、普通4~5冊は置いてあるほどの「世界的に常識」という作家の一人です。
この人は自殺するのが2年遅ければ絶対獲ってたでしょうね。それは間違いないです。それに、獲らなきゃいけなかったですよ。

三島が候補に挙がっていた1968年から1970年ごろというのは、フランスで第五共和制に移行する革命があったり、アメリカで公民権運動が高まったりして、非常に左翼的な時代背景がありました。

文学において左翼的というのは、何も労働者文学、小林多喜二みたいな事を言うのではありません。
強い一つのストーリーに登場人物が帰属せずに、登場人物やそこに出てくるあらゆる記号がそれぞれ独立していながら、組み合わせると、それぞれの細胞がもつ自律的なベクトルがたまたま、ストーリーを生み出すというのが左翼的であるということなのです。
逆に三島は非常に右翼的な作家で、ある、ものすごく強いストーリーのために文章内の全ての要素・記号が配置されている
作家なのですが、その構成が超人的に素晴らしいので、時代背景と関係なくノーベル賞を取れる作家だったわけです。

それだけに確実にあと数年のうちには取れた筈なのに、自殺してしまったのは惜しいですね・・・。






コメント
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