6月17日の土曜日の朝5時に、なぜか「おれたち ひょうきん族」の
メイキング番組をやってます!
見ると、1981年4月に始まった「ひょうきん族」がいかに
「8時だよ全員集合」を向こうに回して、アナーキーに徹したか
というのが、よく分かります。
横沢さんや、三宅さんや、放送作家の大岩さんや、山村さんがインタビュー
を受けてますが、それぞれ80年代の熱を感じますね。
とにかく、ただ志としては「面白いことをしよう」ということだけだった
というのがカッコいいですね。
ディレクターが5人。作家が10人でやっていたらしいですね。
そこで面白いのが、技術会社のニューテレスの社長さん(初期のTDさん)
常務さん(中期のSWさん)などのインタビューでしたね。
なにしろ、型破りの番組で、ハプニングの連続だったのでリハが全然
出来なかったので大変だったと言っているのが、印象的でした。
行動を予測して、カメラ5台のうち2台は「今のハプニング」
2台は「その次のハプニング」最後の1台は「次の次のハプニング」に
備えて撮っていた。
スタジオのセットの外にも照明を当てておいて、スタジオの中であれば
何処でも撮れるようにしていた。
それでもうまく行かなくて、撮影の度ごとにディレクターを含めて反省会をしていた。のだそうです。
横沢さんが「カメラ・技術チームが情熱を持ってやってくれたのが、
番組を救った」と言ってるのが良かったですね。
また、「全員集合」では美術さんが非常に優秀だったということは
有名ですが、「ひょうきん族」の美術さんが、「我々はセットなどを
作りこむことはしなかったけど、ディティールは作家やディレクターと
一緒に作りこんだ」と胸を張っているのが素敵でしたね。
そのなかで 「ET」のパロディー「いーてふ」という時代劇をやったのが
とても印象深いですね。
とにかくテレビ番組は、チームワークがあって初めてうまく行きます。
スタッフを大切にして、他の人の仕事をリスペクトするチームは、
番組にクオリティーとして出ますね。
しかし長くやっていたようでしたが、8年半だったみたいですね。
メイキング番組をやってます!
見ると、1981年4月に始まった「ひょうきん族」がいかに
「8時だよ全員集合」を向こうに回して、アナーキーに徹したか
というのが、よく分かります。
横沢さんや、三宅さんや、放送作家の大岩さんや、山村さんがインタビュー
を受けてますが、それぞれ80年代の熱を感じますね。
とにかく、ただ志としては「面白いことをしよう」ということだけだった
というのがカッコいいですね。
ディレクターが5人。作家が10人でやっていたらしいですね。
そこで面白いのが、技術会社のニューテレスの社長さん(初期のTDさん)
常務さん(中期のSWさん)などのインタビューでしたね。
なにしろ、型破りの番組で、ハプニングの連続だったのでリハが全然
出来なかったので大変だったと言っているのが、印象的でした。
行動を予測して、カメラ5台のうち2台は「今のハプニング」
2台は「その次のハプニング」最後の1台は「次の次のハプニング」に
備えて撮っていた。
スタジオのセットの外にも照明を当てておいて、スタジオの中であれば
何処でも撮れるようにしていた。
それでもうまく行かなくて、撮影の度ごとにディレクターを含めて反省会をしていた。のだそうです。
横沢さんが「カメラ・技術チームが情熱を持ってやってくれたのが、
番組を救った」と言ってるのが良かったですね。
また、「全員集合」では美術さんが非常に優秀だったということは
有名ですが、「ひょうきん族」の美術さんが、「我々はセットなどを
作りこむことはしなかったけど、ディティールは作家やディレクターと
一緒に作りこんだ」と胸を張っているのが素敵でしたね。
そのなかで 「ET」のパロディー「いーてふ」という時代劇をやったのが
とても印象深いですね。
とにかくテレビ番組は、チームワークがあって初めてうまく行きます。
スタッフを大切にして、他の人の仕事をリスペクトするチームは、
番組にクオリティーとして出ますね。
しかし長くやっていたようでしたが、8年半だったみたいですね。