疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

本田美奈子と投稿雑誌

2005年11月09日 08時50分52秒 | 雑誌
本田美奈子について、南野陽子が「堀越の同級生だ」と言っていたことで、
1986年ごろの男子中学生向け雑誌を色々と思い出しました。

当時アイドル雑誌は「明星」「平凡」を筆頭に
「ボム」(学研)「Dunk!」(集英社)「近代映画」(近代映画社)
「デラックスマガジン(後のOre)」(講談社)「Momoko」(学研)
などがありました。

その中で、彼女は良く「Dunk!」に出ていたような気がします。
ちなみに「ボム」「Momoko」は菊地桃子や西村知美などを
「デラックスマガジン」はミスマガジンの斉藤由貴や南野陽子を
推していて、「Dunk!」はおニャン子クラブが中心でしたね。

で、1986年ごろ、一冊の革命的な雑誌がサン出版から発売されました。
それが「投稿写真」でした。これは一般の人々が取ったアイドル写真を掲載する
というもののハシリで、当時流行りつつあった生写真を投稿させようというのが
当初の目的だったようですね。
そこで盛んに取り上げられていたのが堀越学園の運動会やら修学旅行の図でした。
トップアイドルの南野陽子・本田美奈子・井森美幸は確か同級生なんですよ!
それと、桃子ちゃんのいる目黒の日出女子の写真は、毎週のように掲載されていたのを思い出します。

時を同じくして「台風クラブ」「スーパー写真塾JR」(白夜書房)なども創刊され、アイドルは「撮られるもの」へと変化を遂げていくわけです。

またそのころ、ミノルタからαー7000というオートフォーカス一眼レフカメラが発売になり、素人が簡単に望遠レンズを使いこなせるようになったのも、大きかったですね。そのミノルタがカメラ事業から撤退するとの報道がありましたが、
当時を知るものとしてはさびしいですね。
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ミュージカルにおいての本田美奈子

2005年11月09日 08時30分12秒 | 演劇
本田美奈子についての話を続けます。

1989年に「ミス・サイゴン」に合格したとき、正直言って
「東宝のお家芸の、アイドルをミュージカルに出して話題を作る
やり方か」と思った人は多いでしょう。なぜなら「レ・ミゼラブル」の
初演を思い出すと、コゼットは斉藤由貴(東宝芸能)だったからです。

さらに、「ミス・サイゴン」のプロモーションがらみで写真集の撮影のために
行ったホーチミンで、エロティックな撮影をしたという理由で拘束されたりと
舞台が始まる前は散々でした。

しかし、実際には「ミス・サイゴン」のキムは彼女しか考えられないほどの
はまり役となったのです。一つにはライバルとなる宝塚出身の女優達
(一路真樹などでしょうか?)にはない、下積みの、いい意味でのドロ臭さが彼女にはあったのです。さらにやせっぽちで顔の小さい彼女は、ベトナム難民の貧しさと力強さを体現できる人でもあったのです。
その意味で今の松たか子は、ちょっとまだ足りない感じがしますね。

ただ、それゆえどうしても「お姫様」というわけにはいかなくなります。
その後「王様と私」などにもでていましたが、なにより合ったであろうは
「レ・ミゼ」のエポニーヌでしょう。彼女こそは島田歌穂以来のエポニーヌを作りえる人だったわけです。

さらに東宝では「ベガーズ・オペラ」も控えていたわけで、これからさらに活躍の場があったのに、大変残念でした。
コメント (1)
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