疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

つんく考

2005年09月24日 02時11分39秒 | 歌謡曲
つんくという歌謡曲作家をどう考えるか?
これは21世紀の日本の歌謡曲を考える際に非常に重要な
ことです。

そこで彼の作品をいくつかのパターンに分けてみたいと思います

①ニックニューサー型
 これは、いわゆる「シャ乱Q」っぽい曲のことですが、
 ロックと言っても、演歌っぽいこぶしが効いていて、これが都市のオトナの
 心の琴線に触れることが多いのです。
 これは元をたどればニックニューサーの「サチコ」やら、BOROの
 「東京で生まれた女」、もんた&ブラザースの「ダンシング・オール・ナイト」
 など大阪ロックの伝統でもあります。
 「ずるい女」「シングルベッド」(シャ乱Q)
 「しゃぼん玉」「抱いてHold on me」(モーニング娘。)がその典型です。
 特に「抱いてHold on me」は、その灰汁がモー娘。の初期の魅力の一つでした。

②ジャンルソング型
 これは、音楽のジャンルの典型的なメロディー進行や、コード進行を強く
 意識して、そのジャンルがもともと持つイメージを利用するというものです。
 いわば音楽的引用を用いる方法で
 むかしからボサ歌謡・スカ歌謡・テクノ歌謡といったものがありますね。
 つんくの特徴は、その裾野が広いというか、いい意味で広く浅く
 いろんなバラエティーの典型的なメロディーを持ってくることですね。
 スカ系は「ちょこっとLOVE]・テクノ歌謡はWの一連の作品
 パンク歌謡が「This is 運命」
 1920年代のチャールストンを意識したのが「ザ・ピース」ですね。

③ソフトロック型
 これは、1970年代初頭に流行った、「フリーデザイン」初期「ガロ」など
 にみられる、いわゆるソフトロックの系譜を引くものです。
 ガロの「世界はメリーゴーランド」などはその典型です。
 「でっかい宇宙に愛がある」がつんくワークスの中ではあげられますが、
  ハロプロ全体のために書いた曲は、大体この部類に入ります。

こうしてみると彼の名声を高めた「Love マシーン」は、この何処にも属さない
ことに気がつきます。あえて言えばディスコ歌謡ですが、それほど強い引用がないので、この曲が彼の文脈の中にある曲ではなく、天から降りてきたインスピレーションで書かれた上に、ダンス☆マンのエッセンスが非常に強い曲だったと
言えるでしょうね。


 
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ライムスターの宇多丸さん

2005年09月24日 01時33分24秒 | 歌謡曲
私が、歌謡曲について書こうと思ったきっかけは、
ライムスターの宇多丸ことMCシロー こと佐々木士郎さんの
影響が強いかと思います。
雑誌BUBKAでの、彼の歌謡曲コラム とりわけアイドルの曲への
考察の深さは、週刊文春での近田春夫の名コラム「考えるヒット」に
比するものです。

特に1969年生まれの彼は、71年生まれの私と同じで
幼い頃 ドリフからキャンディーズを覚え、
小学校低学年でピンクレディー 高学年で聖子とたのきん
中学生で花の82年組 高校生でおニャン子にはまって
いまだに終わらない夏休みを送る、常夏の世代の一人です。
(掟ポルシェ氏などもここにギリギリ属します。さらに下には
72年生まれのよゐこの二人なども含まれます)
この世代は、アイドルの曲にはっぴいえんどの松本隆・細野晴臣
らがかかわりを持ち出した時期に歌謡曲を聞くことを覚えた、
世代でもあります。

その彼が最近絶賛していたのが、先に書いたモー娘。のユニット
セクシーオトナジャン(ひどい名前ですが)の「オトナ・おとな・オトナ」です。
これはアーバンボサノバの曲調に、藤本美貴の歌謡曲歌唱方を載せた
ボサ歌謡で、70年代のヒデとロザンナにその端を見ることが出来る、
作品です。とにかく一度聞いてみてくださいよ。
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