疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

竹下通り

2005年04月29日 23時51分02秒 | 社会
先日、久しぶりに原宿の竹下通りに行きました。
懐かしかったけど、やはり変わってましたね。私がよく通っていた1983~88年ごろは、
ブロマイドというか生写真屋がいっぱいあって、良くそこで河合その子の生写真を買ったものです。
また、「ねるとん」のバレンタインハウスやら、所さん・マーシーの店があったり、
のりピーの店もありましたね。とにかくそんなタレントショップが多かったものです。
駅側から通りに入ってすぐのところにあった、安い服の店HARADAなんかはそのままでしたけどね・・。

あと、まだありましたよ「竹の子」。そうあの竹の子族を生み出した伝説のお店ですよ。
当時はサテンの特攻服みたいなのがメインでしたが、いまはゴスロリの店になってる
んですね。びっくりしました。

私が通ってるころが「竹の子」としては、低迷期で、今は第二の盛況期のようですね。
途中のクレープ店は相変わらずでしたが、むかしあった中華料理 「天宝」は
無くなってましたね。
あと、駅からはいって左側にあるアクセサリーのお店は18年前から『閉店セール1000円均一』セールをやってますよ!
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尼崎の列車事故

2005年04月29日 23時04分16秒 | 管理人の身辺雑記
 個人的な80年代の思い出を、今日ニュースを見ていて思い出しました。

例の尼崎の列車事故で、元タカラジェンヌが3両目に乗っていました。
その昔、宝塚大劇場で可憐に踊っていた彼女の足は、あの事故で複雑骨折をしてしまい、
今は動かなくなってしまいました。
気丈に「生かされた命だから・・。」と笑う顔をみて、私はハッとしました。
その万理沙ひとみさんこと川井さんは、私の高校の一年先輩だったのです。

宝塚市の高校生にとって、身近な女性が宝塚歌劇に入るということは、羨望と憧れと、嫉妬が
入り混じった微妙な思いがするものです。さらに、宝塚歌劇に入れるということは、
すでに高校生のときに美貌で有名なわけで、私も川井さんのことはよく知っていましたし、
なんだか複雑な心で見ていたのも事実です。

最後に彼女を見たのは高校2年生の秋口、体育祭が終わって、撤収を始める仲間たちに混じって、体操服姿の彼女がグランドを走る姿が印象的でした。
その長く力強かったストライドは、もう地面を踏みしめることが無いのでしょうか・・・・。

先輩、頑張ってください。心より応援しています。
コメント (1)
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