りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

上書きされてゆく。

2024-01-13 | 家族
1月も、はや中旬になりまして。

そろそろ2024年も、本格的に動き出した模様で。

それにしても。

皆さんもそうだろうが、今年の正月は全くと言っていいほど正月気分がなかった。

それはもちろん、能登半島の地震や羽田空港の航空機事故が起こったことも大きいのだけれど、それ以外にも個人的な出来事があって。



1月1日の早朝、叔父が亡くなった。



叔父は父の兄で、6年前に亡くなった父とは順番が逆になってしまったのだけれど、70代で亡くなった父とは違って80代後半まで生きれたのだから、大往生と言っても良いのではないだろうか。

雲間から初日の出が現れた頃に、叔父の息子(ワタシの従兄弟)から訃報の連絡をもらうや否や、母と一緒に病院へ急行した。

正月ではあるし、葬儀は身近な血筋だけの家族葬で行うことになったのだが、息子世代で動ける人間が限られていることもあって、病院で叔父に対面した1日から葬儀を行なった3日まで、ワタシも叔父の家族と一緒に動き回った。

その間、叔母が何度も「正月なのにごめんね」「ありがとうね」という言葉をワタシに向かって繰り返していたのだが、叔父には幼い頃から本当に可愛がってもらっていたので全く苦ではなかったし、むしろこれからは、1年で最もおめでたい時期を心静かに過ごさなければいけなくなるかもしれない叔父家族が、少し気の毒に思えていたのだ。

だからかどうかは分からないが、叔母がワタシに申し訳ない気持ちを口にする度に、ワタシは呪文のように

「まぁ、いつかは笑いながら話せる時が来るよ」

と、繰り返し返事をしていた。

今思い返せば、長いこと人生を共にした伴侶を亡くしたばかりの人にかける言葉としては、あまりにも能天気な言葉だったのかもしれない。

でも、それは先に父を亡くしたワタシがこの6年間で実感していた事であったし、先立った人に対して残された人間ができる、一番の供養なのではないかともワタシは思っていた。

大事だった人が先立っても、生きている限りどんなカタチであれ人生は続いてゆくわけだし、続いてゆく限り、自身や周囲で起こるさまざまな出来事によって人生は上書きされてゆく。

だからきっと「あの年の正月は大変だったなぁ」と笑いながら話せる時がいつか来ると思うし、そうなるように生きていかなければいけないと、あらためて思う。


          ◆


そして、今は本当に大変だけれど、能登半島の方々にも、いつか笑って話ができる時が訪れますように。


          ◆

ついでに。

松本人志もダウンタウンの2人も、もうテレビで見ることは、おそらく二度とないだろう。

数十年もの長い間、あの唯我独尊のような笑いに接して来た者としてはとても信じられないことだけれど。

それでもまた、新しい誰かが唯我独尊のような笑いを生んで、当たり前のように上書きされてゆくのだろうな。

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