りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

独裁スイッチ。

2020-05-01 | Weblog
連休3日目。

一昨日、昨日は、家の掃除をし、午後から釣りに行って(人が誰も来ない穴場です、念のため)過ごした。

今朝。
目覚めたら、今日も快晴。

どうしようか少し考えたのだけど、ちょっと出かけることにした。



久しぶりに昼間の渡船に乗ってみた。

いつもの日常ならば、この時間帯は通勤・通学の人々でまだそれなりに混雑しているのだろうけれど、船内にはワタシ以外に乗客はおらず。





毎年今ごろの季節には地元の人だけでなく、観光客も溢れる商店街も、同じく。

ただただ、スピーカーから流れる音楽が、アーケードの中空を漂っているだけ。

そんな商店街の中をしばらく歩いて、途中から山手に向かい、目的地の寺へ。

祖父母と父の墓参りへ。

父が亡くなってもうすぐ2年になるが、いつもは必ず家族の誰かが一緒で、ワタシ一人だけで墓参りに来たのは、今回が初めてだった。

大林宣彦監督の映画にも登場する、典型的な尾道の景色の中にあるお寺の墓地なのだが、予想はしていたが、ここも人が誰一人おらず。

「いやー、父さん大変だわ」

周りに誰もいないからか、それとも一人で墓参したからか、線香を手向けた後、墓に向かってごく普通にそう語りかけてしまった。

「まぁ、頼みます」

何を頼んでるのか自分でもよくわからないが、帰り際にも、墓石にそんな言葉をかけて後にした。

誰もいない渡船、商店街、墓地。


ふいに、ドラえもんの「独裁スイッチ」を思い出した。


ボタンを押せば、自分にとって都合の悪い人間や苦手な人間を瞬時に消せるという未来の独裁者が使った道具をドラえもんからもらったのび太が、例によってジャイアンやスネ夫を消してゆき、最終的には地球上の人類を一人残らず消してしまう。
最初は、世界の全てが自分のものになったと嬉々としていたのび太だったが、やがて街並みや風景は何も変わっていなくても、人とのつながりがなければ、自分一人だけでは生きてはいけないことに気づく・・・たしか、そういうお話だった。

当時小学生だったワタシは、拙いながらもこの物語から「人間関係」とか「世間」というものを最初に教えられたような気がしている。

今のご時世の〝人のいない風景”は、「独裁スイッチ」のそれとは目的も理由も違うけれど、実際に肉眼で漫画と同じような風景を眼にすると、どこかで誰かが本当に「独裁スイッチ」を押したんじゃないだろうか?と錯覚してしまう。

まぁ、考え方によっては、永田町にいらっしゃる独裁者っぽい人が押したとも言えないことはないけれども (^_^;)

行き帰りで、正味1時間程度の外出だったけど、そんなことを思ったということっス。

カレンダーでは、明日から正式な(という表現でいいのかな?)連休がスタート。

今年は言わなくてもよいのかもしれないけれど、それでも・・・みなさん、楽しいGWを。

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