写真は、来週の日曜日に行く予定の奥田民生のライブチケット。
チケットが自宅に届いたのは先月末だったのだけど(チケットを
購入してくれたアンジュナさん、どうもありがとう☆)、それから
今日まで、このチケットは和室の神棚に置いてある。
タンスの引き出しとか、金庫とか、もっと適した保管場所は絶対に
あると思うのだけど、今までもコンサートのチケットが届くと、
そのチケットを手にワタシは和室に向かい、躊躇することなく
それを神棚に置き、そして、柏手を打つ。
もはや習慣になっているこの行為。
8年前にこの家を購入して以来、ずっと続いている。
不用心だと注意されればやめたと思うのだけど、一度もそんなことは
言われたことがないので、妻もワタシの行為がおかしいとは
思っていないのだろう(たぶん)。
振り返ってみると、まだ実家で暮らしていた子どもの頃に、何かの入選の
報告とか高校合格発表の報告とか、そういったモノがワタシの元に届くと、
その都度祖父母や両親が神棚に置いてパンパンと柏手を打っていた記憶がある。
娘が生まれて1ヶ月後くらいに、初めて実家に連れて帰った時も、
命名したばかりの娘の名前が大きな字で書かれた半紙が、同じ神棚に貼られていた。
今思えば、いろんなことがある日常の中で、大小関係なく訪れてくれた喜びに
対して感謝していたのだと思う。
音楽が好きなワタシにとっても、コンサートに行く行為は、忙しい毎日の中の
一服の清涼剤のようなもの。
すなわち、いろんなことがある日常の中で、紛れもなくワタシにとっては小さな
喜びであることは明らか。
だからこそ、疑問を挟むこともなく神棚に置いて、無意識のうちに感謝していた
のかもしれない。
来週の日曜日、楽しんできます。
チケットが自宅に届いたのは先月末だったのだけど(チケットを
購入してくれたアンジュナさん、どうもありがとう☆)、それから
今日まで、このチケットは和室の神棚に置いてある。
タンスの引き出しとか、金庫とか、もっと適した保管場所は絶対に
あると思うのだけど、今までもコンサートのチケットが届くと、
そのチケットを手にワタシは和室に向かい、躊躇することなく
それを神棚に置き、そして、柏手を打つ。
もはや習慣になっているこの行為。
8年前にこの家を購入して以来、ずっと続いている。
不用心だと注意されればやめたと思うのだけど、一度もそんなことは
言われたことがないので、妻もワタシの行為がおかしいとは
思っていないのだろう(たぶん)。
振り返ってみると、まだ実家で暮らしていた子どもの頃に、何かの入選の
報告とか高校合格発表の報告とか、そういったモノがワタシの元に届くと、
その都度祖父母や両親が神棚に置いてパンパンと柏手を打っていた記憶がある。
娘が生まれて1ヶ月後くらいに、初めて実家に連れて帰った時も、
命名したばかりの娘の名前が大きな字で書かれた半紙が、同じ神棚に貼られていた。
今思えば、いろんなことがある日常の中で、大小関係なく訪れてくれた喜びに
対して感謝していたのだと思う。
音楽が好きなワタシにとっても、コンサートに行く行為は、忙しい毎日の中の
一服の清涼剤のようなもの。
すなわち、いろんなことがある日常の中で、紛れもなくワタシにとっては小さな
喜びであることは明らか。
だからこそ、疑問を挟むこともなく神棚に置いて、無意識のうちに感謝していた
のかもしれない。
来週の日曜日、楽しんできます。