りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

澄みゆくまなざし。

2010-05-17 | Weblog
昨日も好天で。

昼間は家族サービスをしっかりやって、
夕方に祖母の見舞いに行った。
僕一人で、行った。

西陽の射す4人部屋。
その通路側に祖母のベッドはある。病室の前まで来ると、
定期的に祖母の両肺に酸素を送り込む人工呼吸器の音が
聞こえてくる。

一昨日、実家に寄った時、母が僕に“祖母が目を開けて
いる時間が前より多くなった”と言っていた。
もう“目が覚めている”という言葉は使わなかった。

母も、その状態が間違っても回復の傾向だとは、
もう思っていないのだろう。
鳥人間コンテストで飛び立った人力飛行機は、
少しずつ“湖面”が近づいているといっても、
多少の上下は繰り返しながら“湖面”に近づく。

きっと、祖母も同じだ。

多少の細かい上下を繰り返しながらも、祖母の命は
下降線を描いている。
そういうことだ。

病室に入ると、たしかに祖母は目を“開けて”いた。
僕が顔を覗き込むと、僕の目と祖母の目が合った。
でも、“開いているだけ”の目は、僕が誰なのか、
たぶん、もう分かっていないようだ。
人だと分かっていても、その人が、40年前に自分の娘が
産んだ、祖母にとって初孫だった男・・・ということは、
もう分かっていない。

その代わりといってはなんだが、祖母の目は本当に
綺麗に開いていた。
もしかしたら、こんなに近くでゆっくりと祖母の目を
見たのは初めてかもしれない。
祖母の目は、大きかった。
くりくりと、よく動いていた。
冗談のようだが、祖母がキレイな二重まぶただったことも
今回初めて知った。
そして、僕は気づいた。


澄んでいる。


祖母の目は、本当に綺麗に澄んでいた。
近眼や老眼はもちろん、緑内障も経験した90歳を迎えようと
している祖母の黒目は濁った灰色をしている。
でも、澄んでいたのだ。
だから正確にはその目ではなく、まなざしが澄んでいた、と
表現した方がいいのかもしれない。

それに気づくと同時に、僕はこの澄んだまなざしを、以前どこかで
見たことがあることに気づいた。
いつ?どこでだっただろう?
祖母の目をみつめながら、僕は記憶をたどった。そして、思い出した。


11年前だ。


僕の娘が生まれた時。
生後数カ月が過ぎた娘の目と耳がおぼろげに見え聞こえはじめた時の、
あの時の娘のまなざしだった。
自分を取り囲む世界がおぼろげに分かりはじめた娘は、自分の周囲で
音や声がすると、その方向を全身の力を使って凝視していた。

祖母の今のまなざしは、あの頃の無垢で純心な生後間もない娘の
まなざしと同じだったのだ。


祖母は、死ぬんだ。


僕は祖母の澄んだまなざしに気づいた時、あらためてそう痛感した。
人は、生まれ、様々な人生を歩み、そしていつか終わりを告げる。
それは一直線の道ではなく、円環のようにひとつの輪のように
なっているのかもしれない。

89年前にこの世に生を受け、そして苦労と忍耐ばかりのような人生を歩み、
そして今、少しずつまた89年前の姿に戻りつつある祖母を見ていると、
自然にそう思ってしまう。

そうであってほしい。

祖母は、僕が知っているだけでも、本当に苦労をするためだけに
生まれてきたような人だった。
だから、せめてこの世に別れを告げる時くらいは、無垢で純心だった
赤ん坊の頃に戻してあげて欲しい。


神様・・・あなたが本当に存在するなら、それくらいの優しさが
あってもいいじゃないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする