りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

処分しがたい。

2024-06-29 | 音楽
今日の午後は、ちょいと実家へ。

かつての自分の部屋で片付けと探し物をしていたら、押入れの奥の忘れ去られた段ボールの中から大量のVHSのビデオテープを発見した。



すべて、ミュージック・ビデオ。
すべて、10代20代の頃に購入した、贔屓のミュージシャンのモノ。
せっかく長い眠りから起こしたので、その中からいくつかをご紹介♫



佐野元春 「Truth」。
佐野さんの初めてのビデオ。
ワタシが購入した最も古いビデオ。
たしか、1984年。15歳。
当時のビデオテープは、まだ高額な代物だった。
だから正月のお年玉で購入した記憶がある。
しかし買ったはいいものの、それから数年間は見ることはなかった。

なぜならば・・・当時の我が家にはビデオデッキがなかった(笑)



同じく佐野元春 「See Far Miles Tour Part 2」。
1992年から1993年にかけて行われたライブツアーのビデオ。
このライブは参戦した。
1992年10月の広島公演。
もう、ホントに良いライブだった。
それまでも、それ以降も、数え切れないほど佐野さんのライブには参戦してきたが、その中でも傑出して優れたライブだったと断言してもおかしくない。
だから、その翌年にこのビデオが発売された時には、速攻で購入したことを今でも憶えている。

それから10数年が過ぎたある日、Amazonのサイトでこの商品(DVD)を見つけた。
このビデオのライブはもちろん、自分が参戦したライブの素晴らしさを昨日のことのように憶えていたので、思わずレビューを書いて投稿してしまった。

今でもレビューはありました。
よろしければ、どうぞ。
レビューはふたつありますが、さて、どっちでしょう(笑)? ↓
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 1992-1993 See Far Miles Tour partII [DVD]



スターダスト・レビュー 「SUMMER TOUR in STARTIC」
これは、カミさんのだな。
80年代後半頃、もしくは90年代初頭かな?
カミさんの影響でワタシもスタレビが好きになったけど、ちょっと詳細までは分からないなぁ😅
でも、このパッケージを見る限り、ボーカルの要さんが若いことは分かる(笑)
パーカッションのVOH林さんは現在病気で療養中のはず。
元気に復帰されることをお祈りしています。



浜田省吾 「ON THE ROAD FILMS」
40代になって以降、あまり聴かなくなったんだけど、最近また聴くようになった。
理由は自分なりに分かっているのだけど、まぁそれは、ここに書けば長くなりそうなので、またいずれ😅



映画 「THE BLUES BROTHERS」
初めて見たのは、たしかテレビのゴールデン洋楽劇場。中学生の時。
その時、映画の中で教会の牧師(ジェームズ・ブラウン)の説教を受けたジョン・ベルーシのように、カミナリに打たれたような衝撃を憶えた。
それくらいサイコーに面白かったし、サイコーにカッコよかった👍
このビデオは大人になって購入したけど、サントラ版のCDも購入した。
それは今でもクルマの中で聴いてる♫


                      ◆


ビデオデッキを処分したのは、いつ頃だっただろう?
DVDプレーヤーが世に出回りはじめて直ぐに取り替えたから、もう20年以上前だ。

どんな機械であっても、〈ハード〉を替えることはさほど躊躇することはないのだけど、〈ソフト〉に関しては、なぜか中々処分することに踏み切れない😓

やはり、そこには〈魂〉とまでは言わないものの、その時代その時代を過ごしていた頃の、自分の〈思い〉とか〈風景〉もそのパッケージの中に見え隠れしているからかも知れない。

結局、この数多のVHSビデオは、再び段ボールの中に整然と入れ直し、押入れの同じ場所に戻してしまった。
またこれから、長い眠りにつくことになりそうだ。

ちなみに、すべてのビデオテープを確認したけど、〈アヤシイビデオ〉は1本もありませんでした(笑)
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古い鉄アレイ。

2024-06-22 | 家族
ワタシの父は、偉丈夫な人だった。

身長も高くなく、頭髪も薄かったのだけど(この2つは見事にワタシも引き継いだ😅)、とにかく身体だけは筋骨隆々の人だった。

幼い頃に一緒に風呂に入ると、分厚い胸板や綺麗に割れた腹筋といった父のフォルムに、子供ながら見惚れてしまうこともあった。

「力こぶ見せて」

小さなワタシが浴槽の中で父にそうリクエストすると、父はその度に「これか?」と言いながら腕を折り曲げて力こぶを見せてくれた。
父の二の腕にできたその大きく堅い塊を恐る恐る触わる度に、ワタシはキャッキャッと湯船の中ではしゃいでいたことを憶えている。

当時のワタシは、5、6歳。
まだ筋肉なんて身体のどこにも付いていない。
でも最も身近な男である父親がそうなのだから、男は大人になれば誰もが自然と父のような身体つきになるのだと思い込んでいた。

当たり前のことだが、そんな事はないわけで。

父のその身体は、自身で鍛えた賜物だった。
しかし、これといったスポーツをしていたわけでもなく、鋳物を取り扱う小さな会社の営業マンだった父が、なぜそこまで身体を鍛えていたのか、その頃のワタシには分からなかったし、考えることもなかった。


「アンタのお父さんは、自衛隊に入りたかったんよ」


そんな話をしてくれたのは、叔母だった。
父が亡くなって3ヶ月後、納骨の時のことだ。

父は高校卒業後、自衛隊への入隊を希望していたそうだ。
だが規定の身長に届かなくて、泣く泣く断念したらしい。

そうか、そういうことか。

叔母の告白で、父にまつわる色んな事が氷解したような気がした。

世代的に戦争の記憶なんてほとんどないはずなのに、戦争映画が好きだったことや、レコードも軍歌のアルバムを何枚も持っていたことや、本棚の書籍も軍記物が圧倒的に多かったことや、そして、なぜあれほどまでにムキムキの身体つきだったのかも・・・。

おそらく父は、不可抗力でたやすく壊された夢のカケラを、完全には捨て切ることができなかったのだろう。



          ◆



話は変わるが、先日病院へ行ったら先生に減量するように忠告された。

もうずいぶん前から血糖値が高めで、先生曰く、ワタシは糖尿病の玄関に足を入れたり出したりしている状態らしい。

もちろん自覚症状なんて何もないのだけど、もう何があってもおかしくないお年頃なだけは確か。
なので、当面の間、〈腹八分目〉と〈適度な運動〉が至上命題となった。



          ◆



〈適度な運動〉として、以前からウォーキングはしていたのだが、それだけでは心細いので何が出来ることはないかと考えていた時、たまたま実家でこれを見つけたので自宅へ持って帰った。



古い鉄アレイ。

かつて父が使っていたモノだ。
ひとつ3kg。ふたつで、計6kg。

これを持ち上げていた父の姿を眼にしたことはなかったが、中央に貼ったグリップ代わりのカラーテープのくたびれ具合からして、けっこう使い込んでいたように見える。

先週から毎晩、これを持ち上げている。
この運動が果たして〈適度な運動〉に該当するのか分からないけれど、何もしないよりはマシだろう。
ウォーキングが下半身の運動なら、鉄アレイは上半身の運動だ、と自分に言い聞かせながら持ち上げている(笑)

これで減量ができれば御の字。
そしてそれと同時に、遠い昔の父のような逞しい力こぶがワタシにも備われば願ったり叶ったりなのだけど。

まぁ、欲を言い出したらキリがない。
二兎追うものは一兎も得ず、と言うし。


明後日は、父の命日。


明日は墓参りに行こうと思っていたが、どうやら大雨の予報なので、その代わりに実家の仏壇に手を合わせに行こうか。

もしもその時、〈どうか痩せますように〉と俺が仏前でお願いしてしまっても、父さん、怒らないでくれよ(笑)
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GSX。

2024-06-16 | 家族
今日は午後から、市内のバイク屋さんへ。

大学生の頃、バイクというか原付(初代メットインタクト)に乗っていたけど、それを購入したのは街の小さなバイク屋さんだった。
ワタシにとってバイク歴はその1台の僅か4年間だけだったので、思い返してみると、このような〈ちゃんとした〉バイク専門店へ訪れたのは、おそらく生まれて初めてだと思う。

50代半ばになったし、今から自動二輪の免許を取ってバイクを購入して、ここからいよいよ✨THE・第二の人生✨・・・いうわけではなく😅

今日、この店に訪れた目的はワタシではなく、娘。

娘は今、自動二輪の免許を取るために自動車学校へ通っている。
免許取得まではまだもう少しかかりそうなのだけど、気持ちがはやるのか、バイクを見に行きたい・・・と。
でも足を踏み入れたことがない店に行くのは不安で、ちょっと怖い・・・と。
だから父よ、一緒に行ってくれないか?

・・・まったくコイツは、大人なのか子供なのか(笑)😓

店内にはありとあらゆるバイクが陳列されていた。
ハーレー、ドゥカティ、BMWといった洋モノから、NINJYA、TZR、CBといった国産もズラリ。
重厚なバイクに埋もれて見落としそうになったけど、よく見るとモンキーやベスパも置いてある。





結局ワタシはバイクの免許は取らなかったのだけど、学生時代に周りにいた友人達は軒並み中型免許を取得して、FZRとかGPZとかCBRといったバイクに乗っていたので、バイクの名称だけはまるで洗脳されるように覚えてしまった。
だから30数年前によく眼にした名称のバイクを見つけると、なんだか妙に懐かしい気持ちになった。

そんな感じで店内を一人で徘徊しているワタシと離れて、娘は親切そうな店員さんから店内のバイクを1台1台説明してもらっている様子。
そのうち、1台のバイクの前で長いこと説明を受けているようなので、ワタシも近付いてみた。






SUZUKI・GSX。
カッコいいじゃん👍
GSXといえば、ヨシダやブンさんが乗っていたな。
ヨシダは昨年ホントに久しぶりに会ったけど、全然変わってなかった。
ブンさんとは卒業以来、もう30年以上会っていない。
たしか証券マンになったはずだけど、今でもどこかで元気にしているのだろうか・・・。

昭和のGSXと比べて格段に洗練されたデザインに様変わりした令和のGSXを前にして、そんな昔の友人のことを思い出してしまった。

その後、無事に免許が取れたらまた来ます、と店員さんに告げて、娘とワタシは店を出た。

店を訪れる前は少し不安そうだった娘の表情も晴れやかになったように見える。
おそらく自動車学校の教習用ではないバイクに何台も跨ったことで、免許を取った後の自分を現実的にイメージできるようになったのだろう。

まぁ、引き続き頑張りなさい。



帰りにコンビニで缶コーヒーを購入。
娘が奢ってくれた。
そうか、今日は父の日か。
これぐらいで、十分だ。

ありがとう😊
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やり直せない人生。

2024-06-10 | Weblog
今日の新聞のテレビ欄。

NHKの「映像の世紀」が眼に入った。

〈ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道〉

この番組は「映像の20世紀」の頃から好きでよく見ていたのだけど、今回の内容も面白そうだ。

でも最近は、時計の針が10時を指す頃にはもうだいたい布団に入っている。
今日は休み明けの月曜日だったし、昨夜は眠りが浅かったので、もうこの時間(午後9時15分)でも瞼が重くなりはじめている。
なので、とても最後まで見れそうにない・・・

そんな気持ちだったからか、テレビ欄を眺めながらほとんど無意識のまま

「ルート66かぁ・・・」

と独り言を呟いてしまった。
すると、それを独り言だと思わなかったのか、近くにいた娘が反射的にワタシにこう訊いてきた。




「ん? ナニ⁇ ニート66⁇?




・・・66歳でニートだったら、それはもう残念だけど、やり直せないだろう(笑)

いや、人間はあきらめなければ何歳からでもやり直せるか。

さてはて、本当はどうなんだろう?

まぁ、みなさん、明日もがんばりましょう😅
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アートポスター・アーカイブス(2) HEA(R)T BEAT

2024-06-02 | デザイン
前回UPした作品が1作目で、これは何作目だったのか、もうよく憶えていないのだけど、おそらく30代後半頃に描いたのではないかと思う。

HEAT(熱)とBEAT(鼓動)。
その間にRが入ることで、HEART BEAT(胸の鼓動)になるという。

では、Rが何を意味しているのかといえば、Real(現実)であったり、Roll(転がる)であったり、Rise(起きる)であったり、Run(走る)であったり、Reach(届く)であったり・・・
そして何よりも、ワタシの名前の頭文字だったりする。
色も鮮血のような赤。そういえば、赤もRedだ。

Realな世界でRollしてRiseしてRunしてReachするRikiru。

まぁ、なんて能動的&行動的なコンセプトなんでしょう(笑)
良く言えば、前向きで肯定的。
悪く言えば、自意識のかたまり。

こう書いてて、思い出した。
この頃は、まるで日替わり定食のように精神的な抑揚が激しかった記憶がある。
自分が世界の中心にいるのかのように強気だったと思えば、翌日には理由もなく立ち上がれないほど沈み込んでしまったり・・・
気持ちの振れ幅が尋常になく激しくて、しばらく薬を服用していたのもこの時期だった。

だからこの作品は、自分が世界のテッペンにいると勘違いしていた状態の時に作ったのだと思う。
awesome! creators shopのサイトを見てくれる誰かのためにではなく、ただただ自分自身のために。
じゃないと作れないわ、こんなの(笑)

あらためて見たら、下段のBEATの置き方とか、もう少し考える余地があるような気がする。
でも、手前味噌ながら〈R〉の文字は、いま見ても好き。
毛筆ではなく絵の具筆を使ったのだけれど、よくもまぁ、こんなに勢いよく描けたな。

〈モノ創りに必要なのは、スキルや知識ではなく、勘違いと勢いとハッタリ〉

・・・長年グラフィックデザインに従事してきて、この考えはほとんどワタシの座右の銘になりつつあるのだけれど、もしかしたら、このHEA(R)T BEATという作品は、それが端的に表われた作品なのかも知れない。

良し悪しは別として、〈自分ファースト)をカタチにしたらこうなりました、ってとこか😅

また明日から忙しい毎日が始まるけれど、こんな感じで頑張っていきましょー👍
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アートポスター・アーカイブス(1) 〈 It will rest. 〉

2024-05-31 | デザイン
これが、初めて投稿した作品だった。

データの作成日時を確認したところ、2006年3月の作成。
作品発表のサイト〈awesome! creaters shop〉に投稿するためにイチから作ったのではなく、ずいぶん昔に描いて放置していた人物のイラストを流用してデザインしたアートポスターだった。

人物のイラストを描いたのは、96年〜97年頃。
グラフィックデザインのツールソフト・イラストレーターで、なんとかデザインができるようになりはじめた頃。
おそらくこの男性のイラストも、その練習の一環という感じで描いたものだったのだろう。

サスペンダーにタバコ。
まだ80年代の余韻が残ってる(笑)

まぁ、10代の頃はこういうファッションが好きだったし、今でも許されるなら、こういう格好がしたい気持ちがないわけではない(笑)

淡い配色は、当時の好みだった。
最初に就職した広告会社が大型量販店のチラシ制作専門の会社だったので、どんなチラシをデザインしても信号機のような配色しかしなかったし、できなかった。
その会社を辞めてまだ数年しか経っていないこの頃は、パステルカラーのような原色以外の配色を渇望していたのだと思う。
でも今のワタシなら、パステルカラーではなく、ブラウンやワイン色のような燻んだ色合いの落ち着いた配色でリラックス感を出すような気がする。

タイトルの〈It will rest.〉は、日本語に訳せば〈休もう〉。

この手のタイトルは、その時の心境が滲み出てくるものかと思うのだが、当時のワタシは休みが欲しかったのか?
もう思い出すこともできないが、何かしら厄介なことでもあったのだろうか。
20代後半の頃に描いたイラストを使ってこのデザインを作ったワタシは、当時30代半ば。
さぁ、いよいよこれから!という年齢なのに。

まぁ、あれからずいぶん時を経た今でも、〈あー、休みてぇ〉というボヤキは、しょっちゅう口にはしているけれど。

そういう意味では、ワタシはブレていない(笑)
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よし、決めた。

2024-05-30 | デザイン

パソコンのHDDの中を整理していたら、ずいぶん昔に作成した作品群をみつけた。


すべて、クリエーターサイト「awesome! creators shop」で発表していたアートポスターたち。


時代的には、2000年代後半から2010年代初頭にかけての頃。

当時のワタシはグラフィックデザインを生業にして約20年ほど。

自分が出来ること、出来ないこと、やるべきこと、やりたいことが自身でもどうにか分かりはじめた頃で、とにかく、自分にどれだけの能力やスキルがあるのか知りたくて知りたくて仕方がない頃だった。


そんなワタシにとって、ネットサーフィン中に偶然みつけた「awesome! creators shop」というサイトは、作品発表の場としては格好&最適の場所だった。


しかし、全国のクリエーター・イラストレーター有志が作品を発表していたこのサイトも数年前に無くなってしまった。

そしてワタシがデザインして発表していたアートポスターたちも、サイトの閉鎖と同時にネットの闇の中に葬り去られてしまった。


よし、決めた。


今回、こうやって作品を久しぶりに眼にしたのも何かの縁なのかも・・・と思ったので、当時発表した作品を少しずつこのブログにUPしていこう。


今見ればまだまだ未熟で稚拙な作品もあるのだけれど、それらも含めてワタシの道程。

押入れから出した布団を乾干しするように、久しぶりに陽の光に当ててやれば、少しは供養になるかも(笑)


・・・というわけで、いくつかの作品をこの〈りきる徒然草。〉において、不定期ながらもUPしていこうと思います。

敢えて名前を付けるなら、〈りきる・アートポスター・アーカイブス〉といったところか。


まぁ、皆さんの日常生活の箸休め程度に見ていただければ幸いでございます🙇

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解散するんだってよ。

2024-05-14 | 音楽
先日、ネットのニュースで知った。

ホール&オーツ解散 ジョン・オーツに続きダリル・ホールも正式に終わったことを認める - amass

ホール&オーツ解散 ジョン・オーツに続きダリル・ホールも正式に終わったことを認める - amass

ホール&オーツ解散。ダリル・ホールは新しいインタビューの中で、ホール&オーツが正式に終わったことを認めています。ジョン・オーツも4月にインタビューの中で、ホール&...

amass

 

ワタシが彼らの音楽を聴いていたのは、中学生の頃だった。
というよりも、ちょうどその頃がホール&オーツの全盛期だったから、否応に耳に入ってきたので自然と憶えて自然と好きになっていった。
だから今でも彼らの曲を聴くと、パブロフの犬のように、80年代前半頃の自分や周囲の景色を思い出してしまう。

解散のニュースを知って、あらためて彼らについてWikipediaで調べてみた。

2人とも70歳をとっくに越えて、70代半ば。

年下のワタシからすれば、もうそんな年齢になったら、好きも嫌いも許す許さないも、何十年も連れ添った相方ならば、そういったことも全部ひっくるめて受け入れるような心持ちになるんじゃないかとも思うのだが。

その一方で、人間は70歳を越えようが80歳が近づこうが、やっぱり〈業〉とか〈欲〉とか〈エゴ〉といったモノは、簡単には消えない生き物なのかも知れない。

今回の解散劇は、あらためてそんなことを教えられた気がする(笑)



          ◆



そう言えば、ホール&オーツのライブには一度だけ行ったことがある。

今から20年近く前(今、Wikipediaで調べたら2005年だった)の広島公演。
上記したように10代の頃に好きだったから、コンサートの告知を眼にするや否や、反射的にチケットを購入した。

で、後日送られてきたチケットを見たら、なんと最前列のど真ん中の席番が記されていてたまげたことを今でもよく憶えている。

最前列で肉眼で眼にしたホール&オーツは、声こそレコードやCDと変わりないような感じだったが、風貌は全盛期の80年代のイメージが強かったからか、すいぶんお爺ちゃんになったなぁ、という印象だった。
でも冷静に考えれば、2005年頃の彼らは、今のワタシと同じくらいの年齢なのだ(笑)

一曲目は、「MAN EATER」だった。
それからヒット曲のオンパレードだったのだけど、後半に向かう頃から、何だか周囲に異臭が漂いはじめた。

いったい何の匂いなんだろう?と思いながら手拍子をしていたのだけど、ワタシから指呼の距離にあるステージ上をギターを弾きながらジョン・オーツが横切った時に、その匂いがワタシの鼻腔にMAXで入り込んで来て確信した。


あれは、ジョン・オーツの体臭だったのだ。


70年代から80年代前半にかけて何度も全米第1位を獲得した偉大なミュージシャンの体臭は、何だか咽せるような饐えた匂いでした(笑)


最後にワタシが一番好きな曲を🎵
〈Kiss on My List〉 Daryl Hall & John Oates


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上梓。

2024-04-28 | 読書
先月末。
会員としてワタシも仲間に入れていただいている福山市の市民グループ〈御領の古代ロマンを蘇らせる会〉から、一冊の本が上梓された。

タイトルは、〈穴国の前方後円墳  ー28基の前方後円墳が語り始めた吉備穴国の姿とヤマトとの関係ー〉

当会は、広島県東南部に位置する福山市神辺町を中心に古墳や遺跡の調査・整備を目的として活動している市民グループ。
古代史好きで神辺町周辺の古墳や遺跡に以前から興味を持っていたワタシは、数年前にほとんど無理やりというかなし崩し的に仲間に入れてもらった。
今思えば、それはまるで〈西遊記〉で猪八戒が三蔵法師の一行に仲間入りした時のような入り方だった(笑)

そのきっかけについては、このブログにも書いたことがある↓
土器片らしきモノ。 - りきる徒然草。

土器片らしきモノ。 - りきる徒然草。

今月の上旬、新聞にこんな記事が掲載されていた。幼い頃から歴史が好きで、社会に出る時、広告関係に進むか、歴史関係に進むか、それなりに迷った人間なので、こういった出...

goo blog

 


以降、神辺町周辺の山々を中心に、既知の古墳の整備や未発見の古墳の探索を一緒にさせていただいてきたのだが、ここ数年、それまで未知だった前方後円墳やそれらしき前方後円形の地形が立て続けに発見されはじめた(もっとも、ワタシは会員の方が発見された後に現場に一緒に行くことがほとんどだったが😅)
その中には、なんと古墳時代前期のヤマト王権成立の頃にまで遡るような歴史学的にも貴重な前方後円墳の発見もあり、これまで認知されているとは言い難かった神辺町周辺の古墳の状況を広く世間様に知って欲しいという思いから、この度、一冊の本にまとめて刊行した次第。

タイトルにある〈穴国〉とは、(あなのくに)と読み、正式には〈吉備穴国〉(きびのあなのくに)という。

これは古墳時代に、現在の神辺町に広がる神辺平野に存在したとされているクニの名前であり、大雑把に書けば、新たに発見され本書に掲載されているいくつかの前方後円墳は、この吉備穴国の歴代首長のお墓なのではないか?と当会では推測しており、本書ではこれらの前方後円墳の解説を通して、かつて存在した〈吉備穴国〉の姿だけでなく、はるか遠く大和にあった当時はまだ黎明期だったヤマト王権との繋がりまでも推測してみようと試みている。

そしてそして。

この度、この本書の表紙・裏表紙のデザインを、グラフィックデザインを生業にしている手前、僭越ながらワタシが担当させていただき、その上、本文中のコラムも二篇ほど執筆させていただいた。

こちらが、表紙デザイン↓



背景の黒と青のマダラ模様のテクスチャ画像は、夜明け前の空をイメージしたもの。
これは〈御領遺跡・御領古墳群〉を要する吉備穴国の全貌が本格的に陽の目を浴びようとしていることを表現したのと同時に、〈御領の古代ロマンを蘇らせる会〉が、単なる歴史愛好家の集まりの枠に収まらない、一線を画す活動を始めつつある、ということの2つの意味を持たせた。

制作に入った直後は、最終的にどんなデザインがなるのか自分でも予想できなかったのだけれど、どんなデザインになるにせよ、上述した意図は絶対に内包させた表紙にしようと決めていた。

全体的に迫力&重厚な表紙になってしまったが、書店の歴史コーナーの棚に置いてある、いわゆるムック本と遜色ない表紙デザインになったのではないかと思っている。
まぁ、日本の歴史学界に一石投じるどころか、ある意味ケンカを売る心持ちで作った本なのだから、〈ハッタリをかましてますが、何か?〉というところだろうか(笑)

そして、執筆したコラム二篇。

結論から言えば、難しかった・・・😓
執筆したのは昨年の今頃から8月ごろ。
わずか二篇、計4ページ程度の文字量のコラムに数ヶ月の時間を要してしまった。

普段から仕事でのコピーライティングやこのブログの更新などを通して〈文章〉というモノとは親和性のある人間だと思っていたのだけど、どうしたものか、今回担当したコラムはとんでもなく難産だったのだ。

数ヶ月かけて脱稿した後、その理由を自分なりに考えてみた。

・・・で、たどり着いた結論が、

世の中には、二通りの文章があるのではないか?と。

ひとつは、例えばリンゴが10個あるならば、それを寸分違わず10個あると伝えなければならない文章。

それが、今回執筆したコラム。

そしてもうひとつは、リンゴが0個、もしくはミカンが10個あるのに、それをさもメロンが100個あるように伝えなければならない文章。

これが、広告のコピー、もしくは、このブログ。

そんな結論にたどり着いた。

・・・サラッと書いたわりには、自虐を通り越して、けっこうな問題発言かも(笑)😅



          ◆



まぁ、何はともあれ、日本の古代史に興味をお持ちの方は、ぜひ。
もちろん、日本の古代史に興味をお持ちでない方にも読みやすい本となっておりますので、ぜひ(笑)
購入方法や詳細は、下記をご覧ください↓

〈御領の古代ロマンを蘇らせる会〉
『穴国の前方後円墳』ついに発刊 : 御領の古代ロマンを蘇らせる会

『穴国の前方後円墳』ついに発刊 : 御領の古代ロマンを蘇らせる会

新刊発行   『探索!御領の古代ロマン③ 穴国の前方後円墳』 -28基の前方後円墳が語り始めた吉備穴国の姿とヤマトとの関係-2013年から福山市神辺町上御領・下御...

御領の古代ロマンを蘇らせる会

 

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80年代音楽ノート。

2024-04-24 | 読書

面白かったなぁ。


プロローグの1979年からエピローグの1990年まで。

ミュージシャンで言えば、甲斐バンドからドリカムまで。

各年ごとにその年に出色の活躍をしたミュージャンを丁寧に解説してあるのだが、その全てのミュージシャンを知っていたし、紹介されている曲やアルバムも全て知っていた。


まぁ、このブログを読んでくださっている同世代の方なら同じような感じだと思うけど(笑)、80年代当時、それだけ貪るように音楽を聴きまくっていた証なのだろう。


著者は、音楽ライターの田家秀樹氏。


この方の文章は、ただそのミュージシャンや作品を型通りの説明するのではなく、当時の音楽業界だけでなく、世相や過去の出来事も有機的に繋げながら解説するスタイル。

対象となる人物や事柄を発端に、そこから〈線〉が生まれ、やがてそれが〈面〉になり、〈奥行〉になり、それらを俯瞰視した上で、最終的に本来の目的だった事象に再びズームアウトして次章に繋げる・・・と表現すればよいのだろうか。


その流れが、気持ちいい。

下世話な表現をすれば、エクスタシーすら感じてしまう(笑)

まぁ、とにかく、文章を書くにあたって本当に勉強になるのです。


田家さんの本で初めて読んだのは、浜田省吾の自伝の「陽のあたる場所」。


ハードカバーで約400ページ。

寝ながら読もうと布団の中でページを開いたのだが、内容はもとより、たちまちその文体や表現に引き込まれて、気がつけばそのまま朝を迎えてしまったことを覚えている。


・・・と、〈面白い本でした〉ということだけを書こうと思ったのに、気がつくと、またダラダラと無駄に長い文章になってしまった😅

これではいつまで経っても、田家さんのような秀逸な文章は書けそうもない(笑)


※面白い本でした。80年代に音楽を聴きまくった方は、ぜひご一読くださいませ。




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