数年前に、心にグレーの領域を持ち続けるって練習をしたことがある。
グレーを持ち続けるっていうのは、具体的に言うと、物事をハッキリとさせないってこと。
なんでも、白か黒に分けたい自分は、正しいか否かで何でもを判断するところがある。
特に黒い部分は、持っていることができない。
どうしても開示したくなってしまう。
それが、自分の中の正義だとおもっていたから。
そうすることで、自分のアイデンティティーを守っていたのかもしれない。
昨日教育分析でお世話になっている先生のところへ出かけた。
仕事の話は、今回はあまりできなかった。
と、言うのも、この数ヶ月に自分の中で何かかが起きているとこに気がついたから。
冷静に落ち着いて、いつものように話せなかった。
何で?どうして?って言葉しかでなかった。
身体に起こった異変だとか、環境の変化や、色々な全てのことが交差して自分の中で何かに気づけというサインがでたみたいだった。
凄いパワーを使って、私は平静の自分を創り上げ、その水面下で苦しんでいる自分を押さえつけてた。それも無意識に。
そんなにパワーのいる事をしてるなら、いつも出来ることが出来なくなって当たり前だったんだなって今は思う。
そもそもなんでそんなことを私はしているのか?
素朴な疑問。
意識できない部分で勝手に起こる感情、行動。
それは、私が無意識にしている防御なんだって、先生は教えてくれた。
自分を何らかの悲しみや恐怖や不安から守るために、私の心は動いている。
意味が解らないけど、そうなんだ。
今は解らなくていいとおもう。ってか、見たくない。蓋を開けたくない。
覗き込むのも嫌。
とりあえず、怖いのでそのままに。
グレーは嫌い。
そう思い込んでいた。
自分には必要が無い部分。グレーは持ってないと思ってた。
そう先生に宣言した、その時、
「でもね、カウンセラーにはグレーってすごく重要で、必要なところ。
それを持ってないと、話が聴けないんじゃない?」
いわば、カウンセラーで居られない。
その時、私は最終宣告をされたように、感じた。
私はカウンセラーにはなれないんだって。
今まで自分がしてきたことはなんだったんだと・・・・
私はカウンセラーにはなれないの?
先生のように話を聴くことや理解することが出来ないの?
ほんとうにそうだとは思えなくて、そのあと自分が先生に投げた質問で自分にまだ可能性が残ってるかもしれないって思える事柄が起こった。
人は、受け止めないと前に進めないと自覚した時、どうしても前に進みたいと思ったとき、それを受け止めることができる瞬間があるんだと思う。
火事場のクソ力に似た感じ(笑)
まぁ今までどんなに頑張っても理解できなかった自分の知らない部分が、一瞬であからさまになるって、凄いショックだし、パワーがいったと思う。
二年かけて、自分にグレーは必要かどうか気もちを確かめたり、曖昧さを持て余しながらもなぜ、こんなに気持ちが悪いんだろうと試行錯誤したにも関わらず、深いところまで気持ちを見れなかった。知りたくなかったから。知ることが辛いししんどいから、無意識に避けてたんだな。
その瞬間のイメージはこんな感じ。
脳の中に電流が走るみたいに一気に。
こういう経験って、年に数回もないけど、本当に記憶を取り戻した瞬間みたいに、
自分の中で過去の事柄と今の事柄が繋がっていくのが解った。
自分にとってグレーは基本そのものだった。一面グレーの心の中が見えた。
自分の中の全部がグレーで、それがすごく嫌で受け止められなくて、かっこ悪いと思い込んでて、持っていることを知られないように白で埋め尽くそうとしてたんだ。
自分の中には白しか無いって思われたかった。
物分りのいい、大人の女性。明朗活発な自分のイメージどおりの自分で居るために。
曖昧な自分は自分らしくない、かっこよくない。嫌われたくない。そう言葉になって出てきた。
そうだったんだな・・・・・
そういう自分の弱い部分を、昨日初めて目の当たりにして、ショックだったけど、不思議とスットした。
もしかすると自分を受け止められた瞬間だったのかな。
なかなか自分にOKを出せない私が、やっとOKを出した瞬間だったんだろうね。
曖昧な自分が居てもいいよ。決められないこともある。
理解できないこともあっていい。人には出る言葉でも、自分に対しては出なかった言葉。
「かっこ悪くてもいいよ。弱音吐いてもいいよ。大丈夫。」
こうやって自分の世界が広がってはじめて、人の気持ちにも幅広く触れられる人になれる。
まだまだここからなんだなって感じた雨のプラットホームでした。
寒いけど、心はちょっとほっこり。
疲れたのか車内では爆睡でした。
グレーを持ち続けるっていうのは、具体的に言うと、物事をハッキリとさせないってこと。
なんでも、白か黒に分けたい自分は、正しいか否かで何でもを判断するところがある。
特に黒い部分は、持っていることができない。
どうしても開示したくなってしまう。
それが、自分の中の正義だとおもっていたから。
そうすることで、自分のアイデンティティーを守っていたのかもしれない。
昨日教育分析でお世話になっている先生のところへ出かけた。
仕事の話は、今回はあまりできなかった。
と、言うのも、この数ヶ月に自分の中で何かかが起きているとこに気がついたから。
冷静に落ち着いて、いつものように話せなかった。
何で?どうして?って言葉しかでなかった。
身体に起こった異変だとか、環境の変化や、色々な全てのことが交差して自分の中で何かに気づけというサインがでたみたいだった。
凄いパワーを使って、私は平静の自分を創り上げ、その水面下で苦しんでいる自分を押さえつけてた。それも無意識に。
そんなにパワーのいる事をしてるなら、いつも出来ることが出来なくなって当たり前だったんだなって今は思う。
そもそもなんでそんなことを私はしているのか?
素朴な疑問。
意識できない部分で勝手に起こる感情、行動。
それは、私が無意識にしている防御なんだって、先生は教えてくれた。
自分を何らかの悲しみや恐怖や不安から守るために、私の心は動いている。
意味が解らないけど、そうなんだ。
今は解らなくていいとおもう。ってか、見たくない。蓋を開けたくない。
覗き込むのも嫌。
とりあえず、怖いのでそのままに。
グレーは嫌い。
そう思い込んでいた。
自分には必要が無い部分。グレーは持ってないと思ってた。
そう先生に宣言した、その時、
「でもね、カウンセラーにはグレーってすごく重要で、必要なところ。
それを持ってないと、話が聴けないんじゃない?」
いわば、カウンセラーで居られない。
その時、私は最終宣告をされたように、感じた。
私はカウンセラーにはなれないんだって。
今まで自分がしてきたことはなんだったんだと・・・・
私はカウンセラーにはなれないの?
先生のように話を聴くことや理解することが出来ないの?
ほんとうにそうだとは思えなくて、そのあと自分が先生に投げた質問で自分にまだ可能性が残ってるかもしれないって思える事柄が起こった。
人は、受け止めないと前に進めないと自覚した時、どうしても前に進みたいと思ったとき、それを受け止めることができる瞬間があるんだと思う。
火事場のクソ力に似た感じ(笑)
まぁ今までどんなに頑張っても理解できなかった自分の知らない部分が、一瞬であからさまになるって、凄いショックだし、パワーがいったと思う。
二年かけて、自分にグレーは必要かどうか気もちを確かめたり、曖昧さを持て余しながらもなぜ、こんなに気持ちが悪いんだろうと試行錯誤したにも関わらず、深いところまで気持ちを見れなかった。知りたくなかったから。知ることが辛いししんどいから、無意識に避けてたんだな。
その瞬間のイメージはこんな感じ。
脳の中に電流が走るみたいに一気に。
こういう経験って、年に数回もないけど、本当に記憶を取り戻した瞬間みたいに、
自分の中で過去の事柄と今の事柄が繋がっていくのが解った。
自分にとってグレーは基本そのものだった。一面グレーの心の中が見えた。
自分の中の全部がグレーで、それがすごく嫌で受け止められなくて、かっこ悪いと思い込んでて、持っていることを知られないように白で埋め尽くそうとしてたんだ。
自分の中には白しか無いって思われたかった。
物分りのいい、大人の女性。明朗活発な自分のイメージどおりの自分で居るために。
曖昧な自分は自分らしくない、かっこよくない。嫌われたくない。そう言葉になって出てきた。
そうだったんだな・・・・・
そういう自分の弱い部分を、昨日初めて目の当たりにして、ショックだったけど、不思議とスットした。
もしかすると自分を受け止められた瞬間だったのかな。
なかなか自分にOKを出せない私が、やっとOKを出した瞬間だったんだろうね。
曖昧な自分が居てもいいよ。決められないこともある。
理解できないこともあっていい。人には出る言葉でも、自分に対しては出なかった言葉。
「かっこ悪くてもいいよ。弱音吐いてもいいよ。大丈夫。」
こうやって自分の世界が広がってはじめて、人の気持ちにも幅広く触れられる人になれる。
まだまだここからなんだなって感じた雨のプラットホームでした。
寒いけど、心はちょっとほっこり。
疲れたのか車内では爆睡でした。
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