ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

世界は狭い

2007-04-26 21:22:43 | Weblog
昨日であった方はなんと三津浜出身の方だった。
そして、彼女のお母さんはいとこんちの耳鼻咽喉科に通っていることも判明した。

すごーくびっくりした。
(話題がローカルですみません)

ジャパゆきさんの復讐

2007-04-26 21:18:45 | Weblog
知人の弟さんがフィリピンに駐在員として派遣されている。
フィリピンと行っても、聞いたことのない島で、お聞きしたにもかかわらず夜には忘れている有様。よって、地図でも見ても全然わからない。それくらいマイナーな島。

そこはフィリピンでも秘境?らしく、過酷な生活環境のため駐在期間は2年間だけ。
そこに駐在になった社員は、廃人となるか、社会復帰ができなくなり退職する人もいるらしい。
弟さんは独身であるために、おそらく白羽の矢があたったのであろうが、ご実家では、

「赤紙が来た」

と、言っていたそうだ。

多くの人が適応障害になってしまうにもかかわらず、弟さんはなんだかうまく適応しているらしく、それなりに楽しく生活しているらしい。
駐在生活の1年を終えたところらしいが、あと1年何とか平常な精神状態を保っていただきたいと切に願うばかりである。

彼が駐在している島をなぜその企業が選んだのか訳は、有害物質を発生させる工場かオフィスがそこにあるからだ。よって辺境な場所でなければならなかった。

しかし、彼以外にも日本人男性がいるというのだ。

それは、ジャパゆきさんに捨てられた男たち。

日本に出稼ぎに来たフィリピン人女性と結婚した日本人男性も多くいるだろうが、日本に住もうがフィリピンに住もうが、結婚したからには嫁であるフィリピン人およびその一族郎党を面倒見ねばならぬ宿命にある。
嫁の国に渡ったなら、おそらく責任感もあるだろうし、優しさもあった男性だったかもしれない。
彼の地に住み、預金をすべて搾り取られ、搾り取る物もなくなってしまったら、ぽいっと捨てられホームレス。日本に帰るお金もない。
そして彼らがたどり着いた島が、そのなんとか島だったのだ。

しかし、そこは南国。
悲壮感は少なく、腹が空けば魚や木の実を取る。
寝床も野外。
以外と住み心地良かったりするのではないだろうか。

責任感があり前向きなホームレス・・・・・

秘境に住む彼らを是非そっと見てみたいと思う私であった。