ひろむしの知りたがり日記

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ブルース・リーのドラゴン拳法(4) - THE WAY OF THE INTERCEPTING FIST

2014年01月03日 | 日記
「グリーン・ホーネット」のカトー役で一躍人気者となったブルース・リーですが、放映終了後は苦しい生活を強いられることになります。当時のハリウッドはまだまだ白人優位の世界であり、アジア人がスターとして認められるには、なお時間を必要としたのです。
1968年から翌年にかけて、ブルースは経済的困難を克服するためにスティーヴ・マックィーンやジェームズ・コバーン、リー・マーヴィン、シャロン・テイトらから高額のレッスン料を取って個人教授をします。映画監督のロマン・ポランスキーは、わざわざスイスから飛行機でやって来てレッスンを受けたといいます。これらの弟子の存在は、彼にいくつかの端役の仕事をもたらしました。TVドラマ「バットマン」「鬼警部アイアンサイド」「ブロンディ」、映画「かわいい女」などに出演し、「サイレンサー 破壊部隊」ではアクション指導を務めました。

1969年、ブルースは「サイレント・フルート」の企画を思いつき、弟子で友人のスターリング・シリファントに脚本執筆を依頼します。武術の達人である戦士コードが、究極の奥義書を求めて旅をするというストーリーでした。はじめブルースはコード役をマックィーンにやらせようとしましたが、真の主役がコードではなく、彼を導く盲目の中国人武術家アッシャムであることを見抜き、出演を拒否します。アッシャムを演じるのは、もちろんブルースです。マックィーンに断られて今度はコバーンにオファーすると、快く参加を申し出てくれました。こうしてブルース、シリファント、コバーンの3人で改めてシナリオが練り直され、翌年10月19日に完成します。

それより少し前の8月に、ブルースを突然の不運が襲います。充分に準備運動をせずにバーベルを持ち上げようとして仙骨の神経を痛め、しばらくの間休養を強いられます。しかし彼は、その時間をも無駄にはしませんでした。トレーニングができない間、自分の武術に関する理論を文章にしていったのです。それらは彼が亡くなった後に、書籍としてまとめられることになります。現在、ブルースの著書とされているものは、先に挙げた『基本中国拳法』を除き、この時期に書き溜めたものなどがベースになっています。


劇場版「グリーン・ホーネット」と同時上映された短編映画「ブルース・リーのドラゴン拳法」。もとは「チャーリー・チャン」のためのカメラ・テストの映像でした。その中でブルースは、グンフーの型や、相手を立てての迫力ある早技を披露しています。このブログ記事のタイトルのネタ元でもあります。

ワーナー・ブラザースが「サイレント・フルート」の制作に興味を示したので、ブルースはシリファントとコバーンを連れて、1971年2月1日から約2週間かけてインドへロケハン旅行に出かけます。ロケ地にインドが選ばれたのは、当時そこに、ワーナー・ブラザースが海外へ持ち出すことのできない収益金があったからです。
しかし、現地に格闘シーンをこなせる武術家はおらず、さらにインドの暑さはコバーンには耐え難いものでした。それでもブルースはアイデア次第でなんとかなると考えていましたが、コバーンは映画会社上層部の人間に「インドでの撮影など、とんでもない!」と話します。それで、この企画はおシャカになってしまいました。

失意のブルースに、シリファントは自分が脚本を書く連続TVドラマ「ロングストリート」の仕事を持ってきます。何者かによって送られた爆弾で、妻と視力を失った保険調査員マイク・ロングストリートが、犯人を探すために孤独な闘いを挑むという話でした。“盲目の戦士”という設定は、ブルースの発案でした。「サイレント・フルート」のアッシャムにも通じるこのアイデアは、お気に入りの日本映画「座頭市」にヒントを得たものです。
ブルースは全23話のうち4話に出演しました。初登場は第1話「波止場の決闘」ですが、この回のもともとの英語タイトルは「The Way of The Intercepting Fist」です。日本語にすると「拳をさえぎる道」、つまり「截拳道<ジークンドー>」を意味します。その原題の通り、ブルース演じる骨董屋の主人リー・チョンは、3人の男たちに襲われたロングストリートを救い、頼まれてジークンドーの理論と技術を教えます。このドラマでブルースは、ブラウン管を通して自らの武術を高らかにアピールしたのです。
ブルースは、1971年12月9日に行われたピエール・バートンのインタビューで、このドラマでは自分自身を演じたのだと言っています。彼は成功を掴むため、夢を実現するための方便として俳優という職業を選びましたが、自分は本来、あくまでも武術家なのだという思いは、ずっと変わらず持ち続けていたのでしょう。

【参考文献】
中村頼永著『世紀のブルース・リー』ベースボール・マガジン社、2000年
四方田犬彦著『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』晶文社、2005年
松宮康生著『ブルース・リー最後の真実』ゴマブックス、2008年

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