GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

助役の決定とその政治的意義 関根昭二 1956年7月

2009年03月02日 | 報道・論壇

  助役の決定とその政治的意義 -高崎村政の一歩後退-
 助役に漸く小林博治前助役が決定したが、この助役選任の件は、はしなくも合併後の高崎村政が直面した最初の試金石となった。
 助役定数条例の改正と共にスムースに決るかに思われた助役が議会勢力を二分して争われることになり、それは助役問題として区長まで要望書を提出する程の政治的色彩をもった運動となるに至った。助役の決定は地方自治法により村長の推薦という前提において議会の同意を必要とする条件がある。従って助役を誰にするかは村長の意志によるが議会の同意が得られなければ助役を決定することはできない。一方、議会の方から助役を誰にすべきであるかということは云へない。今度の助役問題で先づ問題になったのは「同意」ということの解釈である。これは法的には議会の意志表示であり、それは議員の表決によって決することである。従って過半数の賛成を得れば同意したことになるのである。そこで二派に分れた両勢力はいづれもその表決の際のことを考へて一人でも多くの議員を自派に引き入れようと運動した。この運動に際してあまり香しくない噂さが出たことは議会人として反省しなければならぬ。
 高崎村長はこの同意の解釈を満場一致の賛成という意味に考へていたため、かなり苦慮した。政治家の立場からすればこのような考へ方をするのは当然であり、又そうすることが、円滑な解決方法でもあるからである。
 次に問題になるのは村長の推選権である。本来、村長が助役を推選すべきであるのに、議会提案以前に議員が二派に分れてそれぞれの候補者を主張して争い村長と対立するかの如き感を呈したことは村長の推選権に政治的圧力を加えたことであり、議会において論争されるべき問題が議会の外で安易に妥協されることは議会を軽視したことであり、責任ある議員の行動とは云へない。
 第三に助役の選定に代表委員制をとり、議長、副議長、それに議員四名と村長を加えた七人の所謂首脳者達によって助役の件が決定されてしまい、議員は議会の休憩中に議長の報告を聞き、本会議で「異議なし」と云っただけにすぎないのだが、ごの議長報告によれば、助役の任期は二年であり、地区による交代制となっている。このことは村長の推選権を無視したことにならないのであろうか。ある議員が「村長の推選権を侵害したことになる」と発言したが、こうした疑問が起きないのは不思議という他はない。何が故に地域的感情にとらわれるのであるか、政治が地域的立場に立って行われる限り大きな発展は到底望めない。二年交代というが、もし途中で村長が変ったり、議会が解散したらどうなるのであろうか。代表委員による助役問題の解決と地域的二年交代制の決定とは、それが今回にのみ限られたことであるにしても、好ましいことではなく。高崎村政の政治力が弱まっている証左とも云へよう。いづれにしても今度の助役の決定はその経過と結果とにおいて、高崎村政の一歩後退を示したものである。自己の信ずる助役をさへも容易に選任することができなかったことは、合併による政治状況の複雑さと議員の政治に対する不明朗性に由来するものであるにしても、高崎村政の前途が多難なることを思わせるに充分である。
     『菅谷村報道』72号 1956年(昭和31)7月20日) 論壇

※参照:「助役選任をめぐり菅谷村議会紛糾 1956年



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。