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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

菅谷村議会傍聴記 1 関根昭二 1951年3月

2009年10月16日 | 報道・論壇

   村会傍聴の記
    全面か 単独か
     国会議員さながらの大論戦
      三月十三日第三次追加更正予算の日

 この日ほど明白に然も公然と自己の思想的態度を表明した村会は未だ嘗てなかつたのではなからうか。村会議員が国会議員に早変りしたのではないかと疑はれるほどの白熱的論議が闘はされた。村会のことに関してもかう熱心であつてくれればいいがと感じたが…。
 この日追加更正予算案の村長説明は極めて簡単で僅か十分、議長及び村長の交際費増額はすでに議員の了解を得てゐますので説明はぬかしていたゞきますとあつさりかたづける。
 議員の方も承知してゐると見えてこの件については誰も質問しない。唯高橋議員が「交流関係に於てはなるべく危険を避けてやつてもらひたい」と希望意見を述べたに止つた。この日真つ先に質問に立つた松浦議員は平衡交付金減額の理由を突いたが村長の答弁にはあきたらないものがあると見え、高橋議員が「交付金の減額は大きいのであるが課税率が問題になつた事実はないか」と質問し村長答弁の後「課税標準を下げることを地方事務所あたりは非常にきらつてゐますね」と述べるやわが意を得たりとばかり「結局向うさまの云ふ通りにしなければ駄目なんだから村会なんかいらないわけだ」と云ふと隣りの高橋議員も「官僚主義だよ」と同調、すかさず松浦議員は「村会を無視してゐる、ファシズムと同じだ」となかばあきらめたやうにつぶやいてゐたまではよかつたが、「皆さんにかういふことを知つていたゞきたい」と起ち上り、一段と声を高めて交付金が今までは四割から五割まであつたのが今年は二割に下つてきた減額理由を自己独特の見解で披瀝、自分が村長に求めた交付金減額理由を自から答弁した。
 着席するや高橋議員と隣り同志で政府攻撃を話し合つてゐる。議長も二人の話し合ひが途切れた所で「何か御意見はありませんか」と問ふや高橋議員「私は別に質問はありませんね」とぶつきら棒に云ふ。松浦議員も、「まことに仕方ないですね」とつぶやく。何としても政府官僚のやることは気に入らないといふ顔つきである。かくて開会後一時間二十分で第三次追加更正予算案は簡単に可決された。
 午後からは村長が「職員の給与に関する條例」を逐條的に読み上げて説明して行つたが各議員ともあまり興味はなさげで生あくびをかみしめて聞いてゐる。議長もしきりにあくびをくり返す。収入役も目をつぶつて瞑想。村長から呼ばれてゐるのも知らないでやつと気がつく有様、山下議員金歯を出してウフフと笑ふ。規約が超過勤務手当と休日給の條例になると日宿直料が問題になつた。條例が日宿直を含むやうに解釈すると料金がえらい金額になるので「一人専門の宿直員を頼んだ方がいい」と云ふ者「日宿直は勤務にはならない」と云ふ者で意見はまちまち。村長は「日宿直は勤務であり全責任を負はなければならない」と強硬、一人ソロバンをバチバチと弾いて「一時間四十二円になりますね」と計算を発表するや「寝てゐる時間も勤務になるか」と声がかゝる。「役場へ来て寝て居て身上を作つちやふな」と誰か云ふ。村長も額が多くなりすぎるので「日宿直は超過勤務には違いないがこの規約を適用するかどうか疑問だ」と云ひ始める。「宿直は現在五〇円、日直は六〇円でこれをどうにかしてもらひたい」と議員に考慮を求める一方「額を上げてもらへば日宿直同じでいいやね」と収入役に同意を促す。結局、日宿直の手当は別に定めるといふ一項を挿入したが「どのくらゐの額にしていたゞけますか」と村長しきりに心配してゐる。議長はエヘヘと笑ふ。出野議員が「自分の職場へくるんだから百円ぐらゐでいいだらう」とするのに対して松浦議員は百五十円を主張したが、村長は「百円でどうですか」と提案したのでこゝに落着いた。「年末手当がこれからは公然と半ヶ月分もらへるわけである」といふ年末手当の條例を最後に給与條例は可決されたが農協理事会の為午前中欠席して午後審議途中に入つてきた金井議員一人手を挙げない。議長あまり近いので気がつかないと見え例の調子で「満場一致を以て…」と云ひだすや松浦議員から「満場一致といふのは…」と声がかゝり、金井議員発言を求め議長は審議を継続する旨を述べる。金井議員は午前中に審議された予算案を見て国連協会負担金、国連傷兵慰問金について一言、「日本国憲法を重んずるため又武装放棄した国土を尊重する意味に於て絶対に不賛成で一銭でも協力することは反対であります」と怒つたやうな口調で云ふ。「それはすでに決定になつたことである」といふ議長の言でけりがつく。

   『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日



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