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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

菅谷村議会傍聴記 2 関根昭二 1951年3月

2009年10月17日 | 報道・論壇

   村会傍聴の記
    全面か 単独か
     国会議員さながらの大論戦
      三月十三日第三次追加更正予算の日

 続いて大野、高橋、松浦、金井、根岸(寅)議員等五名の共同提案になる「全面講和協力の件」が上提された。今まで熱い熱いと云つて椅子を陽陰にずらしてゐた松浦議員も乗り出して来て提案理由の説明に立ち上つた。この日大野議員が欠席したため松浦議員が説明に立つたわけである。「この問題は実に重要な問題でありまして、何故に村会に提出したかについて申し述べたい」と前置きして松浦議員特有の弁舌を以て全面講和絶対必要論を堂々と説明した。「全面講和か、単独講和かは極めて重大なことであり、全面即平和、単独即戦争である」と大見得を切る。「単独講和ではソ連、中国と宣戦布告したのと同じである。この少い警察軍で自衛権を発動したとてどうにもならない。結局アメリカの援助を求めねばならない。さうなれば日本は第二の朝鮮である。単独講和では何故いけないかといふと中国との貿易を失ふからでさうなれば日本の経済は成り立たなくなる。今まで中国貿易は五割を占めてゐたので中国を含めての全面講和でなければならないわけである。多くの人は全面講和は理想であると云つているがよく考へてみると全面講和こそでき易いので単独講和はできにくいのである。私は全面講和なら明日にでもできると思ふ」と吉田首相以上の大確信を説く。「アメリカ国内では日本を再軍備せよといふ世論もあるが、これは日本国民の団結の力と要求とによつてくつがへすことができる。仮に全面講和ができないとしても有利に導くことができると思ふ。皆様の御批判によつて是非とも全面講和に協力していたゞきたい」と結ぶ。これに対して直ちに出野議員は発言を求め「一々ごもつともで趣旨としては賛成であるが松浦さんの話では全面講和は平和で単独講話は戦争であるといふ話であるが、私が新聞、ラヂオでみればその反対であると考へられてきたのだが本当に松浦さんの云ふ通りなら協力する必要はないと考へる」と反対の意を表明、松浦議員はすぐさま反駁「だまつていてはできないので国民の強固なる団結によつてアメリカの世論をくつがへすのである。日本の全人民の世論によつてくつがへすのである」かくて出野議員との間に討論が闘はされたが出野議員も些か疲れたか松浦議員と話が折り合はないのであきらめたのか「松浦氏の提案に対して賛否を保留する」と結論して引き退つた。議長もこの建議案には困惑したと見えて「私は建議案として案を出したが本村として取るべき具体的措置がないならば賛否をとるといふことはできない」と暗に反対の意向を述べる。一体これを決議したところでそれがどうなるかといふことは議長のみならずすべての議員が疑問とするところであつたがこれについて松浦議員は「村会で全面講和賛成を決議したことになれば非常に力強いものになるので、永久占領されるか或は完全に自主を取り戻すかの大問題である」と説明して全面講和運動協議会のパンフレットを読みあげる。続いて高橋議員は中国貿易との必要を説き「アジアの大国でありそして隣国である中国を除外して講和を結ぶといふことは日本経済が成り立たなくなることである」と賛成の意を述べる。次に金井議員が立つて先に松浦議員と出野議員との間で問題になつた侵略といふことで独特の口調を以て見解を披瀝、「帝国主義は一国に於て資本主義が行きづまつた場合他国を生産手段によつて犠牲にすることだと思ふ。例へば日本が満州でしたことがさうである。かうした事実が日本にあり、又現在の日本がどうなつてゐるかは知つてゐる筈である。…日本にピストルが向けられてゐるといふがどこの国がしてゐるか知らない。日本人民を奴隷にし利用してゐる国のことだと思ふ。全世界の働く人民が明るい生活を築くため帝国主義戦争をなくするために団結しなければならないといふ意味に於て賛成する。」このあたり全面講和賛成派の独壇場でまるで選挙演説を聞いてゐるやうな気がする。続いて松浦議員「全面講和に賛成したからとて何等損することはないと思ふ。協力することは結構なことで皆全面講和を望んでゐると思ふ」各議員とも重大な問題とみてかなかなか賛成の態度を表はしてくれないので損得問題を引つばり出してきて何としてでもうんと返事をさせようといふつもりらしい。出野議員再び起ち上つて「損だから得だからどうかうといふのではない。全面講和は理想論であると考へてきたのだから。この小つぽけな村が村会で議決したからとて大海に香水一滴たらしたようなものだ」と村会で決定するのは無意味だといふ意向。議長もこの議案には閉口したと見えて再び松浦議員に説明を求める。松浦議員の解答も前回と同様何となく漠としてゐるので議長も「村会議員が個人としてやつてもいいのではないか」と早く責任を逃れたいといふ口振り。松浦議員はあくまで村会の決議に持つて行きたい考へらしい。
 「村会の決議の方が強力なものになる」からと突つぱる。高橋議員も「全面講和を望んでゐるものと望んでゐないものが階級によつてある」と助言する。松浦議員も力を得てか「全面講和ができればソ連、中国が入つてくることは絶対にないと保証する」とスターリンや毛沢東から証言を直接聞いてきたやうな言ひ振りである。出野議員又も立ち上り「この山間の一寒村が村会で決議したところで…」と仕方がないと云はんばかり、松浦議員は直ぐさま「一粒の麦である。これが全国的に発展するのである。」然し議長も何としても困つた問題を採り上げたもんだと困惑のていで「新聞やラヂオで論議盡くされてゐるのでこの村会で決議するのは問題が大きすぎると思ふが、議案の扱ひ方に確信がもてない気がするんですが」と弱音を吐いてきた。私は(村会議長)で(国会議長)ではありませんといふわけだらう。然し松浦議員は執拗で「多くは新聞、ラヂオで知つてゐることしか云はないのであるが細かい説明を聞けは協力しなければならないことになるんだが」とねばり自分の説明が下手でどうも…大野さんが居てくれればよかつたんですが…と賛成を得られないのが松浦議員の説明が下手だからとでも思つてゐるらしい。出野議員又立つて「村会はよろしく村政を議すべき所で国際問題を取り上げて議することは問題が大きすぎると思ふ」と終始村会で議することに反対する。松浦議員も黙つてはゐず「つまり協力しないわけですか」とあくまで強硬な態度である。長老議員加藤氏が立ち上り「米国としても止むを得ず単独講和をしてゐるので話す人聞く人によつて異なることで此処で決するといふことはどうかと思ふので保留して各議員に任せるべきである」と長い間議論を聞いてゐるのでそろそろ何とか決めてもらはなければといふところであらう。然し松浦議員は一向に止める気はなく「ソ連、中国が全面講和にいつ反対しましたか。反対した事実をあげていたゞきたい」と詰め寄る。「新聞、ラヂオを聞いて信じてゐるだけで…」とたぢたぢする。

   『菅谷村報道』12号 1951年(昭和26)4月10日



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