GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

菅谷中学校舎落成記念座談会 2 1950年7月

2009年10月15日 | 報道・論壇

 司会者 最後に立派な学校ができましたのでこの学校に相応しい教育を如何にすべきかについてお話願いたい。今日は生憎この学校の先生がをりませんので簾藤先生から。
 簾藤 さうですね、中学校経営の一部を担当してゐる立場から一般的に述べてみたいと思います。以前の教育は生徒の立場からすれば学問で苦しめられ運動で苦しめられた。練成や修練で個性を制限されることがいいとされていた。これは日本人の人生観であり、社会観であつた。然しこれからの教育は生徒一人一人が学問を楽しみ、生活を楽しみ、人生を楽しむやうにしむけて行かねばならぬ。かうするためにはこれにふさわしい社会環境、教育環境が必要である。学校の施設として校舎は勿論必要であるが、生活を楽しむためにはそれに必要な最小限の施設を備へなければならない。今日一巡してみまして各教室に学級文庫などある様ですが、私の立場からすれば図書の充実は校舎の次に最も多くの費用をかけていただくのがいいのであろうと思はれる。生徒が毎日放課後図書館で自由に本を読んでゐる姿を見ると過去の自分たちの練成の時代に比して非常に真摯な姿がみられる。図書館の充実は何が何でもしてもらいたいと思う。その他雑多な施設はありますが経済界の変転で強ひて申上げることもできないが…。学校で請求する教育費は予算の何割しか獲得できない。それでPTAその他の傍系団体に三拝九拝して金をもらつている。教育費は正常なルートでもらわれねばならない。三拝九拝して金をもらつてゐる様では文化の向上とか人間の理想とする信念の教育はできないのではないか。国会に提出される標準教育費法には皆様の御協力を願いたい。指定寄附によつて教育の為には村民全部が費用を負担することを自覚してもらつて正常の道をとつて教育費を支弁してもらふ様にしたい。
 大野 具体的な問題を考えてみたい。この席上に先生がいないことは残念だが…。菅谷の学校は今まで物置に居たりして非常に悪い環境にあつた。然しよい成績をとつている。入学率(高等学校えの)もいい。小川え入学した生徒の平均点は菅谷が一番、松山でも一番であつた。かうしたいい環境ができたので勉強も張合ひがでる。運動も環境がよくなつてゐるから今後更に充実する様努力してもらいたい。先生にも骨折つていたゞいて更に名声をあげてもらいたい。松高で英語の試験をしたら小川中学が断然他を引き離してゐた。これは先生の力の入れ方が学校そのものゝ力の入れ方であろうと思われる。今年菅谷の成績がよかつたのは先生の努力をかつてやりたい。村民も協力して学校のため教育のため努力してもらいたい。PTAに三拝九拝することではいけない。村民はできるだけ環境をよくする様努力するのは当然だと思う。まだまだ特別教室もつくらなければならないことは村当局としても考えているし…。
 中島(照) こゝに先生がいなくてはなんですが…村民からの意見として「二、三年は全部新校舎え入れてくれるわけだつたんださうですが家の子は入れてもらへないで職員室に使われてしまつた」というんですが。
 高橋 環境の問題だが…。落成式の時に村長さんから話しもあつたが「モダン」ば明るい教室で歴史的な伝統もあるし運動場も広い、かういうことが生徒に優越感を持たせるに至るのだと思う。最近マンガ教育というのがあるが簾藤先生マンガはどういう効果を持つているんでせうか。
 簾藤 出版屋は営利会社ですから…然し長い目でみるとマンガの期間は長く続かない。徹底的に駆逐しろという人もいるし、読書生活の一過程として許されるという人もいるので一概に云へませんが私は後者の立場を認めたい。
 吉野(松) 本を読む習慣づけるための一つの過程ではないか。
 加藤 マンガをみると正規な本が見られなくなる。
 簾藤 戦争の末期的現象としてよくまとまったものを読む気がしなくなるのではないか。世相のあらはれがマンガにもあらわれるのではないか、そこに読書指導図書館の設催などが必要になつてくるのだと思う。受験準備は絶対にいかんという規則があるのでこれを如何にして切り抜けるかに大きな問題がある。小川中学は学級編成の際受験組とさうでないものとを純然と分けてしまつた。運動部は解消するということまでして…。
 村長 図書の充実はまことに結構ですが校長に私はかういうことをお願いしてゐる。学校で必要とする経費は恐らく各村ともひらきがある。学校で必要とする経費をやつてもどこまで有効に使へるか?うまく使うのは校長の腕でそれを予算書通りにとらわれゝば分捕主義になり焼け石に水となつてしまふ。まとめてものを買うのには特別な予算でももらふかしなければならない。これを重点的にやつてゆけばできるのではないか、二年三年という先の計画をたててやつて行くならば少い予算でもやつてゆけるのではないか、追加予算を校長は簡単に考えてゐる。
 簾藤 社会教育委員会の方で村立図書館の経費を幾らかづつでも計上してもらつて中学と合併してもらつたら図書も充実してゆくのではないかと思う。
 大野 学校は必要な経費をどんどん要求してもらいたい。村会ではこれらのものを取捨選択するから、競技場の問題でもせまいから米山さん買はうぢやないかと相談したら米山さんも何とかなるだろうという自信を持つてゐるというので村長だか校長に申入れたらあれで十分だと云つた。我々の心配はすつかり現実となつた。作り上げてしまつてからせまいとは何ごとだということになる。
 村長 校長に話したらあれぢゃせまくて駄目だと云うことを云つてゐる。
 大野 校長の云ひ方が気にいらない。菅谷は郡の中心であるから先生も生徒も自信をもつて運動できるやうにしたい。少くとも正式なテニスコート、バレー、バスケットのコートを作つてやりたいと念じてゐた。
 司会者 大分時間もたちましたので、このへんで終りたいと思います。
                     (一九五〇年七月二十四日記)

   『菅谷村報道』5号 1950年(昭和25)8月20日



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