別れし先生に送る 昭和3年(1928)6月30日
第3学年乙組18番 栗原正敏
ああ私は四月十日を永遠にうらみます。四月十日よ、私の暦よりなくなれ。四月十日、四月十日、私は此の日に悲しい事実を知ったからであります。私はなんといってよいか分りません。四年の昔、先生*1は丁度私の尋常五年の時に私の学校*2に新任されました。それから四ヶ年、私を弟の如く愛してくれました。小学校在学中はもちろん、中学校に私が入学してからも、私は先生が小学校にいたために、よけいと母校にも足を向けたのです。今、其先生は遠い大里の小学校に転任されました。四月十日をもって、私の母校を去ったのです。
今四年の昔をふりかへって見ますと、様々な楽しかったことが目に浮かびます。或時は花の熊谷に、又或る時は海岸の北條*3に、私の生涯にとって、此の四年は楽しかった時でせう。然しもはや四年は過去の事実となりました。
現在より見ますと花の熊谷が何でせう。皆過去の事実に外ありません。然し私は過去の四年を永久に愛すでせう。
私の未来に、また先生の未来にどんなことが起るか分りません。然し私にとっては過去の四ヶ年間程のものは未来に来ないと信じます。然し仕方がありません。皆運命であります。私は先生にいただいた写真を形見に大切にしておきます。どうぞ先生も、あの七郷の片すみに栗原正敏といふもののいたといふことを忘れないで下さい。さようなら。
さようなら、七郷の片すみにて先生の健康をお祈りします。
*1:市川清先生カ。
*2:七郷尋常高等小学校(現・嵐山町立七郷小学校)。
*3:南房総、館山市の北條海水浴場(鏡ヶ浦)。