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埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(根岸・福島新三郎) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 義務教育を了へて高等学校へ進学しない子供の教育機会の開設。
 小学校中学校と九ヶ年の義務教育を卒へた子供達がどんな教育の機会をもってゐるだらうか。昔、実業補習学校という夜学の補習教育制度があり。中古昼間の教育制度に変り、戦時中、青年学校というこれも昼間の教育制度があり、地域やら時代の要求に応じて教育の内容や学期に於いて変遷があったようだが、こヽ数十年義務教育を卒へた子供の補習教育が当局者に於て本気に考へられ実施され、教育効果に於いて見るべきものがあったことは、一般の人の認めるところであった。
 さて、終戦後のこヽ数年間はどうであろうか。小生の見聞する範囲では女子の場合には裁縫を主とした自己教育が補習的に行はれてゐることを充分に認めてゐる。和裁が洋裁と昔とすっかり変ってはいるらしいが、依然として裁縫一点張りではあるらしいが、その反面男の子の場合はどうであらうか。親達としてどんなふうに考へてゐるのだらうか。或は忙しいにかまけて考へてゐないというのが本当ではないかとさへ考へさせられる。終戦後、男の子も女の子も頭の先から足の先までずい分御立派になあってゐるらしいが、口をついて出る話をきいてゐると物足りない感じがしてならない。これを誰がやるかどんな教育内容を何時するか、近頃言はれてゐる公民館の運営とも関連する問題だらうがこれで筆を止める。この開設の急務であることは先刻報道に発表された育英奨学金制度にも優先する村の教育行政ではあるまいか(社会教育委員、44歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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