GO! GO! 嵐山 2

埼玉県比企郡嵐山町の記録アーカイブ

よりよい村にする為の具体的方策(大蔵・新藤唯一) 1951年11月

2008年09月13日 | 報道・よりよい村にするために 1951年
 待遠しかった講和条約の調印も終了した。秋空高く日の丸の旗高くかヽげて、村民老若男女校庭に相集り、村民体育大会の楽しい一日は終り、家に帰り子供達と対抗継走の選手になった娘が追越したことなどほめ合って夕食をすました。
 子供達は運動会のつかれで、いつもより早く眠った。
 自由に日の丸の旗を高くかヽげる誇り、国際的にも自由になる喜び、しかし援助資金の打切り、人口の多すぎるのをどうするか、再軍備問題等仲々簡単には解決できないことばかりである。この問題は村の問題としては、農村恐慌にも、二男三男をどうするか、中小学校施設の充実等と関連をもってゐるのである。これ等のことの解決する方法を考へて行かなければならないが、今まで受けた旧い教育だけでは新しい時代を作ることは困難であらう。これ等のことを解決するため村民が教育を受けるために、公民館の設立促進を希望する。公民館には教養部、図書部、産業部、集会部等あって、教養部は村の人達が希望してゐること、知らなければならないことについて教育計画をたてる。図書部はまで出張して読書会を指導するとか、産業部は各種産業の科学的指導を担当する。集会部は村民体育大会、討論会、映画会、音楽会等開催し、豊かな村、楽しい村をたてる基になる仕事をするのが公民館である(玉川中学校長、46歳)。
     『菅谷村報道』17号(1951年11月10日)掲載


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