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三郎さんの昔話

2012-01-31 | 個人の会員でーす

三郎さんの昔話 目次

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三郎さんの昔話・・・作者紹介



三郎さんの昔話・・・家伝の名灸

三郎さんの昔話・・・嫁とり
三郎さんの昔話・・・はんこ(印鑑)
三郎さんの昔話・・・大蛇と万次
三郎さんの昔話・・・侍小平太
三郎さんの昔話・・・古狐おさん(二)
三郎さんの昔話・・・古狐おさん(一)
三郎さんの昔話・・・一つおぼえ
三郎さんの昔話・・・プップー兵太
三郎さんの昔話・・・立ちんぽ(いたどり)
三郎さんの昔話・・・浮姫物語(夢のお伽ばなし)
三郎さんの昔話・・・富美子
三郎さんの昔話・・・刀と数元さん
三郎さんの昔話・・・誕生(父)
三郎さんの昔話・・・誰が偉い
三郎さんの昔話・・・祖父母の思いで
三郎さんの昔話・・・昔の歌
三郎さんの昔話・・・数元さん(父)
三郎さんの昔話・・・神、神の談話
三郎さんの昔話・・・失敗と不注意
三郎さんの昔話・・・奇妙なお呪い
三郎さんの昔話・・・間引き
三郎さんの昔話・・・怪つり(かいつり)
三郎さんの昔話・・・安堵
三郎さんの昔話・・・めしと汁
三郎さんの昔話・・・みみず
三郎さんの昔話・・・へそ(臍)
三郎さんの昔話・・・にぎりは怖い
三郎さんの昔話・・・スッポン
三郎さんの昔話・・・お好さん
三郎さんの昔話・・・おどけた話
三郎さんの昔話・・・えぇこと金儲け
三郎さんの昔話・・・いかもの食い
三郎さんの昔話・・・はしょうぶ
三郎さんの昔話・・・のがま(野鎌)
三郎さんの昔話・・・昇天(母と子の問答)
三郎さんの昔話・・・氏より育ち
三郎さんの昔話・・・かぼちゃの子
三郎さんの昔話・・・言葉のあや
三郎さんの昔話・・・川入り(身投げ)
三郎さんの昔話・・・消防演習
三郎さんの昔話・・・田 役
三郎さんの昔話・・・霊が舞う
三郎さんの昔話・・・怒るおやじ
三郎さんの昔話・・・鉄砲鍛冶の忍術使い
三郎さんの昔話・・・三倉神社と投げ子
三郎さんの昔話・・・半蔵さんの話
三郎さんの昔話・・・栗本半蔵
三郎さんの昔話・・・士族かたぎ(堅気)
三郎さんの昔話・・・こっくりさん
三郎さんの昔話・・・代参詣で(三宮)
三郎さんの昔話・・・やっこさん(はやり仏)
三郎さんの昔話・・・霊 魂
三郎さんの昔話・・・飛行機
三郎さんの昔話・・・いさかい(争い、喧嘩)
三郎さんの昔話・・・遊 女
三郎さんの昔話・・・ちょんがり
三郎さんの昔話・・・野中兼山の昔話
三郎さんの昔話・・・幽霊の絵話
三郎さんの昔話・・・だれやの一杯
三郎さんの昔話・・・野の田の鍛冶屋(二)
三郎さんの昔話・・・野の田の鍛冶屋(一)
三郎さんの昔話・・・田舎の王様さん
三郎さんの昔話・・・怖い落雷
三郎さんの昔話・・・一言三文なり
三郎さんの昔話・・・狐の嫁入り
三郎さんの昔話・・・気ちがい
三郎さんの昔話・・・産 火
三郎さんの昔話・・・よばい(夜這い)
三郎さんの昔話・・・狼と猪
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さん 余談
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さんと狼(二)
三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さんと狼(一)
三郎さんの昔話・・・豪傑卯ヱ門さん

三郎さんの昔話・・・怖い(首吊り)
三郎さんの昔話・・・火 玉
三郎さんの昔話・・・怖いこと、昔も今も
三郎さんの昔話・・・天狗とおまん
三郎さんの昔話・・・おかみ(神)さん
三郎さんの昔話・・・小吉と小鳩
三郎さんの昔話・・・山姥
三郎さんの昔話・・・嫁かつぎ
三郎さんの昔話・・・犬神の話し
三郎さんの昔話・・・犬神付き
三郎さんの昔話・・・花嫁おばけ
三郎さんの昔話・・・大六と弁当

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三郎さんの昔話・・・もの言う地蔵さん

2011-01-30 | 個人の会員でーす

もの言う地蔵さん

 昔、ある城下町に近い山里に、五作とゆう男の子と母親の二人が、ほそぼそと暮らしていました。
 貧しい暮らしに無理がいて母親は病気になり、床につき寝たきりになってしまいました。それで五作は毎日山に行って薪を拾い集めては、それを背負い、山を下って町に出て薪を売って、その日その日を過ごしていました。

 その内にお正月もちかい暮れになりました。町の家々ではペッタンコペッタンコとお餅をつく音が、あちらでも、こちらでもして、薪を売り歩く五作の耳にたまらなく聞こえてくるのでした。

 翌日の朝も早くから山に行き薪をたくさん作って背負い山を下りながら、町の餅つきの様子を頭に浮かべ、五作は、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と二、三度言った。

 そしたらどこかで、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と二度聞こえてきた。
 五作はふしぎに思って見まわしてみたが誰もいない。草道に、道ばた地蔵さんが一つこちら向いて立ってるだけ。

 五作は頭を傾け、お地蔵さんを見ながら、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と言うてみたら、お地蔵さんの顔がニッコリと笑うように見えて、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と言うた。

 五作は、も一度言うてみた。お地蔵さんは五作の言うたとうりに、もの言うた。
 五作は興奮したが、心おちつけ手を合わし拝みながら、お地蔵さん、私と町へ出て、ものを言うて下さいと頼み、薪とお地蔵さんを背負い町に出た。

 五作は大きな声で、
「ものゆう地蔵さんじゃー、ものゆう地蔵さんじゃー」
と。その声を聞いて人々が集まって来て、もの言わしてみいと。五作はお地蔵さんをだいじに下ろし、手を合わし拝んでから、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と言うと、お地蔵さんも、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と、ものを言うた。

 集まった人々はビックリしたり感心したり、五作の親孝行をめでてお地蔵さんがもの言うたがじゃ、と薪は値良うに買うてくれるし、注文もあるで五作は喜んでいた。
 そのうちに、この話がお城のお殿様の耳に入り、五作はお城に呼び出された。お殿様やご家来衆大勢の前で、
「五作とやら、その地蔵にもの言わしてみよ。」
と。五作はお地蔵を大切にすえて拝み、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と言うと、お地蔵さんが、
「ペッタンコ、ペッタンコ餅ついて、おっ母あに食わしたいなあー」
と、ものを言うた。これを聞いたお殿様、
「五作あっぱれである。その方の孝心をめでてのお地蔵のご慈悲じゃ」
と、おほめの言葉とご褒美の金すを載き、五作は喜び家に帰った。

 ご褒美のお金で薬も買えて母親の病気も良くなり、五作は精出して働き立派に成人したと。
 お地蔵さんは大切に元の所に納め、お堂を立てていつまでもあがめたと。

 この話はずっと前に聞いたのを書きました。

 

 

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三郎さんの昔話・・・地獄の門(二)

2011-01-30 | 個人の会員でーす
                               地獄の門(二)

  

 この世の中へ産まれ出る時は男女共に赤子である。

あの世に飛び込んで来る者は男女を問わず零歳から百歳を超す老体に至るまでの全ての年代の者、ただ年令によって多少の差はあるが、とにかくこの世に日々に誕生する赤子の数に匹敵する数の様々な霊者が、次から次に送り込まれてくるが、不思議なことにあの世に来たら色も影もかたちも無いから無数に散らばる。
 

霊球が競り合いもこち合うこともなく、来た順に宇宙の次元に従って何時とも無しに地獄の門を潜ると、真暗い空洞のタイムトンネルをどれだけの時を掛けたのか知れないが、やっと通り抜けた闇の中に灰色の明るさ、そこは広々とした無庭、その正面に立派で大きな御殿があり、一段高き座敷に小錦を一回り大きくした体躯に、古代中国の王様の衣服をまとい、頭には角に王字マークのえ帽子をかむり、右手に大きい笏を持ち、左の手には極秘戒経の法典を握りしめ、舟靴をはいた足を八の字に開き、中央の床ぎにどっかと腰をすえ、こちらを向いた面体は大きく角張った顔に、眉は濃くはね上がり、目は太く光り輝き、鼻は団子のいこり鼻、口は大きく開いてガッと叫び、口髭はほぅから顎へ長い希少髭、着いた衣の腹部が丸く透き通って見える、これぞ特有の秘眼鏡である。

この出で立ちは厳しいとゆうより威嚇そのものの閻魔大王である。
 

大王の右側に比沙門天に似た、左側に多聞天に似た武将を従えて、その外庭の両脇に立ったるは仁王のごとき赤鬼が右に、左に青鬼がひかえた、これぞこの世にまで知れわたった閻魔大王の霊球現世の善悪を裁く大御殿なり。
 

 いつとも無しのタイムで進み来て閻魔大王の前で停まると、秘眼鏡に霊球の過去の行状がそのままに写し出されて走馬灯のごとく回って過ぎる、嘘も隠しも待ったも無く、真実そのままに出て無言のままに裁かれて、閻魔大王の笏が行き先を指すと、示された場所を求めて霊球は静かに何時とも無しに消えて行く。

その行く先は、幼児や子供は罪もなく秘眼鏡に写し出される事もなく地蔵のおはす幼児の園や子供の里へ。
 

 さいの川原で小石を一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため、三つ積んでは身のためにと、重ねた数は果てしない。
 
欲深く他を顧なき者、怠け者で働きもせず食いつぶした者は地獄の軽い苦道へ、犯罪や他人に苦難をしいた極悪者は針の山血の池の連なる大地獄へ、貧しさに絶えて良く働き家庭を愛した者や善心ですごした者はのどかな楽園の村へ、我が身を顧みず世のため人のために尽くした聖人君子は天童のかなでる神楽に導かれて、羽衣を靡かせて空天に舞う天女達の仕える菩薩のおはす天国へ静かに昇天する。
 

交通事故などで来た無法な若者は再教育道へ、病弱であえなく来た哀れな青少年は菩薩のおはす慈悲の園へと、次から次に送り出す、閻魔大王の元へ続いてくる千差万別の霊球の数は限り無く続く、あの世の現実を綴じた瞼の奥の心眼で密かにのぞき見ることができた。

他人が知らぬと 思う善悪でも
 やがて 地知る 天知る 人が知る。

 




三郎さんの昔話・・・地獄の門(一)

2010-12-23 | 個人の会員でーす
  地獄の門(一)
 
 見た事のない物を見たい、さわった事のない物にさわって見たい、これは人間の本性で、幼児の頃から人の一生持ち続ける好奇心と希望であると思われる。

この世の中では、希望があれば見たいと思う書物や美術の展覧会も、知らぬ彼方此方の名所や雄大な外国や都市も、テレビや映画芝居まで、見たいと思ってなに一つ見ることの出来ないものはない。と思うが、たった一つだけ見ることの出来ない事がある。

それは人々が現世を離れて他界していくあの世とやらである。
聞くところによると極楽あり、地獄あり、天国もあると言うが、一度見てみたいと思うが誰も知らない。それもそのはず、あの世とやらへ行って帰って来た者がないから、聞くこともできない。

そこで目を閉じて心の目で見ることにした。夜寝ることにし、床に入り電灯を消す、真暗いなにも見えない、ただ闇の世界。しかし少し間をもつと、とじた瞼を通して闇のなかで窓の明るさが薄っすらと見えてくる。

真っ暗いタイムトラベルの空洞を何時とも無しに進む。どのくらいたったか時間が無いので計り知れない。

やっと空洞を出たのであろう、闇の明るさがはてしなく広がった。

よく見ると幼児から小学生、青少年に働き盛りや老人に至るあらゆる男女が、色々な出で立ちで空中に点在しているが、此処には色が無いから昔の黒白映画のごとく無声で声もなく静かで、欲も得もないので無表情にただ平然として、皆んな先を競うことも無く、あの世に来た順に、宇宙の中央に偉大に聳える地獄門「天安門か羅生門」に向かって、扇のごとく空中に点のごとくに散らばった老若幼男女の霊が、扇の要め地獄門へいつとも無しのタイムで吸い込まれるように消えてゆくが、後が切れることなくあの世を求めて次から次へと、老いも若きも続いて来る、不思議なこと無の世界。

 




三郎さんの昔話・・・はんこ(印鑑)

2010-11-18 | 個人の会員でーす

はんこ(印鑑)

昭和七、八年頃の田舎の町はまだ開けてなくて、道路は一間半の狭い土の道路、その道端に一抱えもある大きな杉丸太の電信柱が五十メートルぐらいおきに立って電線が張りめぐらされていて戸々の家に送電され、暗くなると、きんちゃくなすを少し大きくしたような透明の電球が灯って、電球の芯は横文字を書いたように赤い線が明るく、家中を照らしていた。

 
 道路の片側には電話線を張った小丸太(直径五、六寸)で、送電柱の半丈程の電信柱がやや近めに立っていた。当時の電工さんは、電気の方は会社の工夫さん、電話の工夫さんは郵政省のお役人で少し鼻が高く偉そうにしていた。

 その当時電話があったのは、町内では官公署、病院、大きい商売人の一、二軒で、遠方への急な連絡は郵便局に出向いて電話を掛けていた。

 電線や電話線の工事の時、工夫は電柱に上がるに、体をゆわえるロープ(親指の太さ)と、たくり上げのロープを肩に、腰にペンチやナイフの小物入れの袋付きのベルトをしめ、柱に突き刺さる金具を靴にくくり付けてコツコツと電信柱に上がると、足を決めて体をゆるく柱に束ねて、吊り上げのロープを下げて作業となる。

 さて電工さんが仕事をするに電線や碍子、ボルトなどの金具を吊り上げるに、下に手伝いの人夫がいる。
 青葉の繁った六月の下旬に電話線の工事があり、駐在員の工夫さん一人は町内にいたが、沖(高知)から応援が来て工事が始まった。

 その時に、下での手伝い人夫に雇われ、仕事に行って一週間程した時、「郵政の支払日は決まっているので、今まで働いた賃金を支払うので、今夜宿で書類を書いて判をついてお金を渡すけ、判を持ってこい」ということで、近い家に走って、前に父から貰っていた使い古しの少し欠けた小さな木判の認め(印鑑)を持って行って渡し、依頼した。

 夕方から梅雨上げの大降りで、しけ(台風)のようになった夜、日が暮れて遅い夕餉。二親に弟らと膳をならべて食べながら、賃金貰うが嬉しくて判こを渡したことを話した。

 とたんに親父の雷が落ちた。「判を自分で見て押さずに、人に渡す馬鹿があるか。判(印鑑)というものは実証の証拠じゃ、お金を借りる時とか、受取の金を確認してから押すもので、人任せで押させたら、何をせられてもわかるまい。
 
これからすぐ行って取って来い。電信の役人に、こう言え。父が、判こは人に貸すものではない、書類を見た上で押しますと。」

 夕飯もそこそこに大雨の吹きぶるなか、破れ蓑笠で中古のぼろ自転車に乗り、カンテラに蝋燭つけて出掛けたが、横降る雨で明かり火はすぐ消えまっ暗闇。

 荒雨に叩かれて石ころの道路は吉野川に沿い、山のうねさこでくねり回って大杉の宿まで三里半。大杉の手前の高須の峠は難所、登り下りで一里余はあろう。
 自転車に乗ったり突いたりしながら二時間余りかかって、やっと大杉の三宮旅館にたどり着き、宿の女中さんに電工さんを呼んでもらった。

 二階から降りてきて、私の濡れぼっちゃの姿を見て、おくれた声で、「この大雨におまんどうしたがぞ」と言うので、泣きそうな声で父に言われた通り話すと、「それがたまるか、判は押して出すだけで、ごまかしたりはしやせんに、お父さんは堅い人じゃのう、済まざったと言うちょいて。
 
気をつけて帰りよ」といたわりのような言葉に励まされて、雨に濡れ寒さに耐えて歯を食いしばり、暗闇に目を光らして道を見据えて、自転車に乗ったり歩いたり、苦闘のすえ夜中前にやっと家に帰りついた。

 判を取り帰ったことを話すと、父は「よう行ってきた、判の大切さを忘れるなよ。体を拭いて風邪ひかんよう早う寝え」と言ってくれた。

 この話は私が十七才で、今から六十余年も前の出来事である。当時父は、金の貸し借りや土地の登記に関連した仕事が多かったので、はんこ(印鑑)の大切さを痛感していた。若輩の私に印鑑の大切さを伝授してくれた。

 お役所の机の前に座っていると、朝から晩まで判(認め印)を押すことがほんとに多い日本の社会である。判こは手軽に扱うが、本来は大切なものである。

 あの時のうるさかった出来事は身に染みて、生涯忘れることはない。今も小さい欠けの木判を宝物として大切に持っている。この印鑑である。

 

 

 
 

三郎さんの昔話・・・大蛇と万次

2010-10-18 | 個人の会員でーす
大蛇と万次

 大石の奥の万三能山のふもと、集落では一番の山奥に、万次という男が、嫁はんと五つになる可愛いお花という女の子と三人で、畑を少々作り、大方は山仕事でほそぼそと暮らしていた。

 夏も終わりに近い。嫁はんは次の子供がお腹でつわりがえらい。
 万次は今日も山へ薪切りに行く準備していたら、嫁はんが、「お前さんわたしゃ今日は具合がよけえ悪いが、ひいといだけ、お花を連れていてくれんかよ。」

 万次は、「おおええとも、おんしは大事な体じゃ。大事にして、ええ男の子を産んでくれ。」言うて、親子の弁当を持って二人は山へ行き、お花を見ながら仕事をし、やがて昼になった。

 万次はお花に、「そこの小道をちょっと行ったら、お水が出よるけ、お茶瓶に水汲んでき。」言うたら、お花は「うーん」言うて、茶瓶持って小走りに走っていった。

 すぐに帰れる距離じゃのに、なかなか帰って来ない。万次は少し心配になった。ころんで怪我でもしたのかな。そのとき万次に不吉な予感がした。

 万次は押っ取り柄鎌で水場へ走った。着いて見たものは、小丸太ほどもある大きな大きな蛇が水場に横たわり、その中ほどが一回り大きくなってうねっている。

 万次は驚いた。とたんに冷や汗がじーっと身体に回り、震い上がったが、歯を食いしばり目を閉じ、山の神、八幡、三宝様、お花をお助け下さいませと、悲鳴に似た声で念じて目を開き、怖さを捨てて、心を鬼にして大柄鎌を振り上げ、大蛇のふくれの脇を見さだめて、日ごろ鍛えた木切りの枝で、やーっと満身の力を込めて切り下ろした。

 大柄鎌は寸分たがわず大蛇を切り裂いた。腹からお花の身体が滑るように出て来たが、早や、こと切れていた。

 万次はお花を抱き抱え、山の神八幡、三宝様、お花の命お救い下さいと、子供の身体を揺すりながら念じ続けたら、静かに目が開き、胸うちだした。

 万次はお花を抱き締め手を合わし、山神様の方に正座して涙ぼろぼろ落としながら、ありがとうございましたを繰り返し、お花良かったなあと、万次の涙は止まらなかったと。

 お花が成長してからも、大蛇に一度呑まれたせいか、人並みより頭の髪の毛が少なかったと。
 子への愛は強し。


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三郎さんの昔話・・・侍小平太

2010-10-18 | 個人の会員でーす
侍小平太


 時は江戸末期、小平太は伊予西条の藩士で、剣道、居合共に人に勝れた達人で、その容貌は色白な顔、眉濃く頭髪は多くふさふさと、背丈は人並みより小柄でガッチリとした体で、身なりはややおしゃれだがキチンと着こなし、腰に差した大小のうち大刀はやや長く、小平太の出歩く姿は人に目立ち、城下でも有名な侍であった。


 その小平太が城主の参勤交代のお供で江戸へ出た。当分の間は役務多忙で出歩けなかったが、やっと暇になり休みをもらって、今日は待望の江戸見物と、小平太せっぱいのおしゃれをして、例の大小を腰に江戸のお町に出かけた。


 町は活気があり人も多く賑やか、中でも歌右衛門の忠臣蔵はなかなかの人気。

 小平太この芝居を見ろうと、芝居小屋に入る。大入りで座れず立ち見になり、立ったまま芝居を見ていたら、後ろに雲助のような大男が来て、小侍が体に似合わん長刀を差し駄じゃれちょる。

 どうせ田舎侍じゃと侮って、大男吸っていた煙草の火を、小平太の頭の真ん中にぷーと吹き落とした。


 煙草の火は小平太の頭の上でジュウジュウ煙りよる。見物の芝居客はあきれて、芝居より小平太を見よるが、小平太は声も出さず、びくとも動かず、やがて頭の火も消え芝居も済んだ。その時・・・
 小平太後ろを向いた。とたんに大男の頭の上で長刀がピカピカと光った。

 帰る人のどよめきで人々が揺れたとき、立っていた大男はばっさりと倒れた。
 見ると、大男は頭から空竹割りに斬られて即死。人が斬られたと騒ぎ出す。

 やがて役人が二、三人来て、出口で刀を取って見て、血のりを調べる。小平太出掛かる。役人「その刀よこせ、見る。」と。


 小平太「刀は武士の魂じゃ。他人に渡すわけにはいかぬ。とくとご覧あれ。」と、小平太の手が刀の柄に掛かったかと見えた。

 とたんに役人の眼前でピカピカと光った。役人目をまばたいた。
 小平太の長刀は鞘に納まっていた。役人おくれて後ずさり。小平太は静かに帰って行った。
 役人は小平太の居合の早業に度肝を抜かれて、ただ茫然としていた。

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三郎さんの昔話・・・古狐おさん(二)

2010-10-18 | 個人の会員でーす
古狐おさん(二)
 御殿場の下の集落に、兵七という三十歳の夜相撲もとる小元気な、すけべえな男がいた。
 嫁はんもあるが、小柄で百姓がえろうて病身なひ弱な人じゃった。

 そのせいもあったろう。兵七は夜が来ると、きょろきょろと出歩きよった。 秋も終わりに近い小寒い晩に、後家やらへらこい娘を捜してそちこちしたが、ええ口も無うて、夜半も過ぎて一本松へもどりかかったら、向こうからとぼとぼと人が来よる。

 大松の下でばったりと向かい合った。兵七が見た顔は、年は四十ともいかん、若年増のええ女ごじゃ。
 兵七とっさに、「おまさん、今頃どこへ」と聞いたら、「わたしゃ、上関の知り合いを尋ねていったが留守で、夕方まで待ったがもどらんけ、あきらめての帰りじゃが、しょうだれた。」言うて道端へ座り込んだ。

 兵七見れば見るばあ、ええ女ごじゃ。兵七日頃のくせが出てもやもやとした。「おまさん、嫁はんか、後家かよ」と聞いたら、「わたし、去年の春に亭主が死んで若後家で、しょうむごいぜよ。」

 兵七、これがたまるか、むらむらっとして女に飛びかかろうとしたとき、若後家に、「おまさん、汗臭い。そうあわてずに、そこのゆ溝でちとゆすいできいや。」と。
 兵七あわてて横の兼山掘りへ飛び込み、水をシャブリ掛けてザブンザブン。そのうちに若後家は消えて居らん。

 おさんにこじゃんとだまされちゅう兵七、夜が明けるまで、ぶるぶる震えもって水をザブリザブリと。
 そこへ名主の与兵衛さん、急ぎの用で朝も早いに通り掛かってこの様を見て、

「こりゃ兵七、おんしゃー何しよりゃー」言うたら、兵七やっと気が付き、正気にもどって溝から上がり、ガタガタ震いよる。

 与兵衛さん大きな声で、「おさんの古狐のやつ、すけべーの兵七化かしよったわ」言うて行った。
 しわい古狐の化かすがは、てこにあわんぜよ。


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三郎さんの昔話・・・古狐おさん(一)

2010-09-16 | 個人の会員でーす
古狐おさん(一)


 本山の上町公園は、昔土佐の殿様から派遣の侍が三人で詰所と居り屋があり、御殿場と言いよった。
 その前の道は、町からお伊勢坂を上り御殿場の前を通り抜け、一本松から天神前の方へ、その道幅は広うて昔の大通りであった。

 道の脇を兼山掘りのゆ溝が流れ、春の宵は蛍が多く子供の頃よく取りに行ったが、一本松はなにせ怖い話のところで、長居はようせず、暗くなったらさっさと帰りよった。

 おまん等まだ生まれちょらん前の話じゃがの、おさん言うて人を化かして、てこにあわん古狐がおったと。

 春のおそ月の夜中に、安いうて、にえきらん男が一本松へ通り掛かった。大松の枝影で月明かりもまばら、その下に娘が立ちっちゅう。こわごわ近う寄ってみたら、それは器量良しの可愛らしい娘、安さんうっとりしちょったら、にやりっと愛嬌顔で、「安やん、わたしゃーちょっと用があってその先まで行っちょったが、ここへ来てから寂しゅうて、よういなんが。家はほんのそこじゃが、連れて行ってもらえまいか。」

 安さんえつにいって、「おお、楽なことよ。」言うて、その娘について行ったらなかなかに立派な構えの家じゃ。

 「さあ、上がって」言うので入ったら、「もうおそいけ、みな寝よる。風呂がまだ沸いちゅう。だれたろ、早ようはいって。」風呂場に案内されて、安さんえつにいり、風呂に入る。

 そしたら娘は尻からげて赤いお腰の下は白い足、素足で来て背中を流してくれる。
 安さんこんな結構なことに遇うのは生まれて初めて。えつに入りきっちょったら、娘は床のべてくるけ、言うて出て行った。なんでか安さん、眠とうなって風呂の中で寝てしもうた。

 そのうちに夜が明け始め、あたりがうっすらと明るくなった。
 安さん寒うてうつろに目が覚めたら、春田の泥の中で体も着物も泥もぶれ。安さんなんだかさっぱりわからん。ぶるぶる震えよる。

 古狐のおさん、こえ山からそれを見て、安の間抜けをこじゃんとだましちゃったと、喜びこけて跳ね回りよったと。

 てこにあわん=手に負えない。


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三郎さんの昔話・・・一つおぼえ

2010-09-09 | 個人の会員でーす
一つおぼえ


 田舎の町に男の血気盛りで、年は二十五、六歳で体はお仁王さんのやぅに赤黒いえい体格の好馬とゆう頭の抜けた気違いでもない男がいて、

身なりは黒木綿の半じばんに猿股で地下足袋、大きな腕と腿を荒はに出して、日よりには必ずひと握りもある大きなさす(棒)の両端に青い刈り草の束を突き刺して担いで、朝の日だけと夕方に通る。


 通る道々なにかモゴモゴと言ぃながら大足で歩いているが、誰か人に出会うと大きな手の親指を、人差し指と中指の間にはさんで手まめをかざして

「チ〇ポ、チ〇ポ、イ〇コ、イ〇コ」と言ぃながら顔をゆるめて通る。草刈りの行き帰り出会うた大人でも子供にでも皆んなに手まめのしょしゃをするので、男の子は皆な知って好馬と行き違う時には小さい手で、手まめを好馬に向けて「チ〇ポチ〇ポ、イ〇コイ〇コ」、と言ぅて通り抜ける。


 しかし女の子はお仁王さんの様ぅな大男がみょなこと言ぅので、怖がって好馬が見えたら皆んなすぐ逃げた。子供等は皆な親に、好馬はこまい時に病気してあんなになったがじゃけ、いらんこと言ぅて手ゃわれん怒ったら怖いけ、とゆわれていた。


 子供心にどうしてあんな人になったのかなぁ?、と不信に思っていた。ところがある日、大人達の話をそっと聞いた。

たねやんが物知りのさかやんに「半気ちのあの好馬はいつっもチ〇ポじゃイ〇コ、イ〇コ言ぅて、こども等にしょう為がよぅないがどぅしてじゃろう」と聞くと、

さかやんは「たねやんは知らんのかょ、好馬の家は元は大家じゃったが今は、お母は小んまい店でそばゃすし一杯のみ屋の飲食店、親父は馬喰しよるろぅ」、うぅん、「好馬の弟も結構 人並みに渡世をしよる、二親はあの好馬がこまい時えい賢い子で特に可愛かった、処がはやり病の熱が高ぅて下がらず頭がぼけてしもうたが、体は丈夫であのとおり立派に成人した。


 親は並にない子ほど可愛いとゆぅが、その通りで二親は好馬の体は人並み以上に立派な男じゃのに病気のからでこんなになった、人並みなことも知らずにこのままで残して自分らが死ぬのはむごい、一度だけでもえぃことさしちゃりたいと、私案の挙げく、こっそりと貧しい若後家に「絶対秘密にして他言はせん、おれいは十分にするけ」、と無理にくどいて話をこぎつけた。


 二親は好馬にくどくどと言ぃふくめて、ある晩実施した。薄暗い部屋で、若後家は顔を見られるのがいやで布で顔を覆うて身をまかした、好馬のやつは体力が強いので長いことしてやっとすんだ、若後家が逃げるように帰ろうとした時に、好馬はさっと若後家の覆ぅいをむしり取って顔を見たと、それでたまるかゃ、あんなことを言ぃもって毎日日にち若後家を追い回しだしたは、秘密もなにもあったもんじゃない人は皆な知って、その若後家は恥ずかしいのと追い回されて家にも居れず、こっそりと 夜逃げして何処かへ行ってしもた。


 貧乏したとはいえ後家さんは惨いことよのぅし、好馬のやっはあほぅの一つおぼえで、それからあんなことしか言ぅことを知らんよぅになったがょ」、たねやん「そんなことがあったの初めて知ったわ、うっかり何も知らん半気ちや馬鹿には大事なことは教えられんのぅし」、さかやん「親は子がなんぼぅ可愛ゆぅても、馬鹿や、たらん者にはいらんことを教えたら後で後悔し、人も皆んなぁ困るぜょ」、たねやん「ほんとじゃのぅし」。私しゃ子供のくせに 聞かんふりして聞いてしもぅた。


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三郎さんの昔話・・・浮姫物語(夢のお伽ばなし)

2010-08-19 | 個人の会員でーす
浮姫物語(夢のお伽ばなし)

 前書き、夜寝るまえにわたしは比羅明神様の額に二礼して手を合わし、今日もお水を戴き、風呂に入り、流し、水のお陰で生きております。

 有り難うございます。と頭をたれて床に就きます。
眠りの中では色々な夢を見ますが、夢はすぐ忘れてしまいます、昨夜は不思議なお伽の夢見ました。

   その夢は◎昔、富士川の流れの中ほどに小さな村がありまして、その村は梅雨時や大雨が降ると川の水があふれて田畑が荒らされて村人は困っていました。

村人は色々と話し合い悩んだ結果、こりゃ水神様のたたりじゃけ鎮めるために女の稚児を選んで、人身供養しようと話がきまり、村の小さい女の子の中からくじ引きで選びました。

そしたら貧しくて子沢山の家に生まれて間もない三女がくじ引きで当たって選ばれた。
両親は可愛い子供を泣く泣く、村人のため人身供養にと出した。

 水かさの多い川中に高い抗を立て三方に網を引き張って安定し、竹かごの中に女の子を包んで入れ、立てた抗の先につるし上げた。

 村人は川原から人身供養の稚児を哀れと手合わし拝んだ。
その夜また夕だちで大雨が降り川水は増水して立抗も竹かごの子供もおし流された。

  風雨に荒れくるうた濁流で稚児は溺れ死にそうこれを見た弁天さまは稚児を哀れと思い救うた、稚児を乗せた竹かごはスィスィと浮いて流れ流れて大海へ、翌日は晴天で穏やかな海上に稚児を乗せた竹かごは静かな波にゆれていた。

小舟に夫婦で乗った漁師が河口の海で、浮いた竹かごを見付けて近くによって見たら、竹かごの中に女の子がおる、これは不思議なこと、子供のないわしらに弁天さまがおさずけ下さったありがたいことじゃと、だいじに救い上げ抱きしめて家に帰った。

さてこの子の名前は、海水に浮いていた授かり子じゃけ浮姫と名付けて大事に育てようと決めた。
その後、可愛がりほぅほぅとだいじに育てるうちに浮姫はすくすくと成長し月日はたった。

この浮姫は賢くて優しくて美しく順に育ち十七歳を迎えた。
天才美女で貴賓があり人々に慕われた。

時にある庄家の跡取り息子で立派な若いしにぜひ嫁にと所望された、育ての両親が浮姫に尋ねてみたら、えい若いしのもとに嫁入りしたいが、私には事情があって行くことが出来ない。

  それは富士川ぞいの荒れる村から水神様を宥めるために人身供養に出された身で既に命のない体を弁天様に助けられ、成人したら竜宮城の弁天様にお仕えすることに決められております。

来る八月の十五夜に竜宮に出仕いたします、お育て戴いたご恩は決して忘れません。
これから以後の孝養は別世界からお二人様の健康と幸せ長寿を祈り続けます。

と申し上げて、八月十五夜の満月に吸い込まれるように浮姫の姿は消えて行きました。 浮姫を育て上げた夫婦は離別を悲しみましが、その後は浮姫と楽しかった月日の思い出をむねに描き浮かべながら健康で幸せに年月を過ごして長生きして、共に白髪のお爺さんとお婆さんになりました。

縁起物の床飾りのじょうと爺さんと、じょうと婆さんのはじまりでしょうか?消えなかった夢。


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三郎さんの昔話・・・富美子

2010-08-12 | 個人の会員でーす
富美子


 母の弟、照吉叔父が妻の多利子と連れ子の富美子を伴って、大阪から本山に帰郷したのは、私が中一の春に、大病して手術後の病弱体の秋頃かと思います。

富美子は小学五年生にしては大柄で、青白い顔で言葉少ない、病身げなおとなしい子でした。


 その時期に私は肋膜になって、学校も休んでお医者通いで、滋養を取って体調を治すべく山羊を飼って、毎日道草を刈ってきて世話をして、乳をしぼって飲んでいた。山羊の乳は沢山出るので、青びょうたんの弱そうな富美子にも朝晩飲ました。

 弟の辰三が生まれて半年余りで可愛い盛り、叔母と富美子は何時も辰三を連れて行き、可愛がってくれた。「叔父の家は、早船の前で近かった。」辰三の歩き始めも富美子の家で皆な喜んだ。

 私の病気は良くなっていても春秋の季節変わりには盛り返して悪くなり。栄養に血が増えるとかでマグロのさしみを毎日食べ、ブルトーゼー、肝油ドロップを飲んで、体を養いながら養生したが良くならん。


 それで父は薬じゃなおらん、灸をすえて焼きなおすと、たまるか毎日日にち、背中にはしご灸を肩からお腰まで肋膜のやいとは胸の後ろに十ヶ所余りに朝から昼過ぎまで、盆、正月、神祭だけ休みでその他の日々は、灸をすえつめた。

それで母の家事は午後が忙しいので、富美子は学校が上がるとすぐ辰三の子守り、日曜や休日は朝から晩まで可愛がって見てくれていたが、一年少しで弟の大作が生まれたので、辰三は主に叔母が見てくれて、富美子は大作の子守りに専念した。

それで富美子は中学を卒業するまで三年近く、大作を子供のように可愛がって世話をしてくれた。


 義理立ての気分も、少しはあったかも知れないが、ほんとに私の妹のように、子守りや家の手伝いをよくしてくれた。

 中学卒業後まもなく筒井の仕出し屋に奉公に出て三年余り勤めて、高橋の菓子屋に女中に転職して高橋の家族には、料理も上手で好かれていたが一年足らずで、風邪が元で少しの患いで十九歳の娘盛りの若さで、短い人生におさらばして逝っちゃった。


 故人、富美子の短い人生の内で、楽しそうに見えたのは、弟の辰三と大作の子守りで、我が子のようにあやして、微笑んでいた時期であろう。
罪亡き従姉妹の若死にを痛む。

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三郎さんの昔話・・・刀と数元さん

2010-08-05 | 個人の会員でーす
刀と数元さん


 嶺北は四国の中央で、吉野川の上流、河口から百四十キロ程の地点であります。
 昔、源平の合戦当時は、四国の武将は平家方に属していました。源平に敗れた平家方は源氏の討伐を逃れて、山深い山里に来てひっそりと暮らしたそうです。

 その敗戦の武将たちが逃れてきた山里が、嶺北の大杉の立川(大豊町)や森の和田(土佐町)であります。

 そのような関係でこの地区には刀剣がたくさんありました。
 百姓をあきらめ、町に出た数元さん。これらの刀を買い集めてひと儲けしようと骨董商の許可を受け、少ない資金で立川や和田を回って安い刀を買い集めた。

 さて売りさばくに素人では善し悪しがわからん。高知へ出て刀の鑑定を受けようと鑑定士さんを捜した。やっとわかった。当時の鑑定士さんは元陸軍中将つちや(土屋?)閣下でありました。

 数元さん、恐れ入ってお願いして、持って来た刀を差し出すと、中将閣下は持参した刀を一、二寸抜きかけて見ると、カツンと納めてガラガラと放り返す。少し見てはガラガラで、しまいに「こんななまくらは駄目。」と言うと、話す間もなく立ち去る。


 数元さん仕方なく帰るが、数元さんなかなかにしぶとい。七、八本買い集めると、中の川越しに刀を担いでテクテク。刀は鉄で重い。四、五里の山道は肩に食い込んで大変であったが、しぶとく通い詰めた。

 そのうちに数元さん、中将閣下の弟子になって習おうと思いたち、お願いしたが、なかなかに「ウン」とは言ってくださらん。

 そこで数元さん、四季おりおりの山の物、栗やきのこ、山芋、雉、小豆など、行く時々に持参してご機嫌をと、しぶとくお願いしていたら、中将閣下も数元さんのしぶとさを見込んで、やっとお許しが出た。

 それからは中将閣下に接しても、割となごやかでぼつぼつと色々な事を教えて下さるようになった。
 持参した刀の内に、たまに見所のある刀に出会うと静かに抜いて眺めながら、古刀とか新刀とかの見分け方、生産地及び刀匠名、刀の出来の善し悪しなど色々と説明して下さる。

 そのうちに、閣下自前の名刀なども見せ、教導を受ける。その他、掛け軸や骨董品に至るまで、様々な教えを受けること三年あまり。
 数元さんの熱心さと頭の良さを中将閣下に特に気に入られて、外弟子ながら閣下の一の弟子ということになる。


 数元さん、鑑定士になることを周りの人から薦められたが、学歴が小学四年ではどうにもならず、それに金も無くて諦めた。

 その後、中将閣下が他界されてから、高知や山田の骨董商人が刀や軸をさげて数元さんに見てもらい、値付けに来ること度々でありました。

 終戦後、進駐軍が日本刀の整理にかかり、県でも民間から刀剣を全部出さして、良いものだけ残し、その他のものは廃棄処分することになりました。

 そのとき県は鑑定士を選びました。数元さん免許はなかったが、つちや中将閣下の一の弟子ということで呼び出され、刀剣の選定に参加しました。

 その時、なまくらで廃棄となった刀は、薪くろに積み重ねたものが幾くろもあったそうです。日本には刀が如何に多くあったかと驚くばかりです。

 戦時中日本が侵略戦争で中国へ攻め進んだ時、南昌一番乗り、不死身曹長川田信太郎の名は講談社の絵本に載りました。その義父芳吉は高価な日本刀を買って送った。

信太郎その刀を使ってみて、すぐ送り返してきた。 理由は、この刀は人を斬ったら曲がりくねって鞘に納まらんということでした。

 しかたなく兄の数元さんに頼ってきた。数元さん心当たりを詮議して、古刀でこれなら大丈夫の刀を選び出し、芳吉に買わして信太郎に送った。刀は斬れるし狂いもなく、信太郎は感服した。

 終戦になり、帰ってから信太郎は、叔父の数元さんが鑑定し元陸軍中将つちや閣下、一の弟子であったことを知り、その人間性に惹かれて仲良しになったが、戦争の疲れが出て、若くして信太郎は帰らぬ人となりました。

 数元さんが言いました。日本刀は源平当時の古刀が最高である、と。




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三郎さんの昔話・・・誕生(父)

2010-07-29 | 個人の会員でーす
誕生(父)


 時代は大正の末期、住まいはその日稼ぎのあばら家。
当時は雨でも降って主に稼ぎがなく金が無うても少しもこまらん、町のお店に行って「後で払うけ「盆暮れ」貸しちょいて」ゆうて米、味噌醤油、雑魚、雑貨品となんでも借りてきて生活が成り立つ、
ほんとに気楽に生活が出来た、のんきな時代。

当時はテレビもラジオもなく新聞を取って読むのも、ほんの一部のお金持ちだけで、

情報やうわさは口ごめで人と出会うたら話し合うて伝達するのが常識であったが、特別なことは素早く伝わって中の人がみんな知っていた。


 当時は働き盛りの男でもお百姓以外は毎日働くほど仕事はなく、まして貧乏屋の専業主婦の金稼ぎなどはなく
炊事洗濯、子育てで昼間の暇な時は近所隣の女ご同志が寄り合って、亭主や子供のこと人のこごとや噂話で日々を過ごしていた。


 さて昼さがり毎日くる母の友達の相撲取りばぁ大きなおばさんの「さかやん」が爪先歩きで身体ごよごよ手は小振りでやって来て
「亀やん調子はえぇかょまだ出来そぅにないかょ」、と大きなかすれ声でやってきた。


母は弟をみごもって臨月が近かった、小柄な体に大きなおなかを抱えて家事が一段落でやっと縁側に座った時、
母は「もうまあできにゃいかんのに中々でてこん腹は太る一方でよわったぜょ」、とさかやんの言ぅこと「そぅ心配しな亀やん、はいったものはどうせ出てくらゃよ」、と。

それを聞いていた。ぼん日頃おまんの弟か妹がもうすぐできてぼんはお兄ちゃんになるがぜよと聞かされていたが、
さてあかちゃんはあの大きなおなかからどうして出てくるのかなぁと不思議で、思い切って聞いてみた「おかやん、あかちゃんは何処から出てくるの」と、

それを聞いた母は少しためらっていた、するとさかやんが言ぃだした「ぼんは桃太郎の話はしっちゅうろぅ」、「うーん」、「桃太郎は大きな桃がぱっくり割れてぽっくり出てきたろう、あれとおんなじよ。


おかやんのぽんぽがぽっくり割れて出てくるがょね」、「ふーん痛いろうねぇ」、「そりゃ痛ぅて大難儀よ。
ぼんができる時もお産がえらうて、あの(指さして)障子の上の梁へカスガイを打ってロープを引き、それをおかやんは座って引っ張ってウンサウンサと三日も難儀してやっと生まれたがぜよ」と、

ぼんは「ふーン」と感心して聞いていたが、まだ心配で「割れたおなかは奇麗になおるが」と聞くと、さかやんは「そりゃなおらざったら大ごとよ。


なおるけんど大事に寝て養生したら、三、七、二十一日したら元の体になるけ、うんと言ぅことを聞いて手伝うちゃりょ、えぇかね」。

ぼんは「うんうん」、と感服したが、まだ一つがてんのいかんことがあった。子どもはおかやんのぽんぽから、どうしてできるよぅになるのかなぁ?




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三郎さんの昔話・・・誰が偉い

2010-07-22 | 個人の会員でーす
誰が偉い

 男と女の問答。「A男」「B女」
「偉いのは男じゃろうが」

B「偉そうにするのは男で、本たい偉いのは女じゃ」、
A「そんなことはあるか男は毎日日にち働いて女房や子供、親までに気をつこうて家族を養うために一生けんめい働きよるぞ」、

B「そりゃそうじゃけんど、男が働けるように毎日食事を作って食べらし、身の回りの洗濯や 身ともないように気をつかい、夜は充分に相手をしてご機嫌をそこねず 気分良ぅ寝付けて、働けるように一生懸命に勤めよるのは女ごぜよ、偉そぅに言ぅたら はじまるまい」、

A「女ごも中々理屈があるもんねゃ、男はいっつも働きながらチットでも金がよけ取れて渡世が良ぅなるやぅに考えて一生懸命にやりよるがぞ、女ごは知るまい」、

B「そんなことは始めから知っちゅう、女はよぉう考えて、男を上手にあやつって精出して働かさしてせっぱい渡世を上げて、自分も子供も楽に暮らすことじゃ、男が偉そうに力んだところで男の強いのは力と いらんことを する時だけじゃ」、

A「そぅ言ぅたちこの家の主も 戸主もおらじゃけおぼえちょけ」、
B「よぉう心得ております、力みたいばぁ力みなぁれ 男がなんぼ力んでも働きと種付けだけで、女のやぅに子供を生んだり育てることも、ろくにできまい、その証拠に子供が大人になったら、どの子も父親などいらん、皆なお母さん、お母さんと慕いよるわ」。

「それに日本の国の元は天照らす大神とゆう女神が初めて国を開いた、今でもイギリスではエリザベスの女王さんが一番偉いろう」。

A「こりゃまっこと口だけは女が本たい偉い」、「まいった、まいった」。


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