れいほくファンクラブ

「れいほく」の更なる発展を通して高知県がもっと元気になることを目的とする。

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景  16吉野川

2011-02-08 | れいほく地域の見どころ・自然・四季

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景  16吉野川

吉野川は、高知県いの町、白猪谷を最源流とする、延長194kmの一級河川。四国三郎の異名で、利根川(坂東太郎)、筑後川(筑紫次郎)とともに有名。

50年3月に早明浦ダム、池田ダムの竣工によって、洪水調節・下流既得用水・香川用水等の取水の安定化を図り、四国地方の経済・市民生活に大きな影響を及ぼしている。

 

栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 目次

栄ちゃんワールド・・・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 目次

栄ちゃんの四国霊場巡り 目次

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ   記事一覧はこちらから


私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景10 定福寺の蓮(大賀蓮)②

2010-07-28 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景10 定福寺の蓮(大賀蓮)②





定福寺のホームページ
定福寺HP:大賀ハス ~2000年ハス~
昭和26年大賀一郎博士の手によって、千葉県検見川東大農場の泥炭層下7mの所から蓮の実を3個苦心の結果発掘して、1個が良く生育し翌年開花しました。
その蓮は「Oldest Flower」として、世界の人々に絶賛を受けました。・・・・・









※私も応援しています!

NPO法人定福寺豊永郷民俗資料保存会が、「定福寺豊永郷民俗資料館」建設募金実施中!

敷地内には、「民俗資料館」(大豊町立民俗資料館のあゆみ( 国指定民具2595点 )があり、NPO法人定福寺豊永郷民俗資料保存会を立ち上げて、

平成26年完成予定「定福寺豊永郷民俗資料館」建設のために、いま募金を募っています・・・とのお話が住職様からありました。

「大豊町民俗資料館」は「定福寺豊永郷民俗資料館」として再出発し、建物が老朽化して、国指定の「重要有形民俗文化財」が危機的な状況にある・・・

資料館の再建には2億円の費用が必要で、5年間かけて募金を募っていく・・・と資料にあります。

ご住職の"国指定の「重要有形民俗文化財」などの民俗資料を保存したい"という熱いメセージを感じました。



このことを一人でも多くの方にお知らせして、資料館の再建のための募金が集まる事を祈念して、

私も応援できたらと思いました。

郵便振込み口座 

徳島 口座番号01680-4-100334 加入者名 定福寺豊永郷民俗資料保存会



お問い合わせ(栗生山 定福寺)
高知県長岡郡大豊町粟生158 TEL0887-74-0301 FAX0887-74-0302

E-mail jofukuji@d1.dion.ne.jp

地図で見る



大豊町の定福寺  さんの記事

栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

栄ちゃんの四国霊場巡り に関するページ

大豊町ファンクラブ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景9 定福寺の蓮(大賀蓮)①

2010-07-21 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景9 定福寺の蓮(大賀蓮)①



定福寺のホームページ
定福寺HP:大賀ハス ~2000年ハス~
昭和26年大賀一郎博士の手によって、千葉県検見川東大農場の泥炭層下7mの所から蓮の実を3個苦心の結果発掘して、1個が良く生育し翌年開花しました。
その蓮は「Oldest Flower」として、世界の人々に絶賛を受けました。・・・・・








※私も応援しています!

NPO法人定福寺豊永郷民俗資料保存会が、「定福寺豊永郷民俗資料館」建設募金実施中!

敷地内には、「民俗資料館」(大豊町立民俗資料館のあゆみ( 国指定民具2595点 )があり、NPO法人定福寺豊永郷民俗資料保存会を立ち上げて、

平成26年完成予定「定福寺豊永郷民俗資料館」建設のために、いま募金を募っています・・・とのお話が住職様からありました。

「大豊町民俗資料館」は「定福寺豊永郷民俗資料館」として再出発し、建物が老朽化して、国指定の「重要有形民俗文化財」が危機的な状況にある・・・

資料館の再建には2億円の費用が必要で、5年間かけて募金を募っていく・・・と資料にあります。

ご住職の"国指定の「重要有形民俗文化財」などの民俗資料を保存したい"という熱いメセージを感じました。



このことを一人でも多くの方にお知らせして、資料館の再建のための募金が集まる事を祈念して、

私も応援できたらと思いました。

郵便振込み口座 

徳島 口座番号01680-4-100334 加入者名 定福寺豊永郷民俗資料保存会



お問い合わせ(栗生山 定福寺)
高知県長岡郡大豊町粟生158 TEL0887-74-0301 FAX0887-74-0302

E-mail jofukuji@d1.dion.ne.jp

地図で見る



大豊町の定福寺  さんの記事

栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

栄ちゃんの四国霊場巡り に関するページ

大豊町ファンクラブ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験


大豊町・八坂神社 日本一の大杉③ 美空ひばり遺影碑ほか

2010-07-15 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

大豊町・八坂神社 日本一の大杉②



八坂神社 日本一の大杉の入り口にある料金所前の道路を上がると、美空ひばりの遺影碑や歌碑が建立された公園に行くことが出来ます。







八坂神社
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。



美空ひばり遺影碑9歌碑がたたずむ
大杉の苑敗戦直後の混乱期9歳でデビユーした美空ひばりさんは昭和22年まだ美空和根という芸名で地方巡業している途中、大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。

そして、1ケ月半の療養後、町内にある国の特別記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるようにと願をかけました。

帰京後、芸名を美空ひばりと変え、文字通り日本一のスターへの道を歩んだひばりさんは、14歳の時に当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ、日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝したのです。

その後昭和の歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、平成元年、日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。

大豊町では、.美空ひばりゆかりの地として、その業績を諾え、いつまでも人々の胸に残るようにと、フアンやプロダクション、レコード会社など、数多くの関係者の全面的なご理解とご協力を得て、平成5年5月に杉の大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立しました。







HN:参拝者

大豊町・八坂神社 日本一の大杉 に関するページ

HN:参拝者  さんの記事

大豊町ファンクラブ

へんろ道高知

神社・お寺コーナーin高知

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

2010-07-14 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。







八坂神社
祭  神 : 素盞嗚尊
鎮座地:高知県長岡郡大豊町杉794

土佐は吉野川支流穴内川(あなないがわ)の左岸、
今JR土讃線大杉駅より徒歩約15分、国道32号線沿いの小山に鎮座。
由  緒:
当社の創建は詳らかならずも、この地の旧家の記録によると、延喜12年(912)杉本某がこの杉村の大杉のもとに、祗園牛頭天王及び貴船大明神の尊像をお祀りしたのを当社の初めとするという。
また、鎌倉時代の末期、幕府に繋がる武門の一族が落ち来たりて杉本氏が京都から八坂神社の祭神素盞嗚尊を勧請してお祀りしたのを初めとするというような、よく似た話が伝えられている。
     (宮司さんのご説明などより)



当社の御神木であるこの大杉は、国の特別記念物に指定されている。
推定樹齢は3000年で、南大杉と北大杉と呼ばれる2株の大杉からなっている。
大きい方の南大杉は、根元の周囲が約20m、樹高が約60mで日本一といわれている。
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。







八坂神社 拝殿



八坂神社釣井正亀宮司著「大杉・八坂神社の神秘」によると

日本一の巻龍(虹梁)の彫刻は、

昭和27年八坂神社改築の時、徳島県大歩危の浦辺理盛さんが一本のケヤキに彫刻した傑作



杉の大杉
日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

この杉の大杉は、それぞれに南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二様が根元で含意していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。

深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませれば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。


高知県長岡郡大豊町743 0887-72-1417


より大きな地図で 大豊町 八坂神社の日本一の大杉 を表示



HN:参拝者

大豊町・八坂神社 日本一の大杉 に関するページ

HN:参拝者  さんの記事

大豊町ファンクラブ

へんろ道高知

神社・お寺コーナーin高知

本日の梶ヶ森

2010-06-13 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
21度まであがり大変暖かかったです。





http://www.youtube.com/v/ls5rBd0yyro&hl=ja_JP&fs=1&color1=0x234900&color2=0x4e9e00

↑梶ヶ森の動画です。


7月4日、大豊町 梶ヶ森 山開き

山荘梶ヶ森HP

山荘梶ヶ森 に関するページ

山荘梶ヶ森の間瀬さん・吉村さんのページ

大豊町ファンクラブ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景5 棚田の四季④

2010-06-13 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
栄ちゃんワールド・・・
私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景5 棚田の四季④



私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景4 棚田の四季③

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景3 棚田の四季②

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景2 棚田の四季①











栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

栄ちゃんの四国霊場巡り に関するページ

大豊町ファンクラブ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"3 ミズキ

2010-06-02 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"3 ミズキ



ミズキ(08/05/21) 



クマノミズキ(09/06/21)



クマノミズキ(08/08/22) 葉が対生につく



ベニバナハナミズキ(09/05/02)



トサミズキ(08/04/04)



イヨミズキ(09/03/27)



ヤマボウシ(09/05/30)



ヤマボウシ(09/06/13)


栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景2 棚田の四季①

2010-05-26 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景2 棚田の四季①







私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景2 棚田の四季①




栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

れいほくファンクラブ

高知の自然・環境

高知の自然体験

三郎さんの昔話・・・だれやの一杯

2009-09-10 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
だれやの一杯

 今時「だれや」なんて聞いてもてんで合点のいかない言葉である。「だれや」とは昔の言葉で一日の疲れをいやす、晩酌のお酒のことである。

 大切な一日を一生懸命に体を使って働き、今日も一日無事に勤めを終えたと寛ろいで飲む。だれやの一杯のお酒は、酒好きにとってこれ以上の喜びはない。

 昔の農家には物を運んだり入れたりする容器には竹細工で作った篭物が多かった。
 当時竹細工の職人で、細工が上手で有名な徳さんという人がいた。農家では徳さんを雇って色々な物を作ってもらうに雇おうとするが、徳さんは仕事上手で正直、精出して働くので農家の引っ張りだこでなかなかに回ってこない。

 孟宗竹を秋の実入りに旧月の闇夜回りに切って準備整えて、待ちこがれていたら師走の始め朝晩の寒さも加わりかけた寒い日、やっと徳さんが朝も早く篭作りに来てくれた。

「徳さん、よう来てくれた、待ちかねちょったぞ」
「わしも早よう来たかったが、行た先きで後へ後へ注文が多うて、やっと済んで来れたぜよ」
「おまんは仕事が上手じゃけ、人気がええのう」
「へえ、おおきに、そんなら何から作ろうか」

「そんなら一番にめご(堆肥を担って運ぶ荒い篭)、次に取篭(桑葉や実物の取り入れ篭)を作ってや」と言って筵を出して来て庭に敷き、孟宗竹をあてがうと、徳さんは早速荒竹を割り、順次こまめに小器用に割りさばいて精出して篭作りに励んで、夕方までにめご二つに取篭一つ作って日も暮れかかり、徳さんは、

「明日もう一日(ひいと)い来るけ」と言って帰ろうとした徳さんに、
「今日はよう働いてくれた、だれたろう、だれやがあるけ、一杯やっていき」と言って、釜屋から酢のように澄んだ作り酒のビンと湯飲みを持って来て、なみなみとついで飲ましたら、
「こりゃたまるか美味い」と一息にぐっと飲んだ。

「もう一杯いき」とすすめたら、「わしゃ酒は弱いけ」と少し遠慮したが、「まあまあ、も一つ」とついでやると嬉しそうに飲んで、「御馳走さん、お休み」と言って日暮れの道をいそいそと帰って行った。

 暫くして家に入り、夕食のおり徳さんに飲ました「だれや」を取ってきて飲もうかと立ち上がると、「どこへ?」と聞かれたので、「酒取りに」と言うと、「だれやはここへ来ちょる」と言うので見てみると、先に徳さんに飲ました酒のビンの量と、このビンの量がぐんと違う。

 こりゃおかしいと思い、「俺は釜屋にあった酒を徳さんに飲ましたが、あれとこれと違うのか?」と聞くと、「そりゃたまるか、あれは酢じゃ」と。

 「ありゃ酢か、しもうた、間違うて酢を飲ましたか」と悔やんだが後の祭り。
 翌朝、朝も早うから徳さんやってきて、「おはよう、夜んべのだれやばあ美味い酒を知らんき、こじゃんと効いてぐっすり寝れたけ、今日も張り切って仕事ができるぜよ」と。

 酢を飲ました断りを言おうと思っていたが、今の言葉を聞いて声は出ず、「だれやがそんなに美味かったかのう、そりゃよかった、また飲ますけ、今日はさつま(丸い物を干すいれもの)を一つに、えびら(蚕を入れて飼う角平たい容器)を五六枚作ってや」と頼んで作ってもらい、日暮れに二日分の日当を米で支払い、手作りの澄んだ酒を確かめて飲ましたら、「ほんたい、ここのだれやは美味い」と、昨日と変わりなく美味そうに飲んだ。

 「また来年も作りに来てや」
 「へえ、どうぞまた使うて、どうも御馳走さん、おおきに」と言うて、夕暮れの草道を嬉しそうに帰っていった。

 さて、昔の家で手作りの白酒の澄んだ色と、酢の色はよく似ていて見分けにくい。だれやにと思って飲ましたら酒と酢を間違えてしもた。

 気持ち良うに飲んだ徳さん、お酒が好きで手作りのすっぱい酒を飲みそめていたので、ちょっとすっぱいがえいだれやじゃと、ぐっと一息に飲み気分が良かった。

 酒も酢も疲れを治す良薬なので、酢なんて疑う気はもうとう無くて酔い、疲れも取れてぐっすり眠れた。人は気の持ちよう次第で心良い気分になる。愉快な話である。




三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・卯ヱ門さん 余談

2009-06-26 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
卯ヱ門さん 余談 

土佐の城主、山内のお殿様が三勤交替で、お江戸へのぼる時が来たら、家臣を江戸詰めとお留守居に二分するので、侍や郷士は少ないので、足軽や小者を募集した。

 今度のお上りでも、庄屋と名主のところへ、おふれが回った。 地区で人より相撲が強いとか、才知にたけて健康な者、人並み優れた剛の者で、三年間家のやりくりがつく者で、お江戸へ行きたい者は申し出るようにと、おふれが回って来た。

 卯エ門さん、家の暮らしもそう豊かでもないのに、一度お江戸を見たくて、立っても居てもいられず、子やらいの貞さんを言いくるめて、名主に申し出たら、卯エ門行ってくれるか、そうか、おらも鼻が高い、ゆうて名主さんは喜んだ。

 卯エ門さんは背はそう高くはないが、胸厚く横づちで頑丈な体で、相撲も力も強く、大石から土居に聞こえた豪傑じゃった。

 さて卯エ門さん、お供の役は足軽で、お殿様が力みと見世物に作った特別誂えの大筒(鉄砲)で、それを担いでノッシ、ノッシと、物珍しきをキョロキョロ見ながら、東海道を上り、江戸で三年過ごし、やっと帰って来たと。

 そのとき持ち帰った物は、貞さんへの木綿着物一反と、裏込めの種子島銃一丁じゃったと。
 その当時、鉄砲は誰でもは持てざった。それは非常のとき呼び出され、鉄砲撃ちとして戦に参加するとの条件があったのと、当時鉄砲は高価でもあった。

 卯エ門さん、三年間の奉公で得たものは、鉄砲一丁と着物一反じゃったと


三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・天狗とおまん

2009-05-07 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
天狗とおまん


小学一・二年の頃、山の祖父母のところへ父の使いで煙草や魚等を届けて泊まると、祖父といっしょに寝て面白い昔話を聞くのが楽しみであった。

 「おぢいさん、また面白い話をして」と言うと、「よっし、今晩は天狗の話をしちゃろう」と言ってから、歌を歌いだした。

 「土佐はよいとこ、美人が多うて、おまん可愛いや、布曝すよ、よさこい、とさにこい」と歌ってから、
 「此処の山の空に愛宕山神様の祠があって、そこに、愛宕山神様の召し使いに、天狗で、鼻がにぎりこぶし二つ合わしたほど長い、顔は真っ赤で、手にはやつでの葉のような扇を持ち、足には一つ歯の高下駄を履き、着いた着物は山伏衣で、見るからにそれは恐ろしい男の天狗様。 ほんたい怖いぜよ。

 その天狗が、うにゃうにゃとお呪いを唱えて、手に持った扇をパコリっとあおったら、天狗様はスーっと空中に浮いて、空をぐるぐる飛んで回り、里の人達がまじめに精出して仕事をしよるかのと、お天気の良い日はいつも空から見て回りよった。

 ある天気の良い日に、天狗様はいつものとおり、空から見て回っていた。
 ふっと、小川を見たら、名主の娘で、おまんという里一番の器量良しの娘が、水の澄んだ小川で、着物を尻からげをして、赤いおこしをみせ、臍から下の白い足を水にひたして、洗濯物をチャプチャプリンと洗濯をしていた。

 その姿の美しいこと。空を飛びながら、水に映ったおまんを見て、こりゃほんたい奇麗な娘じゃと思い、思わず声が出て、『おまん可愛いや、布曝すよ。』と言うた。

 とたんに、天狗様の魔法が解けて、たまるか、天狗は空から真っ逆さまに落ちてきて、おまんが洗濯している小川に、ドプンと水しぶきを上げて落ち込んだ。

 おまんはびっくりして、そこを見たら、あのいかめしい天狗様ではなく、痩せてひょろろとした、ただのおぢいさんじゃった、と。

 女子(おなご)が奇麗ないうて心を引かれたら、天狗の魔法も解けて、役にたたんようになると。」話してから、
「土佐はよいとこ、美人が多うて、おまん可愛や、布曝すよ、よさこい土佐にこい」と、歌を聞く。そのうちに寝てしもた。




三郎さんの昔話・・・作者紹介



三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・小吉と小鳩

2009-04-27 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
小吉と小鳩

 むかし、貧しい農家に小吉という優しい子供が親子三人で暮らしていました。
 小吉はふた親の野良仕事にはいつもついて行って、色々と手伝いをするやさしい子供でした。
 ある日、野良に出ていつものように手伝っていて、おやつの休みの間に、小吉は野原に出て草花や蝶と戯れて遊んでいました。

 すると、クック、クックと鳩の哀しい鳴き声が聞こえてきました。
 ふと見ると、大きな鳥が三羽して小さい白い子鳩をこづいていじめていました。
 小吉はかわいそうに思って、「いじわる鳥、あっちへ行け。」と追い払って子鳩を抱き上げてみると、かわいそうに肩羽根を鳥にこづかれて飛べなくなっていました。
 小吉は大事に子鳩をつれて帰り、お母あに怪我をなおす薬を聞いたら皹(あかぎれ)につける膏薬を出してくれた。

 小吉はそれを子鳩の傷に塗ってやり、毎日大事にし麦と豆の餌をやりかわいがっていました。
 幾日かたって、子鳩は傷口もよくなり羽ばたくようになりましたので、小吉は子鳩を野原から、「お母さんのところへ早ようお帰り。」と空に放してやりました。
 子鳩はうれしそうに、クルル、クルルと鳴きながら小吉の頭の上をくるくる舞ながら山の彼方へ飛んでいきました。

 小吉が家に帰ってふと見ると、子鳩の羽根が一枚落ちていました。
 不思議に思ったが、小吉は子鳩がなつかしくて夜寝るときに羽根を枕もとに置いて寝ました。
 寝入って間もなく、子鳩の羽根はずんずんと大きくなりました。
 小吉がその羽根に座ると、羽根はすーと浮き上がり、家をはなれて空中へ、村里をこえて、雲をつき抜け雲海の上へ出ました。

 広々とした白雲の中に金色に輝く立派な御殿があり、中央の興に天女の美しい羽衣を着た弁天様が女官を従えて座り、羽根扇で招いている。
 小吉の乗った羽根は弁天様の前までくると静かに停まった。
 小吉が下りると、弁天様が、「小吉、その方先日、余の召し使いの子鳩を助け、怪我を治してくれてありがとう。

この天国でしばらく遊んでゆかれや。」と申されました。
 小吉は嬉しかったが少し考えて、弁天様に、「私、お父うやお母あになんにも言わず来てしもうたので、心配するけ帰らして。」と言うと、弁天様、
「おおそうか、小吉はやさしいええ子じゃ。土産に麦と豆の種をやる。」と袋に入った種をもらい、大きい白鳩の背に乗せられ、小吉は弁天様にお別れし、御殿を飛び立ち雲海を通り抜け、山々や里を見てやっと我家の上まで来たとき、ほっとしたら小吉は目が覚めました。

 枕もとを見ると、寝るときに置いた羽根は無く、麦と豆の種が入った袋がありました。
 小吉がこのことを話すと、お父うとお母あは、ありがたいこと、と天を拝み、親子三人で麦と豆の種を蒔き、大事に育てたら順調に大きくなりたくさん実りました。 その後も麦と豆は百倍、百倍と豊作で、小吉が大人になったときには家は裕福な大百姓になっていました。と。


三郎さんの昔話・・・作者紹介

三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・山姥

2009-04-22 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
                      山姥

 昔、嶺北の山里に、もさくとひょうたという仲良しの木こりが住んでいました。
 秋もなかば、紅葉をちりばめたきれいな奥山で、仲良しの二人はせっせと木を切り、働いていました。

 お日様も高くなり昼が来た。もさくがひょうたに、「腹がへったで弁当にしようか。」
ひょうたも、「おお、腹がへった。食べてひと休みするか。」言うて二人が木陰によってきた。

 ひょうたが、もさくに、「そこにあるおらの"ねこ"を取ってくれえ。」言うて、猫の皮で作った尻すけを取ってもらい、越しに敷いて二人が弁当を食べようとしたとき、ヒヤアイ風がそよっと吹いてきた。
 二人が座っている後ろの薮がザワーザワーとゆらいだ。二人がこわごわ後ろをふりむいてビックリぎょうてん。

頭は白髪のザンバラ、長い一本角がビューと出て目玉はギラリと光り、口は耳まで裂け、牙が二三本、体は痩せてごつごつ、爪は一寸ほど延びた恐い手で小枝にかきつき片手はぶらり、着いた着物はぼろぼろで見るからに恐ろしい山姥が、かすれた恐い声で、「猫はどこじゃ、猫はー。おらは食いたい腹へったー。」と。

 それを聞いた二人は色青ざめガタガタ身震いし、腰が抜けて足が立たんようになり、かきつきおうて転げるようにしてやっと家に帰ったが、震えがとまらず熱が出て三日ばあ寝込んだと。

 山姥とはほんとに怖いぜよ。山では猫の皮で作った尻すけを「猫」と絶対言はれんということです。
 この話を今になって考えてみますと、二つのことが考えられます。

 一つは、子供に山は怖いところであると。人を襲うものは熊、山犬、狼、蛇、ハミなど、それに怪我、山中では迷って方角が立たなくなる。

 これらは危機につながるので、山はおそろしい所と子供をいましめた話であろう。
 もう一つは、昔の山の農家はほんの一部を除いて一般に貧しかったと思う。昔の映画での『姥捨て山』は全国的にあったのでは。

 貧しくて食べるにこと欠く時代、食糧は少なく、子供は増えるは、年老いた老母は長生きで死にそうにない。死にとうても死ねない。 親子が話し合うて泣く泣く老婆を山に捨てた。
 それでも命のある老婆は山をさまよい、草や木の実を、山芋や山葡萄、あけびと食べれるものをあさって生き延びていた。

 木こりの懐かしい人声を聞いて静かに近寄っていた。家で猫を可愛がっていた老婆は、「ねこ」と聞いて思わず「ねこ」と声が出た。
 たがいに見合うと木こりもびっくりしたが、老婆もびっくりした。
 そのとき食べていた木こりの弁当は散らかった。その食べ物は家で日頃食べていた御馳走じゃ、老婆は腹から食べたい・・・と悲鳴に似た声が出た。

 こう考えてみると、山姥はほんとに居たのかも知れない。
 別に聞いた話。内のばあさん、カルシュームの塊が頭でふとって角が出来よるけ、それで恥ずかしゅうてちっとも外へ出んようになった、と。

 それに年寄ると、手足の爪が堅くなり、延びる。 身が減って頬骨が張り、歯は抜けて二三本残ると牙に見える。それに白髪のざんばらでは、見るほどに恐ろしい。知らん人が見たら、山姥じゃ。
 げに恐ろしい、哀れな話です。


三郎さんの昔話・・・作者紹介

三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・犬神の話し

2009-04-14 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
犬神の話し 

今は世の夏の宵、夕飯がすんで近所のおんちゃん連中が、話しに寄ってきた。
A「こないだの兵七んくの女房の犬神には、しょう弱ったのう。」
B「まっこと、みょうな事があるもんよ。びっくりしたぜよ。」
C「あの女房は、いくつばあぞ。」
B「あの女ごは、内のより下じゃけ、三十四、五じゃ」
A「こんまい、病身な女ごに、犬神が付いたら、あんな力が出るけ、まっこと、おくれるぞねや。」
B「あの、おくれて逃げようとした時、四、五人で取り付いておさえちゅうに、犬神が飛び上がったら、男が五人も
 一緒に宙に浮くけ、まっことびっくりしたぜよ。」
A「たかあ、不思議なことよのう、犬神が付いたら、人間じゃあのうなるけねや。」
C「たゆうが錫杖の剣で、爪の間を突くんじゃが、普通の人間じゃったら、たいてえの者はひそくるぞ。」
B「兵七の女房は、あれでしでられたので、犬神が落ちてから指が痛んで、一月あまり箸も持てざったと」
C「たまるかねや、犬神はしょう悪さをするやつぞ。




三郎の昔話・・・作者紹介


三郎の昔話