家伝の名灸
今どき、やいと(灸)をすえるなんて言うたら、医学や薬学、治療の進んだ現代人に笑われるが、さてふと病気になって入院したり通院で大体の病気は回復するが、病気によっては再発したり癖づいて持病になって、お医者さんと仲良しになって体病に苦労する人があります。
外科的な病気は手術で根が切れることが多いが、内臓の病気はなかなかに根絶が難しいです。
病魔に住み着かれて悪くなれば入院し、良くなれば家と繰り返して、何とかして良くなりたいと「溺れる者が藁をも掴む」気持ちで名灸を探してすえに来る。痛さを辛抱してすえる。
「良薬口に苦し」「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とか。お灸の少しの痛さ熱さを辛抱して病を治したら、病魔は根絶し元の健康体を取り戻す。お灸とはほんたい体にきくもんじゃと感服する。
祖父の寿太郎爺さんは父の豪傑の体躯に似ず、母の体に似て骨の細いすらっとした痩せ形で、子供の時は病身で喘息を患い、昔のことでお灸をしょっちゅうすえ詰めてやっと一人前になったと。
それで俺らも仕事だけでなく灸点を覚えて少しでも人助けしようと古老から喘息と心臓の名灸の伝授を受け、病身な数々の人に灸をおろしてすえさして治した。
その名灸は父に伝わり、子やらいの中年の婦人で喘息の持病で、ヒーッコンコンと夜も満足に寝れず、窓を開けてヒューヒューと呼吸に苦しんでいたお方が、お灸を知っておろしに来て一週間ほどすえつめたら、こっとり治って大変喜んだ。
大川村の若い大男が心臓を患い、嶺北病院に二年間入院して養生していたが治らず、父の名灸を聞いてやって来たのでおろし、母が二日すえてやったら調子がえいとすぐ退院して帰った。
その後十日ほどすえたらしい。それで全快して、何か用があって本山に出て来たら必ず立ち寄って「お陰で命びろいした」と礼を言いに寄った。
父も喘息や心臓の悪い人で灸をすえて治したいという人にはおろして治し、後で喜んでもらった。
心臓病で心筋梗塞という名称が出来た時期に、六十過ぎの父がその病気にこっとり罹り、何かしていてもああしんどい、胸が締め付けるように苦しいとその場で横になること度々、灸おろしでも自分の背にはおろせれず、そのとき私に伝授して私が父の背におろし母がすえた。五日ほどすえると治ってしもうた。父はその後三十年近く長生きしましたが、心臓病のけはありませんでした。
家伝の名灸を伝授引き継いだ私も、仕事の関係で嶺北一円を回りましたが、話していて心臓が悪くて医師の薬を飲んでいるが良くならんと言う方で、治れば痛くてもお灸をすえてみるという人には灸をおろしてあげた。
辛抱してやいとをすえて治った人は数々あり、心臓が停まったら人は死ぬのでほんとに恐い。一度心臓を患い、やいとで治った方はお灸の効果を知っていて、一、二年に一度お灸をすえて体を大切に保っている。
やいと(灸)はもぐさに火を付けて直接体を焼くのでほんとに痛いと思うが、さほどでもない。たばこの火をさし付けたら飛び上がるほど痛いが、もぐさの火は人間の知恵で、こらえ切れないほどは痛くない。
けんじょう(肩)の凝った人にお灸をすえていたら、大方の人は気持ちが良くなってうとうとと眠りだす。腕や足の神経痛は痛むところを押して、そこに灸をすえたら治る。
私の経験談。仕事がら昔の重い自転車で荷を積んだ重いリヤカーを十年余り踏みつめた過労で、四十過ぎに重い座骨神経痛に罹り、腰から足へ痛みつめてウンウン唸って夜も昼も眠れず、お医者さんに日に二、三回来て貰い、注射を打ち薬を飲んでも痛みはとまらず、一週間で患う右足は老人と同じ骨と皮にひすばった。
この痛みは病知らずには感知できない。痛みはとまらず堪え切れず痛いところを押して、やいとをすえつめた。
家内に朝早くから夜中まで、学校往きの子供の炊事食事以外の時はずうっとすえ続けた。神経痛の痛みよりやいとの痛さがこらえやすかったので、痛むところに灸をすえていると、そこの痛みが治まり痛むところが変わっていく。
変わったところを追うて毎日朝から晩遅く迄灸を一ヶ月ほどすえ続けて痛みも無くなり、神経痛は治ったが体が衰弱して、痛んだ足は細り歩行不能になりましたが、徐々に訓練してまともに歩けるようになるに半年掛かりました。
銭湯で私の灸跡を見てみんな驚きました。その筈、片足に灸跡が二百箇所あまり、点々が蜂の巣のごとく隙間なしでした。
その二年後、左足も神経痛になりましたが、やいとをすえ続けて治しました。灸の傷痕は時がたつに従って次第に消えて無くなりますが、背中の跡は少し残ります。
その後三十年余り、患った足は少し弱いのであしらってはいますが、やいとで治った神経痛は再発しません。
お灸とは熱くて少し痛いが、痛いだけよくききます。が、やいとを私は人に薦めはしません。痛いことなので。それでも話を聞いて来る人がたまにあり、灸をおろしてあげます。
病気が治ったらケロッとしています。
さて現在の高知市でもお灸の好きな人がいます。元酒屋の奥さんで、今はご隠居さんで退屈しのぎにたばこを売ったり縫物をしていますが、その人の言うこと。
「私はお医者さんと病院が嫌いで、月に一回は必ずお灸を色々とすえております。お陰でこの通り元気で病気はせず、風邪もろくに引きません」と。やいとは健康法じゃと力んじょります。