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私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景13 故郷の朝

2010-11-26 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景13 故郷の朝

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三郎さんの昔話・・・はんこ(印鑑)

2010-11-18 | 個人の会員でーす

はんこ(印鑑)

昭和七、八年頃の田舎の町はまだ開けてなくて、道路は一間半の狭い土の道路、その道端に一抱えもある大きな杉丸太の電信柱が五十メートルぐらいおきに立って電線が張りめぐらされていて戸々の家に送電され、暗くなると、きんちゃくなすを少し大きくしたような透明の電球が灯って、電球の芯は横文字を書いたように赤い線が明るく、家中を照らしていた。

 
 道路の片側には電話線を張った小丸太(直径五、六寸)で、送電柱の半丈程の電信柱がやや近めに立っていた。当時の電工さんは、電気の方は会社の工夫さん、電話の工夫さんは郵政省のお役人で少し鼻が高く偉そうにしていた。

 その当時電話があったのは、町内では官公署、病院、大きい商売人の一、二軒で、遠方への急な連絡は郵便局に出向いて電話を掛けていた。

 電線や電話線の工事の時、工夫は電柱に上がるに、体をゆわえるロープ(親指の太さ)と、たくり上げのロープを肩に、腰にペンチやナイフの小物入れの袋付きのベルトをしめ、柱に突き刺さる金具を靴にくくり付けてコツコツと電信柱に上がると、足を決めて体をゆるく柱に束ねて、吊り上げのロープを下げて作業となる。

 さて電工さんが仕事をするに電線や碍子、ボルトなどの金具を吊り上げるに、下に手伝いの人夫がいる。
 青葉の繁った六月の下旬に電話線の工事があり、駐在員の工夫さん一人は町内にいたが、沖(高知)から応援が来て工事が始まった。

 その時に、下での手伝い人夫に雇われ、仕事に行って一週間程した時、「郵政の支払日は決まっているので、今まで働いた賃金を支払うので、今夜宿で書類を書いて判をついてお金を渡すけ、判を持ってこい」ということで、近い家に走って、前に父から貰っていた使い古しの少し欠けた小さな木判の認め(印鑑)を持って行って渡し、依頼した。

 夕方から梅雨上げの大降りで、しけ(台風)のようになった夜、日が暮れて遅い夕餉。二親に弟らと膳をならべて食べながら、賃金貰うが嬉しくて判こを渡したことを話した。

 とたんに親父の雷が落ちた。「判を自分で見て押さずに、人に渡す馬鹿があるか。判(印鑑)というものは実証の証拠じゃ、お金を借りる時とか、受取の金を確認してから押すもので、人任せで押させたら、何をせられてもわかるまい。
 
これからすぐ行って取って来い。電信の役人に、こう言え。父が、判こは人に貸すものではない、書類を見た上で押しますと。」

 夕飯もそこそこに大雨の吹きぶるなか、破れ蓑笠で中古のぼろ自転車に乗り、カンテラに蝋燭つけて出掛けたが、横降る雨で明かり火はすぐ消えまっ暗闇。

 荒雨に叩かれて石ころの道路は吉野川に沿い、山のうねさこでくねり回って大杉の宿まで三里半。大杉の手前の高須の峠は難所、登り下りで一里余はあろう。
 自転車に乗ったり突いたりしながら二時間余りかかって、やっと大杉の三宮旅館にたどり着き、宿の女中さんに電工さんを呼んでもらった。

 二階から降りてきて、私の濡れぼっちゃの姿を見て、おくれた声で、「この大雨におまんどうしたがぞ」と言うので、泣きそうな声で父に言われた通り話すと、「それがたまるか、判は押して出すだけで、ごまかしたりはしやせんに、お父さんは堅い人じゃのう、済まざったと言うちょいて。
 
気をつけて帰りよ」といたわりのような言葉に励まされて、雨に濡れ寒さに耐えて歯を食いしばり、暗闇に目を光らして道を見据えて、自転車に乗ったり歩いたり、苦闘のすえ夜中前にやっと家に帰りついた。

 判を取り帰ったことを話すと、父は「よう行ってきた、判の大切さを忘れるなよ。体を拭いて風邪ひかんよう早う寝え」と言ってくれた。

 この話は私が十七才で、今から六十余年も前の出来事である。当時父は、金の貸し借りや土地の登記に関連した仕事が多かったので、はんこ(印鑑)の大切さを痛感していた。若輩の私に印鑑の大切さを伝授してくれた。

 お役所の机の前に座っていると、朝から晩まで判(認め印)を押すことがほんとに多い日本の社会である。判こは手軽に扱うが、本来は大切なものである。

 あの時のうるさかった出来事は身に染みて、生涯忘れることはない。今も小さい欠けの木判を宝物として大切に持っている。この印鑑である。

 

 

 
 

三郎さんの昔話・・・家伝の名灸

2010-11-18 | Weblog

                                            家伝の名灸

 今どき、やいと(灸)をすえるなんて言うたら、医学や薬学、治療の進んだ現代人に笑われるが、さてふと病気になって入院したり通院で大体の病気は回復するが、病気によっては再発したり癖づいて持病になって、お医者さんと仲良しになって体病に苦労する人があります。


 外科的な病気は手術で根が切れることが多いが、内臓の病気はなかなかに根絶が難しいです。
 病魔に住み着かれて悪くなれば入院し、良くなれば家と繰り返して、何とかして良くなりたいと「溺れる者が藁をも掴む」気持ちで名灸を探してすえに来る。痛さを辛抱してすえる。

「良薬口に苦し」「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とか。お灸の少しの痛さ熱さを辛抱して病を治したら、病魔は根絶し元の健康体を取り戻す。お灸とはほんたい体にきくもんじゃと感服する。

 祖父の寿太郎爺さんは父の豪傑の体躯に似ず、母の体に似て骨の細いすらっとした痩せ形で、子供の時は病身で喘息を患い、昔のことでお灸をしょっちゅうすえ詰めてやっと一人前になったと。

 それで俺らも仕事だけでなく灸点を覚えて少しでも人助けしようと古老から喘息と心臓の名灸の伝授を受け、病身な数々の人に灸をおろしてすえさして治した。

 その名灸は父に伝わり、子やらいの中年の婦人で喘息の持病で、ヒーッコンコンと夜も満足に寝れず、窓を開けてヒューヒューと呼吸に苦しんでいたお方が、お灸を知っておろしに来て一週間ほどすえつめたら、こっとり治って大変喜んだ。

 大川村の若い大男が心臓を患い、嶺北病院に二年間入院して養生していたが治らず、父の名灸を聞いてやって来たのでおろし、母が二日すえてやったら調子がえいとすぐ退院して帰った。

その後十日ほどすえたらしい。それで全快して、何か用があって本山に出て来たら必ず立ち寄って「お陰で命びろいした」と礼を言いに寄った。

 父も喘息や心臓の悪い人で灸をすえて治したいという人にはおろして治し、後で喜んでもらった。
 心臓病で心筋梗塞という名称が出来た時期に、六十過ぎの父がその病気にこっとり罹り、何かしていてもああしんどい、胸が締め付けるように苦しいとその場で横になること度々、灸おろしでも自分の背にはおろせれず、そのとき私に伝授して私が父の背におろし母がすえた。五日ほどすえると治ってしもうた。父はその後三十年近く長生きしましたが、心臓病のけはありませんでした。

 家伝の名灸を伝授引き継いだ私も、仕事の関係で嶺北一円を回りましたが、話していて心臓が悪くて医師の薬を飲んでいるが良くならんと言う方で、治れば痛くてもお灸をすえてみるという人には灸をおろしてあげた。

 辛抱してやいとをすえて治った人は数々あり、心臓が停まったら人は死ぬのでほんとに恐い。一度心臓を患い、やいとで治った方はお灸の効果を知っていて、一、二年に一度お灸をすえて体を大切に保っている。

 やいと(灸)はもぐさに火を付けて直接体を焼くのでほんとに痛いと思うが、さほどでもない。たばこの火をさし付けたら飛び上がるほど痛いが、もぐさの火は人間の知恵で、こらえ切れないほどは痛くない。

 けんじょう(肩)の凝った人にお灸をすえていたら、大方の人は気持ちが良くなってうとうとと眠りだす。腕や足の神経痛は痛むところを押して、そこに灸をすえたら治る。

 私の経験談。仕事がら昔の重い自転車で荷を積んだ重いリヤカーを十年余り踏みつめた過労で、四十過ぎに重い座骨神経痛に罹り、腰から足へ痛みつめてウンウン唸って夜も昼も眠れず、お医者さんに日に二、三回来て貰い、注射を打ち薬を飲んでも痛みはとまらず、一週間で患う右足は老人と同じ骨と皮にひすばった。

 この痛みは病知らずには感知できない。痛みはとまらず堪え切れず痛いところを押して、やいとをすえつめた。

 家内に朝早くから夜中まで、学校往きの子供の炊事食事以外の時はずうっとすえ続けた。神経痛の痛みよりやいとの痛さがこらえやすかったので、痛むところに灸をすえていると、そこの痛みが治まり痛むところが変わっていく。

 変わったところを追うて毎日朝から晩遅く迄灸を一ヶ月ほどすえ続けて痛みも無くなり、神経痛は治ったが体が衰弱して、痛んだ足は細り歩行不能になりましたが、徐々に訓練してまともに歩けるようになるに半年掛かりました。

 銭湯で私の灸跡を見てみんな驚きました。その筈、片足に灸跡が二百箇所あまり、点々が蜂の巣のごとく隙間なしでした。

 その二年後、左足も神経痛になりましたが、やいとをすえ続けて治しました。灸の傷痕は時がたつに従って次第に消えて無くなりますが、背中の跡は少し残ります。

その後三十年余り、患った足は少し弱いのであしらってはいますが、やいとで治った神経痛は再発しません。

 お灸とは熱くて少し痛いが、痛いだけよくききます。が、やいとを私は人に薦めはしません。痛いことなので。それでも話を聞いて来る人がたまにあり、灸をおろしてあげます。
病気が治ったらケロッとしています。

 さて現在の高知市でもお灸の好きな人がいます。元酒屋の奥さんで、今はご隠居さんで退屈しのぎにたばこを売ったり縫物をしていますが、その人の言うこと。

「私はお医者さんと病院が嫌いで、月に一回は必ずお灸を色々とすえております。お陰でこの通り元気で病気はせず、風邪もろくに引きません」と。やいとは健康法じゃと力んじょります。

 


栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"20 紅葉

2010-11-17 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"20 紅葉

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                           マルバノキ

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                           マユミ

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                           ニシキギ

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                           コマユミ

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                           コマユミ

 

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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 19 カエデ②

2010-11-10 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 19 カエデ②

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                           カジカエデ

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                           コハウチワカエデ

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                           コミネカエデ

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                           トウカエデ

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                           ノムラ

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                           ハウチワカエデ

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                           ヒナウチワカエデ

conv0211.jpg                           ベニシダレ

 

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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 18 カエデ① 

2010-11-03 | 大豊町内の記事
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 18 カエデ① 



イロハモミジ



ウリカエデ



ウリハダカエデ



エンコウカエデ



イタヤカエデ



アオシダレ




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