れいほくファンクラブ

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ワーキングホリデー・・・有機農業の「さとう農園」を訪問しました

2009-07-31 | 農業・林業・水産・道の駅・良心市ほか
北村農園からの帰りに、さとう農園を訪問しました。

本山町のサンシャインの駐車場で待ち合わせて、案内していただきました。






ワーキングホリデー・・・有機農業の「さとう農園」を訪問しました


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HN:オーガニック高知

安全・安心の野菜づくり・・・さとう農園   さんの記事

HN:オーガニック高知 さんの記事

本山町・北村自然農園でワーキングホリデーその1

2009-07-24 | 本山町内の記事
7月18日(土)・19日(日)、本山町・北村自然農園でワーキングホリデーを体験しました。

これには、昨年8月・9月・10月に、合計9回の学生が講師を務める「ブログ教室」を高知工科大学で実施した学生を中心に8名が参加しました。

10年以上に渡って有機(オーガニック)農業を実施して、大きな一つの到達点に達している北村自然農園さんに、現地で教えていただきながら学ぼうと言うことでした。

そして今年も、昨年のようにブログ教室を実施して、情報発信を通して高知のオーガニックの取組みを応援できたら良いね、と話しています。

また、北村自然農園のある本山町大石地区は棚田の風景が抜群で、翌日の7月20日には「港のオーガニック土曜市」に出店している方たちも視察に来るようになっていました。

夜は囲炉裏を囲んで、北村さんの話を聞いたり、

昨年、北村自然農園でつくったお米を1俵(60キロ)9万円(普通JAなどは2万円弱の値段)でネット販売した、東京から本山町に移住してきたKさん(「都会育ちの田舎暮らし」のブログとメールマガジンで収入を確保しながら、農業に取り組んでいる)にも来ていただき、話を聞くことが出来ました。


風景の良い前庭で、北村さんに全体的な話をしていただきました。



後ろの建物は、今夜泊まるコテージです。シャワーだけでなく満天の星空が見える露天風呂もあります。



眼下では、昔懐かしい蓑笠で暑さ除けのスタイルをして、田んぼの除草をしている年配の二人が目に入りました。

サラリーマン家庭の方が除草剤を使わずに、シルバー人材センターから人を派遣してもらって、作業をしてもらっているそうです。北村さんも時にお願いするそうです。



枯れ草が置かれているので、草が生えていません。苗を植えるときは枯れ草を少し動かせて植えるのであまり草引きは必要なく、枯れ草は有機堆肥になり、土がふかふかしています。



ふかふかの土と雑草の中で、上にはキーウイが沢山実をつけており、ゴーヤが地面でつるを伸ばして上の棚に誘導してもらうのを待っていました。スイカなどは、一定まで成長すると雑草の中のほうがカラスなどにつつかれなくて良いと話していました。



茎を引っ張ると、土の中から20個ほどのジャガイモが出てきました。



赤味を帯びた「アンデス」と言う品種のジャガイモは、肥えた土の中で沢山実をつけており、北村さん自身も「びっくりしています!」と話していました。

翌朝の味噌汁にも入れましょうということで・・・





北村自然農園ワーキングホリデー


HN:オーガニック高知

本山町の「真美農山北村自然農園」  さんの記事
HN:オーガニック高知 さんの記事

三郎さんの昔話・・・産 火

2009-07-17 | 個人の会員でーす
産 火 

今の妊婦はおなかが大きくなって子供が生まれる前がくると、病院に入院して出産をする。
 親子健在で、順が良ければ一週間程で退院して家に帰る。

 昔の妊婦は殆ど家でお産をしていた。その世話やお産の手伝いに、取り上げ婆さん(素人産婆)というのが居て、出産やその前後の世話をやいていた、が、お産の荒火は非常に悪いというので、産火(子供の生まれた家の火の入ったもの)皆嫌っていて、火をまぜることはしなかった。

 秋雨の上がって一段と涼しくなった夜、若いし宿に四、五人集まって来てわいわいと話していたが、今晩夜中の丑みつ時に度胸だめしをすることに話が決まった。

 兄貴分の友吉が、「まずおらが鎮守の氏神様へ、盆のみかんにしるしを付けて五つお祭りして拝んで来る。次に行く者決めちょけや。」と言い飛ばして行ってしもた。

 暫くして友吉は帰って来て、「おらが拝殿の内らに結構お祭りしてきたけ、お参りして一つ戴いて来い。誰が行くがぞ。」と言うと、顔を見合わしていたが、次郎が行くと言い、度胸を決めて出て行った。

暫くたってやっと帰って来て、「しょう暗うて、シーンとして怖かったが行って来たわ。」と吐息をつきよる。

 友吉が、「次は種喜じゃ、さあ行って来い。」と言うと、種喜は少し臆病だが、しかたなくしぶしぶと出て行った。

 雨上がりの小道に、鎮守の大木の雨露がそよ風に揺れてバラバラッと落ちてくる。 びっくりした拍子に小石にけつまづく。 ひょろつきながらやっと一の鳥居の手前まで来たとき、両脇の真っ暗の薮がなんとなくざわついた。

 目を皿にして見ると、暗闇の中に二つづつ、二つづつ異様に光る目がある。鳥居をくぐって前に進むと、光る目が前方と両脇から近付いて来る。唸り声がする。

 一歩出ればそれだけ近付いて来る。種喜は体がギューとしまって身震いした。これで前へ出たら、何かに食い殺されると、後ろに振り向いたとたんに走った。

 石ころの坂の小道を、兎が跳ぶごとく駆けて息ヒューヒューと切らし、顔色真っ青で皆のところに飛び込んで、弾む声で、「出た、出た。」と。

 皆が心配して、「何が出たぞ、おらが行った時は暗いだけで何も居りゃせんが。」
 種喜は震えながら、「どっさり居った。ありゃ確か狼じゃ。目が光って、うどみよったけ。」と、おじけがなかなか治らなかった。

 翌日、鍛治屋のおっさんに昨夜の話をしたら、「それがたまるか、おんしゃあ種喜のお母あは子が出来てまだ五日もたつまい。 その産火を食って宮神様へ行ってたまるか、神様は産火は禁物じゃけ、山犬か犬神につけられたがじゃ。」と。

 「鍛治屋もねや、おらんくの女房に子が出来たら、一週間の荒火は休まんと仕事は出来んけ、打った金物は火が散って金上が出来ん。山師もねや、子が出来たら、荒火はかならず休む。休まんと山の神のたたりで怪我をするけ、産火はしょう怖いぞ。」と話してくれた。

 子供が誕生することはめでたいことであるが、お産は不潔で、けがれがあるとして、産火を食する家族は荒火の七日や、三七・二十一日は行動に気を付け、慎んだそうな。

 昔は子供が誕生して、めでたい名付けの祝宴も産火を嫌う習慣があったので、荒火の初七日を過ぎてから、誕生名付けの披露宴をとり行っていた。

うどむ=騒ぐ。
荒火=強火。

三郎さんの昔話・・・作者紹介

三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・よばい(夜這い)

2009-07-10 | 個人の会員でーす
よばい(夜這い)
 今どきの人は「よばい」なんて聞いても、何とも合点のいかない言葉であろう。
 それもその筈、よばいとは今から約百年近こうも前の頃に、田舎の若い男たちに行われていた夜遊びの一つである。

 娯楽の少ない当時の楽しみは、老若男女を問わずみんな、盆正月の外は村落の方々にある神社仏閣の祭りや縁日の相撲、その他の行事にこぞって出掛け楽しむのが主な娯楽であった。

特に夏の夜は、今晩はどこそこの祭りの夜相撲、明日の晩は縁日の相撲がどこにある、というふうに、てんづけてあるので、元気大性な若衆も夏の間はさほど退屈しないが、秋から冬にかけての夜長は、若者達にとっては退屈で、若衆宿に集まっての話は、何といっても娘の話ばかり。

 兵吉「おらは、もろ屋のお雪が好きじゃ。」友安は「そうか、おらは南のお稲が可愛いい。」そんなら今晩遅うよばいに行くか、そんなら行こうかと兵吉、友安の二人、それぞれ弟分を連れて行き、弟分を見張りに立たして家の回りを静かに見て回り、ここぞと、よおう寝静まっちょると、家のなかへごそごそと這い込んだ。

 しばらくして出て来て言うこと。寝よるのは親父から隠居の部屋ばっかりで、娘はどこで寝よるかわからんけ、今晩はもういかん。 明日の晩にしようと話しながら帰る。

 翌晩、若い衆は集まって、失敗話で花を咲かしては退屈をしのぐ。
 時に大家で蚕をたくさん飼う家では、近在から娘を雇ってきて蚕飼いを手伝うわさして、女中部屋に寝泊りさしていた。

 若い衆はこれは得たりと、毎晩夜ばいに押し掛ける。なかなかに目的の事は成就しないが、たまにすけべうな娘でもいたら、そりゃ大変、若い衆は次から次へと夜ばい夜這いで、夜ごと押し掛ける。そんな時代に娘を持つ親たちは大変な心配である。

 ある時、元喜という男前で夜相撲も取る元気な若いしが、友達と三人で、ええ娘のおる大家に、二人を見張りに立て、様子を伺いながらごそごそと夜ばいに入り込んだ。

 少し間を置いて外の二人、小声で、元喜の奴うまい具合かのうと話し合っていた。
 途端に、静けさを破って「ヒヤアー」と娘の悲鳴が聞こえた。すると家がざわつき、親父の甲高い声で「お八重どうしたー」、娘泣き声で「夜ばいじゃー」と。

 元喜はあわてて飛び出したが、何かに蹴つまづいて庭に転げた。六尺ほどの棒持って飛び出て来た親父、「こりゃー豆盗人」とおがりながら、持った棒を元喜に突き付けてねじた。

 たまるか、その棒は昔から盗人を取り押さえる「ことうじ」じゃ。棒先は巴の剣が入り組み、柄は三尺あまり、いが栗のような鉄釘で、触ることができない道具で着物ごしに捩上げてすりつけ、「こりゃ参ったか」とぎゅうぎゅう押し付けられる。

 元気一杯で強い元喜も、突き刺さる「ことうじ」の剣の痛さにひそくりながら、「参った参った、許してくれえー」隠れて見ていた二人も、はらはらと致し方なく冷汗をかいていた。

 そのうちに親父、「ほんたい参ったか」と、やっと棒を緩めたが、着物にからみついた「ことうじ」はなかなかにのかない。元喜は着物を破ってやっとはずし、頭を地面に擦り付けて恐れ入った。

 親父は「ほんたい参ったらまあえいわ、今晩は許しちゃるが、二度と来たら今度はゆるさんぞ」と。元喜泣きそうな声で「へーい」。

 親父がやっと家に入る。隠れていた二人が走り寄って抱き起こしたら、たまるか、元喜の体は「ことうじ」の剣が刺さったかすり傷で血だらけ。

 ふんどし一つで破れ着物をさげた元喜を、二人は支えてのもどり道。
話した言葉は、「今晩はいよいよこじゃんとやられた。おんし等も娘の家に「ことうじ」が有るか無いか、前もってよおう議してから夜ばいに行けよ。夜ばいもええけんど「ことうじ」だけはほんたいこりこりじゃ。まっことおじちょれよ。」と。
 昔の若い衆の夜遊び「夜ばい」物語。

てんづけて=次ぎから次ぎへ。


三郎さんの昔話・・・作者紹介
三郎さんの昔話

三郎さんの昔話・・・狼と猪

2009-07-02 | 個人の会員でーす
狼と猪


 狼と猪の習性について少し話します。
 狼(山犬)は山の動物を主食に生きている。その餌は兎、野鼠、雉子、山鳥、鹿、猪などで、普通の場合は人にはかかってこない。

 でも、狼が追っている餌を横取りでもしたら、それは大変、猛然と怒って飛び掛かってくる。木枯らしの吹く寒い晩、谷間を隔てて山の両峰で、狼の吠え合うそのうなり声は、ほんとに恐ろしく、女子供は震え上がり、おしっこしとうても外へよう出んと。

猪は草食だが、人の作った唐芋は耡いて食うは、稲穂は牙でこいて食う。植えたての稲田ではシラミつぶしに泥田ころげして、稲を二度植えにゃいかん。

 猪が増えるとしょう悪さがひどい。猪を捕ってくれるのは、狼と鉄砲持ちだけ。


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