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三郎さんの昔話・・・だれやの一杯

2009-09-10 | れいほく地域の見どころ・自然・四季
だれやの一杯

 今時「だれや」なんて聞いてもてんで合点のいかない言葉である。「だれや」とは昔の言葉で一日の疲れをいやす、晩酌のお酒のことである。

 大切な一日を一生懸命に体を使って働き、今日も一日無事に勤めを終えたと寛ろいで飲む。だれやの一杯のお酒は、酒好きにとってこれ以上の喜びはない。

 昔の農家には物を運んだり入れたりする容器には竹細工で作った篭物が多かった。
 当時竹細工の職人で、細工が上手で有名な徳さんという人がいた。農家では徳さんを雇って色々な物を作ってもらうに雇おうとするが、徳さんは仕事上手で正直、精出して働くので農家の引っ張りだこでなかなかに回ってこない。

 孟宗竹を秋の実入りに旧月の闇夜回りに切って準備整えて、待ちこがれていたら師走の始め朝晩の寒さも加わりかけた寒い日、やっと徳さんが朝も早く篭作りに来てくれた。

「徳さん、よう来てくれた、待ちかねちょったぞ」
「わしも早よう来たかったが、行た先きで後へ後へ注文が多うて、やっと済んで来れたぜよ」
「おまんは仕事が上手じゃけ、人気がええのう」
「へえ、おおきに、そんなら何から作ろうか」

「そんなら一番にめご(堆肥を担って運ぶ荒い篭)、次に取篭(桑葉や実物の取り入れ篭)を作ってや」と言って筵を出して来て庭に敷き、孟宗竹をあてがうと、徳さんは早速荒竹を割り、順次こまめに小器用に割りさばいて精出して篭作りに励んで、夕方までにめご二つに取篭一つ作って日も暮れかかり、徳さんは、

「明日もう一日(ひいと)い来るけ」と言って帰ろうとした徳さんに、
「今日はよう働いてくれた、だれたろう、だれやがあるけ、一杯やっていき」と言って、釜屋から酢のように澄んだ作り酒のビンと湯飲みを持って来て、なみなみとついで飲ましたら、
「こりゃたまるか美味い」と一息にぐっと飲んだ。

「もう一杯いき」とすすめたら、「わしゃ酒は弱いけ」と少し遠慮したが、「まあまあ、も一つ」とついでやると嬉しそうに飲んで、「御馳走さん、お休み」と言って日暮れの道をいそいそと帰って行った。

 暫くして家に入り、夕食のおり徳さんに飲ました「だれや」を取ってきて飲もうかと立ち上がると、「どこへ?」と聞かれたので、「酒取りに」と言うと、「だれやはここへ来ちょる」と言うので見てみると、先に徳さんに飲ました酒のビンの量と、このビンの量がぐんと違う。

 こりゃおかしいと思い、「俺は釜屋にあった酒を徳さんに飲ましたが、あれとこれと違うのか?」と聞くと、「そりゃたまるか、あれは酢じゃ」と。

 「ありゃ酢か、しもうた、間違うて酢を飲ましたか」と悔やんだが後の祭り。
 翌朝、朝も早うから徳さんやってきて、「おはよう、夜んべのだれやばあ美味い酒を知らんき、こじゃんと効いてぐっすり寝れたけ、今日も張り切って仕事ができるぜよ」と。

 酢を飲ました断りを言おうと思っていたが、今の言葉を聞いて声は出ず、「だれやがそんなに美味かったかのう、そりゃよかった、また飲ますけ、今日はさつま(丸い物を干すいれもの)を一つに、えびら(蚕を入れて飼う角平たい容器)を五六枚作ってや」と頼んで作ってもらい、日暮れに二日分の日当を米で支払い、手作りの澄んだ酒を確かめて飲ましたら、「ほんたい、ここのだれやは美味い」と、昨日と変わりなく美味そうに飲んだ。

 「また来年も作りに来てや」
 「へえ、どうぞまた使うて、どうも御馳走さん、おおきに」と言うて、夕暮れの草道を嬉しそうに帰っていった。

 さて、昔の家で手作りの白酒の澄んだ色と、酢の色はよく似ていて見分けにくい。だれやにと思って飲ましたら酒と酢を間違えてしもた。

 気持ち良うに飲んだ徳さん、お酒が好きで手作りのすっぱい酒を飲みそめていたので、ちょっとすっぱいがえいだれやじゃと、ぐっと一息に飲み気分が良かった。

 酒も酢も疲れを治す良薬なので、酢なんて疑う気はもうとう無くて酔い、疲れも取れてぐっすり眠れた。人は気の持ちよう次第で心良い気分になる。愉快な話である。




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