今年もまたエプソンのプリンターがやってくれました。
ユーザーの行動を認識し操作メニューを表示する「先読みガイド」、スマートフォンから直接プリント可能な「EPSON iPrint」、プリントにまつわる「うっかりミス」防止機能などなど、キャッチフレーズ通りの「いたれりつくせり」な新機能を搭載しています。
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細倉にもあったんだ
東北自動車道古川ICを下り、国道47号線を山形方面へ行き、国道457号線を北上すると、細倉鉱山跡(細倉マインパーク)見えてきます。
映画「東京タワー オカンとボクと,時々,オトン」のロケ地として知られる細倉鉱山住宅跡。住宅を映画のために店舗などに改装し、そのままの状態で展示されています。
昭和の街並みが再現されています。
華やかだった当時の鉱山労働者の生活を垣間見る空間となっています。
【細倉鉱山とは・・・・】
細倉鉱山は、「安永風土記」によれば、天正年間(1573~92)に本格的な開発が始まったとされています。
宝永年間(1704~11)の「石母田家文書」には「細倉銀山之山師 古切支丹」とあり、当初は銀山扱いで、技術者はキリシタンであった者が多かったことがうかがえます。
細倉鉱山は金山奉行の支配を受けますが、仙台藩は直接生産には関与せず、運上を徴収して山師に経営を許可しました。
このことは、細倉鉱山の利益金を、本吉郡津谷村の御金山下代菅原伊兵衛が運上していることからわかります。
藩は精錬のための炭を藩有林から供給したり、堀子の食料を栗原から調達しました。また藩は、産出した地金を山師から買い占め、鶯沢の百姓に川口(現 栗原市一迫川口)まで輸送させ、問屋に卸し市中に販売させました。
鉛は、銀・銅の精錬に不可欠であったため需要が増え、そこで灰吹法の技術を導入して生産を増大させ、これにこたえたのです。
また、安政年間(1854~60)には「細倉当百」という山内流通の鉛の貨幣が鋳造されました。
この鉛貨は、厚さが2分(約6㎜)、縦横2寸(約6.4㎝)の正方形で中央に四角穴があり、大英博物館にも展示されています。
全山33ヶ山という分割採掘のため、坑道ごとに信仰する神々を祀っていたことが、鉱山山頂に残る石の祠からも知られています。
近代には、鉱山経営を引き継いだ高田鉱山が、亜鉛製錬を国産化して亜鉛も生産するようになったのです。
昭和九年(1934)、三菱鉱業株式会社に経営が移管され、昭和三十年代には岐阜県神岡鉱山につぐ鉛の生産量となり、鶯沢の人口も1万3000人ほどになったのです。
しかし、、非鉄金属の価格下落により1987年に閉山しました。
(出典 宮城県の歴史散歩 )
【細倉マインパークMAP】
栗原市鶯沢南郷字荒町
東京にもあったんだ /福山雅治(映画「東京タワー オカンとボクと,時々,オトン」主題歌)


