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振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

村田蔵六の居住地跡から九島、そして愛媛県立歴史文化博物館へ

2020-11-18 11:20:15 | 旅行
天赦園を出てから村田蔵六が2年半の宇和島滞在中に住んでいたと言う跡地に、徒歩で向かった。



神田川と言う川を渡ると裏手には墓地のある山の迫った場所にあった。神田川沿いには御徒町の名前の表示が見えたので、この辺りは藩士の住まいがあったのだろう。村田以外にも同じ蘭学関係者としては高野長英やシーボルトの娘、イネも宇和島に住んでいたことがある。

住居跡の中央には緑色片岩で作られた立派なテーブルとイスがあった。伊予でも中央構造線に沿った場所でしか採れない石で、庭石などで見かける。


伊達博物館の臨時休館で空いた時間ができたので、地形的に宇和島湾を形成している九島へ行ってみた。島に渡る橋が4年前に完成し、車で行けるらしい。



島から宇和島方面を撮った画像で、橋の全長は486メートルとなっている。



魚の養殖とみかんの栽培が盛んなようだ。島内は道路幅が狭いために、一周するなら自転車でどうぞと書いてあった。



養殖いかだを移動させるのか、3隻の漁船がいかだに張り付いてエンジンを全開にしていたが、スピードは徒歩よりも遅く見えた。

この後、宇和島を離れて西予市宇和町にある歴史文化博物館へ向かう途中で、道の駅「どんぶり館」に寄って昼食をとった。





前日、宇和島に向かっていた時にも「どんぶり館」の看板を見ていたが、おもしろい名前だがどんな意味があるのか興味があった。シラス丼を食べながらNETで調べてみると、西予市は2004年に五つの町の合併により誕生したが、どんぶりは五つの町の人々が道の駅に集まって一緒になることを表現したようだ。

ユニークなネーミングだが意味がわかると忘れられない。レストランは平日にも関わらず客が多く、地場産品のマーケットや売店も賑わっていた。



目的地の歴史文化博物館は広くて立派な建物だった。瀬戸内海ができる以前の石器時代からの伊予地方の歴史や民俗の学習が出来るが、常設展示も後半になると、やや冗長な感じがしなくもない。ここは県内の小中校のバス旅行先になっていると思うが、多すぎる展示は消化不良になるのではと感じた。

この後、四国山地に入ると県境を超え、今夜の宿泊地「梼原」に向かった。








伊達氏の大名庭園、天赦園

2020-11-15 14:40:52 | 旅行
ホテルをチェックアウトして、先ずは伊達博物館に来たのは9時25分頃。あれっ、門が閉まっているし、ロープが張ってある。門の横には開館時間午前9時~午後5時、月曜日休館と表示してあるが、本日は火曜日。

おかしいなあと思ってNETで調べて電話をしてみると、展示物入れ替えのため2日間の臨時休館とか。そりゃあ仕方ないので、天赦園に行こうかとしていると、博物館の裏手からスタッフらしき女性が出て来て、門に臨時休館のプレートを掲げ始めた。

この博物館は宇和島市の運営のはずだが、時間に対して少し緩いようだ。





小ぶりな作りの天赦園の門をくぐると、名前の由来が表示されていた。宇和島伊達家の祖先の伊達政宗公の有名な詩に由来がある。







面積は1万平米強あるが、大きな池を回遊するような作りになっている。同じ大名庭園でも兼六園や後楽園の面積に比べると1/10にも満たないが、ゆっくりと見て回るにはちょうど良い広さではないかと思う。庭石、植木、建物がコンパクトに配置され、少し歩くだけで全てを身近に見ることができる。







池には鯉がいて、足音を聞いて岸まで寄って来る。錦鯉もいるが少なくて目立たず、池がガヤガヤしていないのもいい。

藤棚が多く6基もあり、池をまたぐアーチ状のものまであった。伊達家は藤原氏を祖先とするところにちなんでいるらしい。もしも再訪の機会があるならば、藤のキレイにに咲くころを望みたい。



庭園からは晴天の秋空にそびえ立つ、宇和島城の天守閣がくっきりと見えた。




城下町、宇和島にやって来た

2020-11-12 17:55:28 | 旅行


夕方の陽光に照らされた宇和島城が町の中心にそびえる宇和島にやって来た。学生時代に軽自動車で足摺岬に行った時、夜間に通過したことはあるのだが立ち寄るのは初めてだ。淡路島を経由するルートを自家用車で来たが、450kmくらいある。

宇和島藩主と言えば幕末維新の時期に四賢公と呼ばれた伊達宗城が有名で、同じ時期にはこの藩に招かれた村田蔵六(大村益次郎)も滞在し、蘭学や兵学を教授したり蒸気船を試作している。以前から興味のある町だった。





宇和島城を最初に築城したのは藤堂高虎だが、伊達政宗の子、秀宗がこの地を賜ってから改修をされながら今に至っている。築城時とは違った姿にはなっているが、現存しているのは素晴らしい。



天守閣はさほど大きくはなく、内部の展示物も多くはない。



天守からは宇和島の中心部の街が見える。城を下りた後で街を歩くと、呉服店が多く、大きな人形店があることに気が付いた。さすがに城下町といった感じがした。



西の方角には宇和海に通じる水路があり、秀吉の朝鮮戦役の時は藤堂軍がここから名護屋まで船出したらしい。江戸までの参勤交代も海路で室津まで行っていたようだ。当時は城の下まで海だったのだろう。



城の石垣は基本的に野面積みになっているが、隅角部はきれいに整形された石を使った、算木積みになっている。説明では江戸期に改修されたとあった。



明日は伊達博物館と伊達家の庭園、天赦園に行ってみよう。









紅葉の北海道で600kmのドライブ(5)連続する紅葉の山々

2020-11-03 14:42:09 | 旅行
住んでいる関西での紅葉の時期はこれからで、ピークは11月の下旬から12月の初旬だろうか。北海道から帰って半月になるが、目に焼き付いた彼の地の紅葉の景色は、未だに色褪せることがない感じだ。





下の画像は再掲になるが、今回の旅で自賛できる一枚だ。



2ヶ所回ったガーデンの中にも綺麗な紅葉の景色が多かったが、今回はレンタカーで移動しながら見る紅葉が素晴らしかった。

8年前の10月初旬にも層雲峡から富良野、トマムと回ったことがある。その時はロープウェイで登った黒岳の中腹が見事な紅葉で、更に登ると終わりかけの紅葉だったが、山を下りると紅葉には少し早かった。それに比べると今回は紅葉がふもとまで降りて来ている感じで、旭川から富良野やトマム、そして狩勝峠から十勝平野に下るあたりが、ずっと紅葉の連続だった。





狩勝峠からの眺めのように、あまり遠景だと紅葉が目立たないが、峠までのぼる道沿いの山々の紅葉は鮮やかで美しい。



身近な場所で紅葉の名所を挙げれば東福寺、嵐山、三千院などが思いつくが、これらはガーデンと同じでジオラマの紅葉といった感じがする。

一方で北海道の山々は走っても走っても、右を見ても左を見ても紅葉が迫ってきて、連続パノラマ状態だった。関西では部分的にキレイな紅葉があっても、なかなかパノラマ状態にはならない。

推測だが、植林によってスギやヒノキといった針葉樹の占める山林面積が多いためだろうか。北海道でも明治以降にトドマツなどの稼げる針葉樹の植林が進められたようだが、まだまだ広葉樹の原生林が多く残っていると思われる。近年になって完成した道央自動車道などは原生林の山を貫いているので、トンネルも多いが紅葉の眺めもたっぷり楽しめた。